なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

ワァきれい

2008-08-25 18:54:07 | 日記
プールに行く途中、西の海が燃えていた。

仕事を6時に終わり、しゅう3回は身体作りへとでかける。
食べないのに太るからだ(身体)。

夕暮れがはやくなったことを感じながら車を走らせる。
牧港のスポーツクラブへと。
浦添市仲間から伊祖へと西の海が一望できる場所がある。
ここから見える慶良間島が好き。
目と鼻の先に慶良間じまが見えるときがあるのだ。

今日は違った。
夕日だった。
嬉しい驚きで、車を停めて停滞電話のシャッターを切った。
携帯電話なので、たいした写真は撮れないが
見た目はこの写真の100倍も美しかった。

2008-08-25 16:31:05 | 日記
おおごまだら、の:さなぎを発見。
食そうのホウライカガミの葉っぱの裏に幾つも
外的から身を守るためか、必ず葉の陰に隠れて、サナギはぶら下がる。

金色の美しいサナギ。

黒い幼虫もうごめいていた。
かなりグロテスクな色と形の虫を、大人は気持ち悪がる。
子どもたちは手にも触れるほど。

さて、一匹は腹一杯になりもう、
サナギになる為の場所探しをしていた。
何日ぐらいで飛んでくるのかなー

頑張るということば

2008-08-25 11:54:26 | 日記
前回は、「楽しみます」という言葉について語った。

今回は「ガンバッテ」について。
友人がしみじみと語ったことを思い出す。
「今の若者は『頑張ってみて』ではスイッチが入らないんですよー」という言葉。
彼女は美容室のオーナー。
若い職員にカットの技術を磨いてほしいのだけど「頑張ってみてねー」では
心に響かないというのである。
「これをやったら、これを覚えたら楽しくなるから、やってみたら」と。
こんなまどろこしい言葉で、相手のやる気に火をつけようというのである。

何がなんでもやらねばならない。という課題を与えると「辞めます」と
いうことになるらしい。

アキサミヨーと叫びたくなる。
誰のために技術を学ぶのか?まず?
と、聞き返したくなるのである。

わたしは短気な人間なので、こんな会話を聞くと腹が立つのである。
「一生逃げるだけの人生でいいの?アンタ・・・」
「自分のために学ぶのですよー」とという苛立ちである。

楽しいから~楽しみます~楽しんで~の陰に

頑張ろう~頑張りましょう~がんばってという言葉が消えた。
言葉が消えるということは、その行動が消えるということにつながる。
頑張るという心根が消えるということである。

何事にも努力をして、頑張った末に喜びがある。
頑張った末の努力結果が「喜び」であり。
努力は報われるのだと、頑張ったその時間の経過を実感し、
頑張ったことも、楽しいことにつながるんだと、自分の体験から実感し
頑張った結果の喜びを、身体いっぱい感じる。

頑張った結果の先のやり遂げた余裕が「楽しむ」という言葉を生むのでは。
「楽しむという」言葉の裏には「頑張った」という日常の時の積み重ねが合ったんだと。
「これだけ頑張ったんだから、もう後は自分を出し切って、楽しむことも大切よ」
という時の相手へのご褒美の言葉だったはず・・・。

目標を持たずして、頑張れないし
ましてや楽しめないはずだが
「楽しいー」とういうことばでしかスイッチが入らないと
嘆いていた・・・友人の気持を思う。

さてさて、この世の中「頑張る」という言葉は復活するのでしょうか。