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春になって、半ボケの頭で考えるのであるが、昔あった虎舞竜の歌で、そういうのがあった。なんでもないようなことが、幸せであると。
毎日家族と一緒に夕飯を食べて、くつろいで寝られること、それが一番の幸せだ。日々細かな悩みや不満、試練、いさかい、笑い話、焦り、などいろいろとありはするが、こうして毎日子供や家族の顔を見ながら生活できるということは、たいへん有難いことである。
先日、風邪をひいて寝込んだが、病み上がりのときに『レナードの朝』を何回目かで見た。途中で、レナードがこの人生の素晴らしさを夜中に医師に訴えるシーンがある。
そよぐ風、ふりそそぐあたたかい日差し、植物のにおい、そんな普通のことを感じることのできなかったレナードが、それを感じて感動のあまり、誰かに伝えたくてたまらなくなったのである。まさにそのとおり、幸せの一番の要点は、その人の心にある。実際にそこにある幸せを感じ取り、素晴らしいと感じることができるか。そういうことであるのだろう。
話は飛ぶが、昔取引先の人で、この「♪なんでもないようなことーが~」の曲がカラオケで十八番の人がいた。四国出身の大阪弁で非常にソフトな物腰の営業マンであった。が、彼はあたりは柔らかいが非常な酒豪で、しかも毎日晩酌を奥さんとするのだとか。毎日奥さんと日本酒を酌み交わして二、三日で一升瓶を開けると言っていたのを思い出す。なんとなく、この曲の歌詞の合っているようで、幸せそうな家庭だなあと感じたものである。そして、何度か飲みに出た際に、この曲を上手というよりも、気持ち良さそうに歌っていた姿を記憶している。
人はどうやったら幸せを感じることが上手になるのだろう。それは、物事のあるがままを見つめて、本質を掴む訓練をすることのような気がする。本質とは何か? それは不思議さだと思う。
植物の成長する仕組みは知っていても、何故そうできるのか、それはまさに神秘であり、誰も答えることは出来ない。本当に、生き物の存在、いやすべての物事は究極的には不思議なのだ。何故、こうなのか? 理由や原因は知りえないが、不思議だということに気づくことは出来る。この不思議さを感じ取ることのできる感性を育てることが大事なのではないか。不思議さに気づくことが出来れば、そこから感謝まではすぐ地続きである。
おお、今日は宗教家だ!
毎日家族と一緒に夕飯を食べて、くつろいで寝られること、それが一番の幸せだ。日々細かな悩みや不満、試練、いさかい、笑い話、焦り、などいろいろとありはするが、こうして毎日子供や家族の顔を見ながら生活できるということは、たいへん有難いことである。
先日、風邪をひいて寝込んだが、病み上がりのときに『レナードの朝』を何回目かで見た。途中で、レナードがこの人生の素晴らしさを夜中に医師に訴えるシーンがある。
そよぐ風、ふりそそぐあたたかい日差し、植物のにおい、そんな普通のことを感じることのできなかったレナードが、それを感じて感動のあまり、誰かに伝えたくてたまらなくなったのである。まさにそのとおり、幸せの一番の要点は、その人の心にある。実際にそこにある幸せを感じ取り、素晴らしいと感じることができるか。そういうことであるのだろう。
話は飛ぶが、昔取引先の人で、この「♪なんでもないようなことーが~」の曲がカラオケで十八番の人がいた。四国出身の大阪弁で非常にソフトな物腰の営業マンであった。が、彼はあたりは柔らかいが非常な酒豪で、しかも毎日晩酌を奥さんとするのだとか。毎日奥さんと日本酒を酌み交わして二、三日で一升瓶を開けると言っていたのを思い出す。なんとなく、この曲の歌詞の合っているようで、幸せそうな家庭だなあと感じたものである。そして、何度か飲みに出た際に、この曲を上手というよりも、気持ち良さそうに歌っていた姿を記憶している。
人はどうやったら幸せを感じることが上手になるのだろう。それは、物事のあるがままを見つめて、本質を掴む訓練をすることのような気がする。本質とは何か? それは不思議さだと思う。
植物の成長する仕組みは知っていても、何故そうできるのか、それはまさに神秘であり、誰も答えることは出来ない。本当に、生き物の存在、いやすべての物事は究極的には不思議なのだ。何故、こうなのか? 理由や原因は知りえないが、不思議だということに気づくことは出来る。この不思議さを感じ取ることのできる感性を育てることが大事なのではないか。不思議さに気づくことが出来れば、そこから感謝まではすぐ地続きである。
おお、今日は宗教家だ!