俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

主婦

2015-04-22 10:16:38 | Weblog
 人は収入が無ければ生活できない。収入を得るためには働かねばならない。働くとは、嫌なことを他人のために有償で行う、ということだろう。これを誤魔化すために働き甲斐という言葉をでっち上げるが欺瞞に過ぎない。多くの人は宝くじで3億円が当たったら翌日早速、嫌な上司に辞表を叩き付けて退職するだろう。
 人は最小の労働で最大の報酬を得ようとする。最小限の労役と最大限の自由時間を求める。そんな仕事があるだろうか?ある、それは専業主婦だ。子供の無い専業主婦こそ最高の仕事だ。だからこそ多くの女性が専業主婦に憧れる。「専業主夫」に憧れる男性も決して少なくないがこちらは「ヒモ」と呼ばれる恐れがある。
 電化が進んだ現代の家事は昔とは違って楽だ。洗濯は機械の仕事であり、干すことと取り入れることだけが人の仕事だ。掃除も半分ぐらいならルンバに任せられるだろう。最も手間の掛かる育児も、最初の3年間を乗り切れば随分楽になる。むしろ老人の介護のほうが大変だ。
 夫は殆んど家にいない。家にいる時間も大半が寝ている時間だ。だから出勤前と帰宅後の数時間だけ相手をすれば良い。それだけで充分な報酬を得られるのだからまるでエデンの園のような楽園だ。職場での長く不愉快な拘束とは雲泥の差だ。「三食・昼寝付き」という陰口もあった。
 昔「亭主元気で留守が良い」というCMが流行語にまでなったのは、主婦の共感を得たからだろう。収入の少ないイクメンよりも、充分に稼いで家事に介入しない夫のほうが好ましかろう。もし家事に介入されたら自分の城に侵入されるようなものだ。料理人である夫が家では余り料理をしないと言われているのは妻の欲求に応えてのことではないだろうか。
 こう考えれば「濡れ落ち葉」という言葉が流行ったのも理解できる。退職後、暇を持て余した夫が家でゴロゴロしていれば「粗大ゴミ」のようなものだ。稼ぐ力を失った夫などとっととどこかへ行って欲しいと思っていることだろう。
 キャッシュカードのような夫、つまり金蔓以外に何の役割も無い夫が1つの理想だろう。嫌なことばかりさせられる長時間の不愉快な労働と比べれば夫と共に過ごさねばならない短い時間など大した苦痛ではあるまい。コストパフォーマンスは抜群に高い。
 妻が期待する夫がこういうものであるなら夫という役割は余りにも惨めだ。「妻は性生活を伴う女中か?」と問題提起をしたのは石川達三だが、私は「夫とは種付けを伴う金蔓か?」と問いたい。

狭視眼

2015-04-22 09:40:27 | Weblog
 当事者には全体が見えなくなる。自分の傍にある小さな物は遠くにある大きな物よりも大きく見える。だから判断を誤り勝ちだ。たとえ自分にとっては重要な問題であっても、一歩離れて余裕を持って全体を眺めることが必要だろう。
 身辺に問題が発生すれば視野狭窄に陥ってそれ以外のものが見えにくくなる。失恋をすればそれだけで世界は灰色になる。現実世界が変わらなくても主観世界は灰色にしか見えない。
 歯や頭が痛い時、この苦しみから逃れるためなら何を犠牲にしても構わないと思う。もし痛みを消せるなら世界が滅んでも、悪魔に魂を売り渡しても構わないとさえ思う。だからこそ拷問は効果的だ。今、現に存在する痛みは未来の、つまりまだ存在しない苦痛よりも百万倍耐え難い。
 ドストエフスキーは「地下生活者の手記」で「何も無いよりは歯の痛みがあるほうがマシだ」と書いたが、こんな絶望感は「無」の苦しみを知り尽くしたドストエフスキーだからこそ書けることだ。神を失う恐怖と戦い続けたからこそ、神無き世界よりは邪悪な神が支配する世界のほうがマシだと考えたのだろう。私のような俗物はこんな境地には到達できそうにない。
 私は頻繁に医学批判をしているが、安易に医師を犯罪者扱いをする風潮には不満を持つ。群馬大学や神戸国際フロンティアメディカルセンターなどによる連続事故死事件は論外だが、まともな手術でも結果が悪ければプロセスまで悪かったかのように誤解され勝ちだ。患者が亡くなった責任が総て医師にある訳ではあるまい。検査での見落としは困るが根絶することは不可能だ。人はいつでも万全の体調でいられる訳ではない。ミスはあくまで過失致死であって殺人ではない。あの医師に殺されたという思い込みで起こされる医療訴訟は決して少なくない。
 もし誤診が犯罪であるなら誤審をした裁判官も犯罪者だ。時間的制約が厳しい医師と比べれば裁判官には充分な時間がある。それでも誤審があるのだから誤診は避けられない。裁判官はこのことを忘れるべきではない。
 産婦人科医が不足するのは訴訟の多さが原因と言われている。こんなことで産科医が減って一番困るのは当事者である妊婦だろう。怒りに駆られて産科医を攻撃することが医療の改善に繋がるとは思えない。むしろ医療崩壊を招きかねないと危惧する。