なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

頑張るということば

2008-08-25 11:54:26 | 日記
前回は、「楽しみます」という言葉について語った。

今回は「ガンバッテ」について。
友人がしみじみと語ったことを思い出す。
「今の若者は『頑張ってみて』ではスイッチが入らないんですよー」という言葉。
彼女は美容室のオーナー。
若い職員にカットの技術を磨いてほしいのだけど「頑張ってみてねー」では
心に響かないというのである。
「これをやったら、これを覚えたら楽しくなるから、やってみたら」と。
こんなまどろこしい言葉で、相手のやる気に火をつけようというのである。

何がなんでもやらねばならない。という課題を与えると「辞めます」と
いうことになるらしい。

アキサミヨーと叫びたくなる。
誰のために技術を学ぶのか?まず?
と、聞き返したくなるのである。

わたしは短気な人間なので、こんな会話を聞くと腹が立つのである。
「一生逃げるだけの人生でいいの?アンタ・・・」
「自分のために学ぶのですよー」とという苛立ちである。

楽しいから~楽しみます~楽しんで~の陰に

頑張ろう~頑張りましょう~がんばってという言葉が消えた。
言葉が消えるということは、その行動が消えるということにつながる。
頑張るという心根が消えるということである。

何事にも努力をして、頑張った末に喜びがある。
頑張った末の努力結果が「喜び」であり。
努力は報われるのだと、頑張ったその時間の経過を実感し、
頑張ったことも、楽しいことにつながるんだと、自分の体験から実感し
頑張った結果の喜びを、身体いっぱい感じる。

頑張った結果の先のやり遂げた余裕が「楽しむ」という言葉を生むのでは。
「楽しむという」言葉の裏には「頑張った」という日常の時の積み重ねが合ったんだと。
「これだけ頑張ったんだから、もう後は自分を出し切って、楽しむことも大切よ」
という時の相手へのご褒美の言葉だったはず・・・。

目標を持たずして、頑張れないし
ましてや楽しめないはずだが
「楽しいー」とういうことばでしかスイッチが入らないと
嘆いていた・・・友人の気持を思う。

さてさて、この世の中「頑張る」という言葉は復活するのでしょうか。

涼しい朝

2008-08-23 08:35:04 | 日記
早起き。
庭の水辺の魚たちに餌をやる。
水草をよけると、もう魚たちが寄ってくる。
ひとしきり、魚と戯れた後、風の気持ち良さにつられて
コーヒーを庭でいただくことに。
忙しく風鈴の短冊が舞う。
今朝は風がある。
そうだ、と、エッセイ集を読むことに。
昼後の集まりで、読後感を発表しなければならないのに、まだ読破してない本である。
涼しい風にコーヒー。
庭カフェのオープンだ。
おー涼しい。肌寒いほどに。
バサリバサリと、カフェに落ち葉が転がり込む。
もう小さな秋が佇む頃なのだ。
長袖のシャツに着替える。

夜の臭い

2008-08-22 21:44:50 | 日記
独りの時間を楽しむ。
夕闇か降りてくる時間が好きだ。
ゆうまんぎー。昼と夜の間の時間だ。
昼のエネルギーが闇に吸収される時、マジムンたちは巧みに現れて、
暴れようとする。
なにが起こってもおかしくない時が闇の中なは存在する。
人の心の中に不安のタネを蒔くのも、そんな時。
今夜は月の出が遅い。
闇が我が家の周りを包み込み、空にはくっきりと星が浮かぶ。
木星がこの夏の星の中の星。
どれほど木星わ眺めたことか。
風鈴が心地よい。
バサリと枯れ葉が落下。
澤藤が微かに香りを放つ。
ゲッケツの白い小花も咲いたのか。
夜は静かに時を刻む。

美ら海水族館へ

2008-08-21 16:08:11 | 日記
長い道のりをバスに乗った。
地域の小学生と園児をつれての遠足。
夏休みとあってすごい人ごみ。
見応えがある。
いつだって、魚の多さに感動。
夢のような、自分まで魚になった気分。
暑い外の世界とは違って涼しい。
迫力満点。

楽しんでという言葉

2008-08-20 10:35:20 | 日記
朝から少し難しい話を

高校野球が終わり、オリンピック一色。
金、銀゛銅のメダルを争う。
あるいはメダルなんか関係ないのかもしれない。
自分の記録更新という自分への挑戦なのかもしれない。

そこで、インタビューに応える選手の言葉が気になるのである。

時代性というか「楽しみたい」という言葉がどの選手の口からも出る。
「楽しみたい」という言葉そのものには、違和感は無い。
が、「頑張りたいという」言葉がスポーツの世界から消えたのかと少し驚く。

まるで「頑張る」という言葉が極悪人のように扱われている。のでは?
それはまぁ冗談なのだけど。

じゃー人間いつ頑張るのか。
頑張った後もう、ここまでやったから後は楽しみたいということなのだろうが。
「頑張る」という言葉を言えなくなった雰囲気が世の中にある。

子どもの時代には「頑張ろうねー」という言葉を使う。
頑張るには「努力する」という意味がある。
「頑張って」という言葉がプレッシャーになるということから
ガンバッテは使われなくなったの経緯がある。

頑張ることを忘れた人たちもいるのに
「楽しみます」ばやりが気になるわたしです。

遠方より友きたる。

2008-08-19 12:16:09 | 日記
長野に嫁いで17年になるという。
今年高校に入学した男の子がいるという。
長野の自然に恵まれたところで幸せに暮らしていという。

地域の活動を相変わらず続けているという。
絵本のサークルに入ったり各地で読み聞かせの活動をしているという。
昔から、その方面にたけていた。

17年ぶりに会ったが、どこも変わっていなかった。
相変わらずというのだろうか。
とても親しかったわけではなく、
絵本に関心があるサークルで顔見知りになり。
時々絵本屋で会っていた。

そのともが、今朝訪ねてきた。
長野のおいしい栗ようかんを手土産に。

友が帰り、お茶と栗ようかんを食した。
うまかった。


誰が誰の子どもか親か

2008-08-18 11:52:41 | 日記
お盆で何かと忙しかったママ。
親戚一同が集まると、楽しいけれどもリズムは崩れてしまう。
楽しいけれども、親も子も疲れ気味。

そんなママたちは、子どものためにと
なんくる家に訪れる。
子どもも、親もほっとして
自分の居場所を見つけて
ひさしぶり~なんて声を掛け合って
親も子も、しばし、ぼーとしたりする。

くずっている子がいれば、だれかが「だっこしようか」と
直ぐに声を掛け合って
年子の子を持つ、若いママを助ける。

あっちでもこっちでも、ベテランママは
いつでも若いママをヘルプする。
「抱っこするから、おねぇちゃんと遊んだらいいよー」と

くずっている子を軽々とだったしてくれる。
頼もしい先輩ママとヤングママたちが交わって
子どもも一緒に交わって
み~みん癒される。

語らい

2008-08-18 11:02:44 | 日記
穏やかな空間に快適な時が流れる。
癒される。
木陰には人々を癒す天使が住んでいる。
木陰に集まった、なんくる家人々はだれもがいい顔。
人が人を重んじ
人が人を敬い。
人が人を大切にする。
それもこれも、癒してくれる空気があるから。

誰もが持っている「善人」の心を
惜しげもなく出させてくれる。
木陰のもつ、自然の営みだ。

だれもが慈しみあい。
だれもが認め合い。
だれもが声をかけあい。
だれもがだれかのことを気にかけて
困っていたら手をさしのべる。

わたしは窓からそんな風景を眺めて
またわたしも癒される。
語らい、笑う。
そんな木陰の風景がわたしをほっとさせる。


旧盆の赤い花

2008-08-15 19:05:22 | 日記
浦添の実家に帰った。
玄関前の花壇に真っ赤なサンダンカが咲いていた。
柿の実もかなら大きくはなっていたが、まだ青い。
シークヮーサーもすずなり、
グワァバはそろそろ食べられるかも。
広い屋敷は色々植物に囲まれ、ほっとする。
今夜はウークイ。
赤い花が夏に咲くのは、亡くなった人の魂を迎えるため。
お盆の頃にさくのだと、

落ち込んだ人ほど

2008-08-14 15:35:28 | 日記
北京オリンピックが連日報道されている。

金を手にして涙する選手の談話、逸話を聞く。
アテネの後、色々なハプニングあありましたねー
もうぼろぼろになり、何度も辞めようと。
どん底から這い上がったのですね。
どん底を味わって、4年前より人間的にも、技術的にも深くなり
強くなりました。
一人ではないということを知りました。
一人ではできなかったのです。
監督に支えてもらい、
家族に支えてもらい
これまでできたのです。とっても嬉しいです。

このような談話を耳にする。どの選手もドラマを抱えている。
いや
ドラマを作りドラマの中を生きてきた。と、いうべきかも。
オリンピックという大舞台。
生半可ではないだろう。

それを乗り越えたときに、本当の強さが出るのだと。
そして皆優しくなれるのだと。
トンネルの中でもがく、苦しむ、投げ出しそうになる、溺れそうになる
でもそれを乗り越えたとき、
強くなれる。優しさなれる。深い人間になれる。
そう思った。

人生は浮き沈みあり。山も谷もあり。
それを乗り切ることが人生なのだと。
来るもの拒まず、全てを受容しようと、改めて思うのである。