俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

分からない

2014-10-28 10:34:36 | Weblog
 分からないことについて勝手な推測をする人が少なくない。誰にも分からないことであればどんなデタラメであろうとも否定されない。芸能人のスキャンダルなどどうにでもデッチ上げられる。
 朝日新聞は「吉田調書」と「吉田証言」を悪用して嘘をついた。「吉田調書」の全文が公開されることによって、朝日新聞が摘み食いによって吉田所長の証言を歪めていたことが明らかになった。従軍慰安婦の強制連行については詭弁に詭弁を重ねることによって恥の上塗りをしていた。検証するならこれまでの詭弁についても検証して貰いたいと思う。これほど詭弁を並べた企業は世界史上でも稀だ。立派な反面教師だ。
 韓国には1145年に成文化された「三国史記」以前の歴史書は残っていない。廃棄された。だからこそ好きなように古代史を捏造できる。韓国の歴史ドラマはフィクションの域を超えたファンタジーの世界だ。
 児童絡みの事件では警察発表が慎重になり、断片的にしか事実が公表されない。するとゴシップ記者のような新聞記者が憶測に基づいて物語をデッチ上げる。新聞記者だった友人に聞いた話だが、自殺した女子高校生について各紙は受験勉強が原因と報じた。当時は受験競争が社会問題化していたからだ。実際に取材をしていた彼は同級生によるいじめが原因だと思ったそうだ。いじめのほうがニュースバリューが高い今であれば「いじめ自殺」として報じられていただろう。
 地震の予知は当たったことが無い。あの東日本大震災については発生確率0%と予報していたし、9月の御嶽山の噴火も警告することさえできなかった。これだけ外れ続けているのに予知できるかのように言い続けているのは焼け太りを狙っているのかこれまでの嘘と整合させるためだろう。朝日新聞と同じ泥沼に嵌っているようだ。
 天気予報には同情する。これほど常に批判に晒される予報は無かろう。実際には予報が非常に難しい日もありそんな日は「♪雨か天気か下駄に聞け♪」(クレージーキャッツ「学生節」より)と言いたくなるだろう。難しい日の予報が外れるのはやむを得ないと私は考えるが、素人は容赦しない。
 推理小説は断片的な情報に基づいて隠された真相に辿り着く高度な知的ゲームだ。事実と憶測を峻別できない人には謎は解けない。先入観を排除して確かな事実だけを積み上げて真相を解明するプロセスは科学や哲学と似ている。
 情報が足りなければ予測できないのは当たり前であり、情報が充分でも分からないことは分かり得ない。分からないことについては正直に分からないと言える勇気が必要であり、分からないことを分かっているかのように言うのは朝日新聞と地震学者とゴシップ週刊誌だ。たとえ専門家でも分かり得ないことはある。その時は正直に「分からない」と言うべきだ。分からないことをしたり顔で分かった振りをする人は恥知らずだ。ソクラテスの「無知の知」のパロディのような言い方だが、分からないということを分かる必要がある。

誘虫灯

2014-10-28 09:43:45 | Weblog
 一般車と比べて社用車は行儀が良い。社名が大きく書かれているのでクレームを受け易いからだろう。しかし例外がある。これは私が住む伊勢だけの特殊事情かも知れないが福祉関係の車のマナーが際立って悪い。強引な右折・左折など事故を招きかねないマナー違反を頻繁に行う。
 社会福祉法人の事業もあくどい。非営利目的の民間団体なので非課税とされているが、大半が巨額の内部留保を貯め込んでいるそうだ。低所得と言われる介護職員の賃上げや福祉サービスの充実に回すべきだと思うのだが搾取体質を改めようとしない。理事などによる不正もしばしば報じられる。生活保護費受給者を食い物にする貧困ビジネスと大差は無い。
 緊急時には薬によって命を救われることがあるがそれは一時凌ぎに過ぎない。治療のためには対症療法ではなく原因療法でなければならない。殆んどの慢性疾患の薬は治療効果を持たずただ単に症状を抑えるだけだ。治療効果の無い薬は患者を食い物にする製薬会社のためのドル箱商品だ。
 健康食品は殆んどが詐欺に近い。薬効が無いと証明されたから薬として承認されなかった物を、健康のために有効と偽って売る。これまでに様々な健康食品が売り出され、どれも効果が無かいことがバレて次々に新しい商品を売り出している。
 無農薬野菜も殆んどが「無農薬」ではないのだから虚偽表示商品だ。また本当に人工農薬を使っていない場合、虫に攻撃された植物は自力で体内に自然農薬(防虫物質)を作る。そうしなければ食い荒らされるからだ。ところが表面に付着した農薬であれば洗って落とせるが体内の自然農薬は洗い流せない。こんな危険性を隠蔽して安全だと嘘をついて売る。人工農薬を使っていなくても天然農薬まみれであれば無農薬ではない。
 福祉、医療、健康食品、無農薬野菜といったポジティブなイメージがある事業には悪徳事業者が群がる。花に様々な虫が集まるようなものだ。たとえ好ましい花であろうとも群がる虫は全く別だ。毒虫もやって来る。花を愛でるつもりで害虫にたかられている愚かな人が少なくない。これらに限らず美名には注意が必要だ。誘虫灯のように良い虫も悪い虫も集めるからだ。