雨まじりの暴風ですが..^^;;
今日は道ばたにある春の恵みをたくさん見つけました。
厳しい寒さを乗り越えた後の暖かな春の訪れは、私たちの人生にもあてはまるな~と思いながら撮影しました。
ほとんど散ってしまい葉桜になっている枝の付け根にがんばって咲いている桜がありました。
今日の暴風の中『がんばれ~!!』っておもわず応援したくなっちゃいました 笑

最近あちこちでみかけるたんぽぽ。
しかも蜂が蜜を吸っていました。
子供の頃よく遊びました。

綿毛は耳に入ると聞こえなくなっちゃうって脅されて、いつも恐る恐るそばに寄ってたような..笑
あれって本当なのかしら?

これからシーズンのつつじ...にまぎれてオレンジ色のポピーが

色は白や薄紫のこのお花。菜の花にちょっと似ていて調べたら『ハマダイコン』だって。
掘ったら食べられるのか?^m^


ぺんぺん草。
これは子供の頃本当によく親しんだ花です。
今日もたくさん咲いていました。

マンションの敷地に植えられてたパンジー。
これだけ色とりどりあると華やかで心がキュ~ってなるほどかわいい

八重桜はまだ見ごろでした。


『だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
(マタイによる福音書 6:25-34)』
今日は道ばたにある春の恵みをたくさん見つけました。
厳しい寒さを乗り越えた後の暖かな春の訪れは、私たちの人生にもあてはまるな~と思いながら撮影しました。
ほとんど散ってしまい葉桜になっている枝の付け根にがんばって咲いている桜がありました。
今日の暴風の中『がんばれ~!!』っておもわず応援したくなっちゃいました 笑

最近あちこちでみかけるたんぽぽ。
しかも蜂が蜜を吸っていました。
子供の頃よく遊びました。

綿毛は耳に入ると聞こえなくなっちゃうって脅されて、いつも恐る恐るそばに寄ってたような..笑
あれって本当なのかしら?

これからシーズンのつつじ...にまぎれてオレンジ色のポピーが


色は白や薄紫のこのお花。菜の花にちょっと似ていて調べたら『ハマダイコン』だって。
掘ったら食べられるのか?^m^


ぺんぺん草。
これは子供の頃本当によく親しんだ花です。
今日もたくさん咲いていました。

マンションの敷地に植えられてたパンジー。
これだけ色とりどりあると華やかで心がキュ~ってなるほどかわいい


八重桜はまだ見ごろでした。


『だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
(マタイによる福音書 6:25-34)』