俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

性別進化

2014-10-02 10:39:18 | Weblog
 生存競争では種として進化する。丈夫な体や敏捷性などは雌雄共通の適性だ。ところが種族内淘汰においては雌雄が異なった進化を遂げる分断淘汰があり得る。クジャクの尾羽やカエルや虫の鳴き声、シカの角、魚や虫の派手な色彩、あるいはゾウアザラシやゴリラの不釣合いに巨大な体などはオスのみに現れる。雌雄が異なった形態になるのは繁殖器官だけではない。
 外見だけではなく行動も異なる。縄張りや連れ子殺しや様々な求愛ダンス、あるいはアズマヤドリに見られる東屋作りなどはオスだけに出現する。これは脳の構造が異なるからだろう。
 種族内淘汰は2種類に分けて考える必要がある。同性間での競争とメスを巡る争いだ。同性間での競争はオスがハーレムを作る種において顕著な例が見られる。巨大なゾウアザラシはハーレムを作って他のオスを追い出し多くのメスを独り占めする。縄張り争いも殆んどがオス同士での争いだ。こんな競争であれば種の強化にも繋がり得るが、全く役に立たないのがメスによる選り好みだ。クジャクの巨大な尾羽は明らかに生存競争において不利になる。種族内競争における適者が生存競争においては最不適者になっている。メスによる選り好みが生存競争とは全く別の方向へと進化を導くことがある。
 人類も動物の一種であり男女が違った方向に進化しても不思議ではない。男女が繁殖器官や授乳器官以外でも違った方向へと進化することは大いにあり得る。
 性質として、女性は協調的で男性は競争的だと私は考えている。女性は育児、男性は外界との戦いが主要業務だったからだろう。
 雌雄の違いは優劣ではない。メスに選ばれるために派手な色彩になったオスの蝶は綺麗だが天敵に捕食され易い。生存力を比較すれば目立たないメスのほうが優れた動物だ。
 進化は生存と繁殖という2つのベクトルによって促される。この2つが矛盾すれば進化の袋小路に陥る。

腫れ(2)

2014-10-02 10:06:35 | Weblog
 動物の体は非常によくできている。生存および繁殖のためにこれ以上あり得ないほど合理的に作られている。十億年に亘る進化によって作られた。
 医療は無力だ。医療の最大の成果は病原菌の発見とそれの殺害だけだ。それ以外については自然治癒力の支援以上のことはできない。
 傷を治すのは自然治癒力だ。医療に可能なのは縫合によって出血などを止めることだけだ。医療では傷口を接合することはできない。縫合で一時凌ぎをしている間に自然治癒力が傷口を接合する。抜糸による穴を埋めるのも自然治癒力に依存する。
 骨を折った場合、折れた骨を正しい位置に戻すことならできる。しかし骨が復元することについては全面的に自然治癒力に依存する。
 風邪を治療する薬は無い。風邪薬と称される物は総て不快な症状を緩和するだけの対症療法薬だ。これはしばしば自然治癒力の邪魔をする。薬など飲まずに充分に栄養を補給して安静にすることが最善の治療法だ。
 打撲すれば腫れることがある。これは自然治癒力を通常以上に働かせるために腫れる。腫れて熱を持つのは血流量を増やすことによって自然治癒力を高めるためだ。血流量が増えれば治癒力も高まる。腫れとは人体による自動修復機能だ。腫れを抑えれば治癒が遅れる。
 ボクシングで顔面を冷やすのは腫れを抑えるためだ。これはこれで理に適っている。自然治癒力が正常に働けば顔面が腫れる。試合中に顔面が腫れれば相手のパンチが見えなくなって戦えない。だから冷やして腫れを防ぐ。これはあくまで試合のためであって健康のためではない。試合が終われば、生活に支障が生じないレベルで腫れるに任せたほうが早く快癒する。
 他の科学も同じだが、医療には効果と限界がある。科学が万有引力の法則に逆らうべきではないように、医療は自然治癒力と免疫力の妨害をすべきではない。可能なのはそれの支援と病原菌の殺害だけであり、思い上がってそれ以上のことをしようとすべきではない。できないことをできると思い込めば科学ではなくオカルトになってしまう。