俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ダイオキシン禍

2012-10-08 12:57:30 | Weblog
 ダイオキシン禍は存在する。但しダイオキシンによる健康被害は殆んど皆無で、家庭でのゴミ焼却禁止による経済的被害だけが存在する。
 ダイオキシンは簡単に発生する。有機物に不可欠な炭素を塩素と一緒に燃焼させるだけで充分だ。殆んどの動物の体には塩分(塩化ナトリウム)があるし、焼き鳥なら塩や醤油を付けて直火焼きをするから、もしダイオキシンが危険なら焼き鳥屋は命懸けのビジネスということになる。今のところダイオキシンによる健康被害を蒙った焼き鳥屋の話は聞いたことが無い。
 馬鹿馬鹿しいダイオキシン騒動のあとダイオキシン規制法が制定された。そのために家庭用焼却炉は使えなくなり、本来家庭で焼却すべきゴミを各自治体が無駄なエネルギーを使って回収して高温焼却炉へと運んでいる。
 得をしたのは高温焼却炉関連の業者だけで、それ以外の全国民が損をした。これは正に「ダイオキシン禍」と言えよう。似非学者とマスコミと政治家がグルになって誤った科学情報を流してそれによって国家的損失を蒙ったことの責任が問われねばならない。

美術品

2012-10-08 06:41:52 | Weblog
 私は美術品を好まない。権威主義的だからだ。美術品の価値はその作品の芸術性ではなく、それが誰の作品かということだ。無名の作家が大きな賞を受賞すれば無名時代の作品まで値上がりする。無名時代の作品も優れており受賞をきっかけにして再評価されるのならそれでも良い。しかし実際には作品の質は問われず、作家名に基いて一律に「1号当り幾ら」と値付けされる。
 今話題の「アイルワースのモナリザ」にしても事情は同じだ。論点は「レオナルド・ダ・ビンチの作品かどうか」であって作品の芸術性は問われていない。これでは美術品ではない。ただの骨董品だ。
 同じ芸術でも音楽や文学ではこんなことは起こらない。作品ごとに評価が下される。たとえ巨匠の作品であろうと駄作は駄作として低く評価される。「○○氏の作品だから価値が高い」などと寝ぼけたことを言う人は音楽界や文学界にはいない。ビートルズ解散後もジョン・レノンとポール・マッカートニーはヒット作を連発した。これは元ビートルズという権威に基くものではなくそれなりに優れた作品だったからだ。名前だけで売れるほど音楽界は甘い世界ではない。
 作品の価値は作品そのものが評価対象であるべきであって、作家が誰かという権威主義に基くべきではない。