俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

人類と水

2012-01-10 15:09:10 | Weblog
 人類の運動能力は投擲力以外は他の動物に敵わないが、泳力は特に酷い。魚に勝てないのは当然だが、亀やペンギンにも敵わない。歩みの鈍い亀やヨチヨチ歩きのペンギンのほうが水中では人類よりもずっと速い。50m自由形の世界記録は20秒91で時速に換算すれば約8.6km/hだ。一方、アオウミガネは時速36km、コウテイペンギンは時速60kmで泳ぐ。全く勝負にならない。実際に海中で亀を追い掛けたことがあるが、鳥のように優雅に羽ばたいてあっと言う間に引き離されてしまった。
 人類は泳ぎが苦手だ。犬や馬などは訓練しなくても泳げるが人間は教わらないと泳げない。それだけ泳ぐためには不向きな体形をしているということだろう。
 人類は泳ぎが苦手なのに古代文明は川岸で生まれた。メソポタミア、ナイル、インダス、黄河、どれも大河のほとりだ。これは飲料水や農業・畜産のためには淡水が不可欠だからだろう。一方、日本の文明はそれらとは違って海辺で発展したようだ。今でも多くの人が海辺で暮らしている。これは海洋民族だからではなく、降水量が非常に多いからだろう。降水量が多いから水不足の心配が少なく、むしろ急峻な川が多いので洪水の危険性が高い川岸よりも水位の安定した海辺のほうが安全だったからだろう。

多数決

2012-01-10 14:55:09 | Weblog
 子供の頃から多数決が大嫌いだった。昭和30年代・40年代は民主主義=多数決と誤解されていたから、今では信じ難いようなことも罷り通っていた。
 私が小学生の時に私のクラスでは「給食を残してはならない」ということが議決された。当時の給食は今と比べれば酷い物だった。脱脂粉乳はアメリカの余剰物を処分することが目的だったし、パンはどうやったらこんな不味いパンが作れるのか不思議に思うような代物だった。これは豚の餌だと私は思っていた。
 私は決議に猛烈に反対したが、教師の誘導もあり議決されてしまった。教師は偏食が少なくなれば良いというぐらいの軽い気持ちだったのだろうが、議決した子供達は厳格にこれを守らせようとした。その結果、何が起こっただろうか。給食の度に泣き出す子供や嘔吐する子供まで現れた。喧嘩にもなったのですぐに済し崩しになった。
 丁度その頃、こんな新聞記事を見た。外国の教育関係者が参観している教室で、事実に反することを生徒が多数決で決めてしまった。教師は途方に暮れて外国人に泣き付いた。外国人は即座に答えた。「真実は多数決で決めるものではない」と。
 今でも多数決の大好きな人がいる。悪しき戦後民主主義の残滓だ。多数決が多数者による横暴だと気付いていないのだろうか。

負けるが勝ち

2012-01-10 14:44:22 | Weblog
 最近では殆んど使われないが「負けるが勝ち」という格言がある。勝敗に拘り勝ちな最近の風潮からすれば「負けは負け」なのだろうが、こと一対一での議論においてはこの言葉は真実だ。議論で勝敗が決まった場合にそれぞれは何を得るだろうか。勝ったほうは満足感を得る。負けたほうは知恵を得る。どちらが得かは言うまでもない。議論で負ければ誤った考えを改めることができる。誤った考えを持った愚者が正しい考えを持った賢者になれる。これは素晴らしいことだ。「聞くは一時の恥」と同じことだ。
 スポーツにおいても同様だ。昨日のサッカー高校選手権で準優勝をした四日市中央工業は、Jリーグのユースチームなどと戦うプリンスリーグでは14戦して3勝しかしていないそうだ。強いチームと戦って散々負けたからこそ強いチームに育ったのだろう。
 失敗することも素晴らしいことだ。人は成功よりも失敗から学ぶ。一番悪いのは挑戦しないことだ。これでは失敗も成功もできないから成長しない。挑戦を回避していれば駄目になる。