前回は、「楽しみます」という言葉について語った。
今回は「ガンバッテ」について。
友人がしみじみと語ったことを思い出す。
「今の若者は『頑張ってみて』ではスイッチが入らないんですよー」という言葉。
彼女は美容室のオーナー。
若い職員にカットの技術を磨いてほしいのだけど「頑張ってみてねー」では
心に響かないというのである。
「これをやったら、これを覚えたら楽しくなるから、やってみたら」と。
こんなまどろこしい言葉で、相手のやる気に火をつけようというのである。
何がなんでもやらねばならない。という課題を与えると「辞めます」と
いうことになるらしい。
アキサミヨーと叫びたくなる。
誰のために技術を学ぶのか?まず?
と、聞き返したくなるのである。
わたしは短気な人間なので、こんな会話を聞くと腹が立つのである。
「一生逃げるだけの人生でいいの?アンタ・・・」
「自分のために学ぶのですよー」とという苛立ちである。
楽しいから~楽しみます~楽しんで~の陰に
頑張ろう~頑張りましょう~がんばってという言葉が消えた。
言葉が消えるということは、その行動が消えるということにつながる。
頑張るという心根が消えるということである。
何事にも努力をして、頑張った末に喜びがある。
頑張った末の努力結果が「喜び」であり。
努力は報われるのだと、頑張ったその時間の経過を実感し、
頑張ったことも、楽しいことにつながるんだと、自分の体験から実感し
頑張った結果の喜びを、身体いっぱい感じる。
頑張った結果の先のやり遂げた余裕が「楽しむ」という言葉を生むのでは。
「楽しむという」言葉の裏には「頑張った」という日常の時の積み重ねが合ったんだと。
「これだけ頑張ったんだから、もう後は自分を出し切って、楽しむことも大切よ」
という時の相手へのご褒美の言葉だったはず・・・。
目標を持たずして、頑張れないし
ましてや楽しめないはずだが
「楽しいー」とういうことばでしかスイッチが入らないと
嘆いていた・・・友人の気持を思う。
さてさて、この世の中「頑張る」という言葉は復活するのでしょうか。
今回は「ガンバッテ」について。
友人がしみじみと語ったことを思い出す。
「今の若者は『頑張ってみて』ではスイッチが入らないんですよー」という言葉。
彼女は美容室のオーナー。
若い職員にカットの技術を磨いてほしいのだけど「頑張ってみてねー」では
心に響かないというのである。
「これをやったら、これを覚えたら楽しくなるから、やってみたら」と。
こんなまどろこしい言葉で、相手のやる気に火をつけようというのである。
何がなんでもやらねばならない。という課題を与えると「辞めます」と
いうことになるらしい。
アキサミヨーと叫びたくなる。
誰のために技術を学ぶのか?まず?
と、聞き返したくなるのである。
わたしは短気な人間なので、こんな会話を聞くと腹が立つのである。
「一生逃げるだけの人生でいいの?アンタ・・・」
「自分のために学ぶのですよー」とという苛立ちである。
楽しいから~楽しみます~楽しんで~の陰に
頑張ろう~頑張りましょう~がんばってという言葉が消えた。
言葉が消えるということは、その行動が消えるということにつながる。
頑張るという心根が消えるということである。
何事にも努力をして、頑張った末に喜びがある。
頑張った末の努力結果が「喜び」であり。
努力は報われるのだと、頑張ったその時間の経過を実感し、
頑張ったことも、楽しいことにつながるんだと、自分の体験から実感し
頑張った結果の喜びを、身体いっぱい感じる。
頑張った結果の先のやり遂げた余裕が「楽しむ」という言葉を生むのでは。
「楽しむという」言葉の裏には「頑張った」という日常の時の積み重ねが合ったんだと。
「これだけ頑張ったんだから、もう後は自分を出し切って、楽しむことも大切よ」
という時の相手へのご褒美の言葉だったはず・・・。
目標を持たずして、頑張れないし
ましてや楽しめないはずだが
「楽しいー」とういうことばでしかスイッチが入らないと
嘆いていた・・・友人の気持を思う。
さてさて、この世の中「頑張る」という言葉は復活するのでしょうか。