俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

認知症

2015-04-27 10:19:08 | Weblog
 つんく♂氏は声帯を摘出して声を失った。歌手でもある彼にとって声を失うことは苦渋の決断だろう。声よりも命を選んだということだ。
 筋萎縮性側索硬化症という難病がある。車椅子の物理学者ホーキング博士や徳洲会の徳田虎雄氏などが発病した全身の筋力を失う病気だ。声だけではなく全身の行動の自由まで失う恐ろしい病気だ。
 しかしこれら以上に恐ろしいのは知力を失うことだ。知力を失った人間は運転者のいない自動車のようなものであり、どんな暴走をするか分からない。無人の自動車になるよりは自動車であることをやめたいものだ。
 時々、頭が思うように働かないと感じることがある。思考が集中せず上手く考えをまとめらなくなる。考えようによってはこれは良いことだ。脳機能の低下を自覚できるほうが自覚できないよりもずっとマシだ。普段から深酒をしては思考力の低下を経験しているからこそ脳の不調が分かるのだろう。酔っていることを自覚できない酔っ払いとは違って、脳の機能低下を自覚できることを喜ぶべきだろう。
 脳に大きな外傷を負った人の多くが知力だけではなく人格まで劣化したと言われている。高齢者の多くは認知症を恐れている。自分が自分でなくなり廃人になることは大きな恐怖だ。頭をよく使えば認知症に罹りにくいと言うが当てにならない話だ。歴史に残る天才カントやレーガン元大統領やサッチャー元首相まで認知症に罹るのだから予防は困難だろう。幾ら脳を鍛えても罹る時には罹ると覚悟するしか無かろう。
 私はいつも対症療法を批判しているが、こと認知症に限ってはそれでも構わないと思う。勿論、治療できることがベストだがそれができないのであれば一時凌ぎでも構わない。仮に余命が半分になろうとも思考力を維持したいと思う。それどころかたった1時間正常に戻るために命を賭けても構わない。
 呆けないように努力することは必要だが罹ってしまえばどう対処すべきだろうか。幸いなことに認知症の症状の軽重には周期性があるらしいから、意識が確かな時に自らケリを付けることが、晩節を汚さないためには必要かも知れない。しかしここで大問題が生じる。意識が確かだと判断する自分の意識を確かな意識であると信じて良いものだろうか?自己評価のパラドクスだ。

大男

2015-04-27 09:43:23 | Weblog
 「大男総身に知恵が回りかね」と言う。大男の動きは緩慢に見える。プロレスの故・ジャイアント馬場の動きは鈍いように見えた。しかしこれは錯覚だ。体が大きければ動作はゆっくりに見える。身長2mの人が身長分動けば2mだ。これは身長170㎝の人より2割長い。これをテレビで見ていると大男の動きが緩慢に見える。一方は2m動きもう一方は170㎝しか動かないのだから掛かる時間が違うのは当然だ。
 ネズミの動作は俊敏だ。チョコマカと素早く動いているように見える。しかしこれは体が小さいから素早いように見えるだけだ。だから猫に捕まえられる。100mを走れば大男のほうが早い。ピッチが同じであればストライドで差が付くからだ。
 但し本当に俊敏な小動物もいる。熱帯に棲息するアギトアリが多分、世界一俊敏な動きをする動物だろう。アゴを閉じる速度は何と時速230㎞でそれに要する時間は僅か0.1ミリ秒だそうだ。正に目にも留まらぬ動作だ。リニアには敵わないが新幹線並みの猛スピードだ。
 殆んどのスポーツは大きい選手のほうが有利だ。特にバスケットボールのルールは酷過ぎる。ダンクシュートなど豪快でも何でもない。背が高ければ誰にでもできる。こんなスポーツは見ていても面白くない。誰のシュートなのか分かるのだから背の低い選手の得点を2倍にしても良いと思う。そうすれば背の低い選手も参加できる。
 バルセロナ・オープンを連覇した錦織圭選手の天敵もやはり大男だ。2m前後の大男のサーブは強烈だ。打点が高いので角度があるだけではなく、前傾するからその分、打点が前に出る。近距離からの角度のある打球になるからサーブでは圧倒的に優位だ。だから長身の選手は殆んどがサーブで荒稼ぎをする。中にはその長所を更に生かすためにジャンピングサーブを使う選手もいる。
 スポーツは基本的には公平だ。肌の色による差別も家柄や貧富による差別も無い。男女は初めから分かれて競うから男女差別も無い。しかし身長による差別は酷い。殆んどの種目が長身のほうが有利になっている。これでは小柄だという理由だけで、体重別以外の殆んどの競技スポーツから締め出されてしまう。長身者の優位性が余りにも大きいのだから、ルールでハンディを付けるべきだろう。例えば長身であれば使えるラケットを短くするなど、小柄な選手を優遇する仕組みがあって然るべきだろう。ところがスキーのジャンプのように長身の選手のほうが長いスキー板を使えるような不合理なルールが罷り通っている。欧米人よりも背の低いアジア人は一致団結してルールの改正を訴えるべきだろう。