俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

客観的事実

2012-10-22 10:55:34 | Weblog
 当り前の話だが知覚は主観的なものだ。主観的な情報を客観的な情報にするためには他者からの情報が欠かせない。自分が持っている情報と他者から得た情報を統合することによって客観的情報が得られると無邪気に信じられ勝ちだ。しかし他者の情報も所詮は他者の主観的情報に過ぎない。
 例えば地平線近くの月は天空にある月よりも大きく見える。これは人類に共通した錯覚だ。皆がそう言うからと言って、月が地平線近くで大きくなる訳でもなければ、地平線近くで地球に接近する楕円軌道を描いている訳でもない。このように全員が同じように知覚するからと言ってそれが正しいとは限らない。「地平線近くの月は大きい」は誤りであり「地平線近くの月は大きく見える」が正しい。地動説や進化論が長い間否定されたのも同じような事情からだ。
 このように多くの人の主観が一致しても客観的事実にはならない。増してや現代人はマスコミに騙され勝ちだ。視聴者は2種類しかいないようにさえ思える。マスコミの報道を鵜呑みにする人と、最初から信用していないので「またか」という思いで空騒ぎを無視する人だ。このままではマスコミは嘘を垂れ流し続ける。多少青臭く、蟷螂の斧のような虚しい行為かも知れないが真面目にマスコミ批判を続けることが必要だろう。

歯の健康

2012-10-20 09:33:38 | Weblog
 歯について私はよく知らない。しかし歯の健康は全身の健康のために不可欠だ。歯が悪ければ食事が楽しくないし咀嚼も不充分になり勝ちでそれが健康にダメージを与える。
 私の母は総入歯だし亡き父も総入歯だった。私自身も小学生の頃から歯ぎん炎と診断されていた。つまりリンゴを齧ると血が出る状態だった。歯科医からは「しっかり歯を磨くように」と指導されたが具体的にどうすれば良いのか分からず、長めの柔らかいブラシで怖々磨いていた。歯茎からの出血→化膿→歯槽膿漏→総入歯、というイメージがあったからだ。
 転機が訪れたのは40代の頃だった。治療のために行った歯科医が歯の磨き方について具体的に教えてくれた。硬く短い歯ブラシでやや強く磨いて出血させよ、とのことだった。思い掛けない指導だったので私は即座に問い質したが歯科医は自信を持って断言した。
 その後、転勤もあって他の歯科医に掛かったりしたが、歯科医が勧める歯ブラシはどれも硬くて短い物だった。私はその歯科医の指導に今も従っている。そのかいあってか今も歯は健康で好んで硬い食べ物を食べている。多分正しい指導を受けたのだろう。
 これは個人の経験に過ぎず本当に正しいかどうか確信を持っている訳ではない。医学に関する私の知識は多くが新書に拠っており、残念ながら歯の健康を扱った新書を私は知らない。あれば読んで勉強したいと思っている。

第一の性の第一の天性

2012-10-20 09:01:21 | Weblog
 男は我儘で女は従順というのが昔からのイメージだ。少なくとも小学生は今でもそうだろう。女児は従順で教師の言うことをよく聞くが男児は自分勝手ですぐに騒ぐ。時には女児が教師と組んで男児を糾弾することもある。男児の第一の天性(個別性)は生得的に女児よりも顕著だ。女児にはどういう訳か早くから第二の天性(社会性)も備わっている。男と女を比べれば女のほうが完成度が高い。それは聖書の教えとは逆に、動物の本来の形態が雌であり、雄は第一の性どころか動物として補助的な役割しか担っていない。雄は有性生殖をするための道具のようなものだから、たとえ不完全であろうとも個々の変異さえ充分に大きければ進化のためには有効だ。
 この男児に顕著な第一の天性は社会生活を営むためには有害なものだ。そのために早くから「去勢」が図られる。男児の第一の天性は利己的・暴力的・野蛮として徹底的に否定される。こうして立派な社会的動物として馴養された「大人の男性」つまり自我を欠いた奴隷にも等しい哀れな人間ができ上がる。牙を抜かれた虎のようなものだ。
 精神的に去勢された男性は社会的動物として滅私奉公に励む。家族のため、会社のため、社会のために盲目的に働く。しかしその末路は惨めだ。会社から用済みとされれば途端に居場所を失う。多くの男性は妻のため、子のため、孫のために生きようとする。それができない人は俄仕込みの趣味に生きようとする。陶芸や短歌やソバ打ちなどがそれだ。彼らがそれらを否定されると猛烈に怒るのは、それらの趣味がでっち上げの生きがいであることに彼ら自身が薄々気付いているからだ。薄氷を踏む思いでしがみ付いている、実は暇潰しに過ぎない生きがいは簡単に壊れるから壊されないためには何重にもガードせねばならない。
 こんな惨めな老後を迎えないためには男性は否定された第一の天性を自力で育成しておかねばならない。それは決して難しいことではない。後天的に否定されただけであり、先天的には誰にでも備わっているものだからだ。

電力

2012-10-18 11:29:46 | Weblog
 電力問題に関する議論は全然噛み合っていない。好き勝手なことを主張するばかりで建設的な方向には進みそうにない。問題点を整理すべきだろう。
 社会的インフラとしての電力は次の条件を満たさねばならない(順不同)。①安定性②安全性③経済性④環境性⑤緊急性。これらの条件のどれを優先すべきかを明確にするだけで問題点はかなり整理される。
 ①安定性
 電力は安定して供給されねばならない。停電や電力不足を招いてはならないから不安定なエネルギー源に頼るべきではない。従ってお天気任せの太陽光や風力、政治に振り回される石油はこの条件を満たさない。
 ②安全性
 原発の危険性は机上ではなく現実的に証明された。従ってこれを重視するなら原発は最悪だ。
 ③経済性
 石炭が最も低コストであり太陽光が最も高コストだ。
 ④環境性
 石炭は不純物が多いので最も大気を汚染する。面積効率が極端に悪い太陽光発電は大地や海から光を奪うことによって自然を破壊する。
 ⑤緊急性
 発電施設には大規模な設備が必要だから緊急時には他の要因を無視してでも今ある施設で対応せざるを得ない。大震災直後の火力発電やこの夏の大飯原発の再稼動がこれに該当する。
 以上の条件を総合的に考慮して電力問題に対処せねばならない。私個人としては原発と太陽光が最低であり天然ガスが一番マシだと思う。それだけにテレビ番組で「原発か太陽光か」という選択を迫るのは最悪の二者択一であり選択することは不可能だ。

第一の天性

2012-10-18 11:03:32 | Weblog
 儒教には孟子の性善説と荀子の性悪説があるがどちらも誤っている。人間の天性は善でも悪でもなく最も「自然」なものだ。人間性は善悪に先立つ、とさえ言えよう。
 ニーチェの言葉だとは思うのだが残念ながら出典を確認できず正確な引用ではないが「人間はまず第二の天性を獲得して第一の天性は枯渇する」という言葉が善悪の起源をも明らかにする。
 人間は本来、自分本位な動物だ。欲しい物は手に入れようとするし、やりたいことをやろうとする。これが第一の天性だ、幼児はこの状態だ。しかしこのままでは社会生活を営めない。そのために個人は社会的動物に馴養されねばならない。こうして人は第二の天性を獲得する。このことは決して人間性を歪めることにはならない。人間は元来、個別性と社会性の両面を持っている。社会生活に適応させるために社会性が優先的に育成されるということだ。この社会的動物として好ましい性質が「善」と呼ばれている。
 人間が社会的動物としての側面しか持たないのなら社会性だけでも良かろう。しかし人間は元来、個別的動物でもある。第一の天性として自分の意志を持っている。ところが第一の天性が枯渇してしまった人は一人では生きられなくなる。何をするにも他者からの指示や助言が必要になる。これを主体性の欠如と呼んでも差し支えないが、第一の天性の発育不全だと私は考える。
 社会によって奨励される第二の天性だけではなく、自我に忠実な第一の天性も健やかに育てられる必要がある。滅私奉公ではなく活私奉公こそ望ましい。 

格差の是非

2012-10-17 13:56:28 | Weblog
 中国のGDPが一昨年に日本を上回ったが、人口が日本の10倍なのだから一人当たりのGDPは日本の1/10にしかならない。もし日本人の収入が1/10になれば、大半の人は生活できなくなるだろう。
 但しこの比較には無理がある。中国は元安を国策としているので為替レートに基く比較は実態を反映しない。そのせいもありインフラも含めて物価が非常に安いので一人当たりのGDPではなく購買力平価を見るべきだろう。しかしその場合でも日本の1/5程度しかないらしい。中国はまだまだ貧しい国と言わざるを得ない。マスコミに登場する富裕層は例外であり、人口の22%を占める農民の大半は貧困層だ。いくら「先富論」という理論的裏付けがあるとは言え社会主義国である中国の都市部と農村部でこれほどの格差があることは日本人の感覚で見れば異常だ。
 但し格差についての感情は日本人と外国人とでは随分異なる。ご存知のとおりアメリカは格差を是認する国だし、ヨーロッパも北欧以外は以外なほど格差には無頓着だ。儒教の古典「書経」には「斉(ひと)しきは斉しからざるによる」(意訳すれば「真の平等は不平等によってこそ成立する」)と記されており、格差を社会問題とする国は少ない。日本人の国民感情は国際的には特異なものだ。
 「隣人の年収は1,000万円で自分の年収が500万円の社会と、隣人の年収が600万円で自分の年収が400万円の社会とではどちらが好ましいか」という問いがあれば、私は迷わずに前者を選ぶが、少なからぬ日本人は後者を選ぶらしい。日本は妙な意味での「競争社会」だ。他人に負けることを恥として引き摺り下ろそうとするのはただの嫉妬ではないだろうか。

危機

2012-10-17 13:25:32 | Weblog
 マスコミは危機を煽り勝ちだ。大して危険でないことでもまるで人類存亡の危機かのように煽り立てる。「環境ホルモン」という言葉を覚えているだろうか。これはダイオキシンと並ぶマスコミによるマッチポンプ騒動だった。「雄が雌化する」とか「精子が減少する」とか騒いだものだが、今では誰も気にしていない。
 なぜマスコミはマッチポンプになるのか。2つの原因がある。
 1つは騒ぐことによって儲かるからだ。危機を煽れば新聞も本も売れるし視聴率も上がる。騒げば騒ぐほど信憑性が高まり、それまで関心を持たなかった人まで関心を持つようになって「市場」が拡大する。要するにマスコミは騒ぎ立てることによって利益を得ている。 
 もう1つは科学に対する無知だ。16世紀の自然哲学者のパラケルススは「あらゆる物は毒であり、毒性の無い物は無い。あるものが毒とならないのは摂取量が少ないからだ。」と指摘した。現代人の科学常識は16世紀のレベルにさえ達していない。水10ℓ、砂糖1㎏、塩100gが致死量と言われているように、必須の食品であろうと摂り過ぎれば毒になる。
 良い・悪いという悪しき2分類法に慣れた大衆は、たとえそれがナノグラムやピコグラムのレベルでしか存在しなくても聞き慣れない名の化合物が「1gでも有害だ」と聞けばヒステリー反応を起こす。マスコミとしては新しい危険物についての警鐘のつもりだろうが、こんな科学常識を欠いた報道が空騒ぎを生む。危険物を放置せよとは言わないが、過剰に怖がるのではなく適正に怖がることが必要だ。そうしなければ本当に危険なものが見逃されてしまう。

マラソン

2012-10-15 19:52:48 | Weblog
 二人のマラソンランナーが脚光を浴びた。一人はノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥京大教授で、もう一人はノーベル文学賞を逸した村上春樹氏だ。二人とも本命と言われていたけれども明暗を分けた。特に村上氏は番狂わせだろう。受賞を伝えるテロップなら何度も見たことがあるが、受賞を逃がしたことでテロップが流されるのを見たのは初めてだ。それだけ期待も可能性も高かったということだろう。
 現代日本の理系と文系の代表的頭脳が揃ってマラソンランナーだということでにわか市民ランナーも増えるだろう。国民がスポーツに励むのは良いことだ。国民が健康になれば医療費も減って、国家財政も少しは改善されるだろう。
 私も30台半ばまではよく走っていた。しかし昔のマラソンシューズを使っていたので膝や足首を痛めることが少なくなくてやめてしまった。軽過ぎるマラソンシューズは土の上を走るためのものであって、アスファルトの上を走るのには向いていない。アスファルトを走るなら着地の衝撃を緩和する底の厚いジョギングシューズのほうが良い。
 私の唯一のスポーツである水泳は引越し後にパターンが変わった。かつては大阪の市営プールまで往復30分歩いて1時間泳いでいたものだが、今では伊勢の民営プールまで往復1時間自転車に乗って30分泳いでいる。トータルの運動時間は等しいが少なからず不満だ。
 ドクター中松は、脳への血の巡りが改善されて頭の働きが良くなるスポーツとして水泳を推奨しているが、ドクター中松の推す水泳よりも、両氏が実践しているマラソンのほうが断然ご利益がありそうだ。

無関心

2012-10-15 19:23:05 | Weblog
 常識としては必要なことだが、人が社会に対して無関心であることは個人の自由だ。古来、竹林の七賢などのように俗世間を嫌って思索に耽った人は少なくない。政治や経済、あるいは芸能やスポーツ情報など知らなくても困らない。
 関心を持たねばならないのはまず生と死だ。人は誰でも今生きておりいずれは死ぬ。犬猫ならともかく人間は死ぬことを前提にして生きざるを得ない。生きるためには最低限、次の3つが欠かせない。収入を得ること、健康を維持すること、必要な栄養を摂取すること、だ。これらに無関心なままで生きることは難しい。これらと比べたら他のことなど趣味の問題にも等しい。関心を持とうが持つまいが本人の勝手だ。
 多くの人は収入を得ることには熱心だが、他の2つに対しては驚くほど無関心だ。関心を持っても正しい情報を得ることは非常に難しい。それほどまでに怪しげな情報が罷り通っている。
 医学と栄養学は全国民の必須の知識なのだが、栄養学に詳しい医師は非常に少ない。医療そのものも間違いだらけであり、傷を消毒することをやめたのは近年のことだ。そして困ったことにはこのことが未だ国民の常識とはなっていない。
 日本の代表的評論家だった大宅壮一氏は減量のためにコンニャクばかり食べて栄養失調で亡くなったと言われている。氏ほどの知識人であっても医学と栄養学については生半可な知識しか持っていなかったようだ。
 ワイドショー紛いの報道番組を見る暇があれば医学と栄養学の基礎知識を身に付けるべく勉強に励むべきだろう。それが自分のためになる。

腐り行く体

2012-10-13 13:43:15 | Weblog
 歳を取ると日に日に体が劣化する。劣化させないように努力はしているが老化現象には勝てない。老化を遅らせる以上のことはできないのかも知れない。
 コピーを繰り返せばどんどん劣化するように、細胞も再生の度にコピーミスを繰り返す。当初のDNAとは違ったものを作りそれが癌や良性腫瘍などになる。自分の体がどんどん劣化することは、まるで体が腐って行くかのように感じられる。今日と同じ明日・今日よりも素晴らしい明日ではなく今日よりも悪い明日しか訪れないと思えば暗い気持ちになる。
 若い内は老化を気にしないが、白髪も老化現象だ。生まれつき白髪(はくはつ)だった人はともかく、白髪(しらが)は元々持っていたメラニン色素を失うことだから遺伝子によるコピーミスだ。こんなコピーミスがあちこちに現れて老化は進行する。機械なら部品交換で対応できるが人間ではそれは不可能だ。iPS細胞の技術を使えば老化の防止、つまり老化した細胞の置き換えが可能になるのだろうか?