俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

日本ハム

2012-01-27 15:23:31 | Weblog
 ダルヴィッシュ有投手のレンジャーズへの移籍があったので連日、日本ハムの球団名がニュースで報じられた。入札金の5,170万ドルと宣伝効果で球団および親会社は大儲けできただろう。
 古い話だが、日本ハムが球団を持つことが決まった時にチーム名を公募した。私はウィンナーズ(勝利者)が良いと思った。結果としてはウィンナーズは2位か3位で、ファイターズが1位となりチーム名に選ばれた。今でもウィンナーズのほうが良いと私は思っている。この日本人とアメリカ人にしか通じない駄洒落は捨て難い。
 winnerは英語だ。ウィナーと発音するほうが正しいがウィンナーでも通じる。
 ウィンナソーセージに当たる英語はviennnaだ。ヴィエナと読む。ドイツ語およびオーストリア語ではwienerと書きやはりヴィエナと読む。ところがどういう訳か米国語ではwienerと書いてウィーナーと読む。オーストリア語のスペルのままで英語読みをする。この米国語が日本語のウィンナーになったのだろう。米国語ではウィナーとウィーナーは似ているが違う単語だが日本語ではどちらも同じウィンナーだ。日本ハムwinnersは強そうで旨そうな球団名だと思う。
 ところで田舎町を旅行した人が喫茶店でウィンナコーヒーというメニューを見て注文したところ、ウィンナソーセージ付きのコーヒーを出されて仰天したそうだ。多分その地域独特のサービスメニューなのだろう。

見掛け

2012-01-27 15:09:08 | Weblog
 「人は見掛けによらぬもの」とは言うが見掛けの重要性は大きい。第一印象は見た目であり、会話が始まる前に相手の姿を見てしまうから第二印象・第三印象は第一印象に引きずられてしまう。一旦作られた第一印象を覆すことは難しい。
 男性のほうが異性の外見を重視するが、これはそれなりに正当性がある。男女の知力の特性は実は質的にかなり異なる。男性の知力は比較し易い。男性の知力は社会的に「役に立つ」ということを基準にして測定できる分かり易い能力だ。身長の高低と同じように客観的な評価が可能だ。一方、女性の知力は「女の勘」に代表されるように主観的かつ個人的であり優劣の比較が難しい。優劣が分からなければ評価基準にはなり得ない。女性の知力の優劣は男性には理解し難い。
 女性の知力は分かりにくい。それは勇気と同じようなものでいざと言う時にしか本領を発揮しないものなのかも知れない。そんな滅多に現れない能力を評価することは不可能に近い。
 中身が分からなくても外見なら分かる。知力が分からないからこそ女性の容姿ばかりを男性は重視する。洞察力は誰にでも備わっているとは限らないが、視力なら誰でも持っているからだ。知力が分からないので視力に頼るということだ。

人のため

2012-01-27 14:54:47 | Weblog
 こんな小咄がある。2人の男が酒を売っていたが客は誰も来ない。寒いし退屈なので、一方が相手に100円払って酒を一杯飲んだ。すると相手の男も受け取った100円を支払って一杯飲んだ。こうして2人で100円の授受を繰り返したところ、酒樽は空になり100円だけが残った。
 閉鎖した社会の中での金銭の授受は何の付加価値も生まない。外へ向かって働き掛けなければ自己蕩尽するだけだ。
 一郎が和子のために生き、和子が一郎のために生きるというケースはお互いがお互いのために生きているが、閉鎖した社会内での頼り合いであり何ら生産性を持たない。仮に他人のために生きることが尊いとしてもこれは意味があることだろうか。初めの小咄と同じようなもので閉鎖した社会での虚しい行為でしかないように思える。
 0・ヘンリーの「賢者の贈り物」では夫婦がお互いのことを思って自分の大切なものを売って、結果的には無駄になるプレゼントを贈り合う。相手のために良かれという思いが空回りをする。「人のため」や自己犠牲が奨励されているがお互いの傷を舐め合うような生き方は虚しい。それよりももっと「自分のために」生きることを考えたほうが良かろう。皆が社会のために生きるなら社会は何のためにあるのだろうか。社会の存在意義こそ問われねばならない。