俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

第一の性の第一の天性

2012-10-20 09:01:21 | Weblog
 男は我儘で女は従順というのが昔からのイメージだ。少なくとも小学生は今でもそうだろう。女児は従順で教師の言うことをよく聞くが男児は自分勝手ですぐに騒ぐ。時には女児が教師と組んで男児を糾弾することもある。男児の第一の天性(個別性)は生得的に女児よりも顕著だ。女児にはどういう訳か早くから第二の天性(社会性)も備わっている。男と女を比べれば女のほうが完成度が高い。それは聖書の教えとは逆に、動物の本来の形態が雌であり、雄は第一の性どころか動物として補助的な役割しか担っていない。雄は有性生殖をするための道具のようなものだから、たとえ不完全であろうとも個々の変異さえ充分に大きければ進化のためには有効だ。
 この男児に顕著な第一の天性は社会生活を営むためには有害なものだ。そのために早くから「去勢」が図られる。男児の第一の天性は利己的・暴力的・野蛮として徹底的に否定される。こうして立派な社会的動物として馴養された「大人の男性」つまり自我を欠いた奴隷にも等しい哀れな人間ができ上がる。牙を抜かれた虎のようなものだ。
 精神的に去勢された男性は社会的動物として滅私奉公に励む。家族のため、会社のため、社会のために盲目的に働く。しかしその末路は惨めだ。会社から用済みとされれば途端に居場所を失う。多くの男性は妻のため、子のため、孫のために生きようとする。それができない人は俄仕込みの趣味に生きようとする。陶芸や短歌やソバ打ちなどがそれだ。彼らがそれらを否定されると猛烈に怒るのは、それらの趣味がでっち上げの生きがいであることに彼ら自身が薄々気付いているからだ。薄氷を踏む思いでしがみ付いている、実は暇潰しに過ぎない生きがいは簡単に壊れるから壊されないためには何重にもガードせねばならない。
 こんな惨めな老後を迎えないためには男性は否定された第一の天性を自力で育成しておかねばならない。それは決して難しいことではない。後天的に否定されただけであり、先天的には誰にでも備わっているものだからだ。

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