俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ボクシング

2012-01-06 15:19:22 | Weblog
 ボクシングはハングリースポーツと呼ばれている。厳しい減量があるからだけではなくハングリーな精神を持つ人でなければ耐えられないほど過酷なスポーツだからだ。何の恨みも無い人と殴り合って相手に怪我をさせて初めて勝利を得られる。網膜剝離やパンチドランカーなど後遺症も多い。柔道やレスリングなどの他の格闘技は怪我をさせることを目的としていない。それぞれ一本とフォールを狙うから、相手にダメージを与えることが勝利に直結するボクシングとは明らかに質的に異なる。
 かつての日本ではボクシングが盛んだった。軽量級の世界チャンピオンを輩出し、東洋チャンピオンも大勢いた。ところがその後、衰退した。目ぼしい日本選手がいなくなりユーリ海老原選手のような輸入ボクサーに頼らざるを得ない時代もあった。高度経済成長と共にボクシング離れが進んだ。
 ところが今では日本人の世界チャンピオンが8人もいる。何が起こったのだろうか。
 多分若年層が貧しくなったからだろう。無理をしなければ生活できない社会になってしまったのだろうか。豊かな社会だったら誰もこんな苦しくて危険な職業を選ばない。バブル崩壊以降、若年層が貧しいと言われているが、その象徴が8人の世界チャンピオンではないだろうか。8人もの世界チャンピオンが、豊かさではなく貧しさの証だとすれば何と悲しいことだろう。

ギャンブル

2012-01-06 15:02:54 | Weblog
 ギャンブルにはビギナーズラックという言葉がある。初心者が幸運を射止め易いという意味だ。これは神秘的なことではなく確率で説明できる。
 サイコロを振った場合に何回目に当たるだろうか。確率は1/6だから6回目と考えそうだが、実際には3回目までに半数の人が当たる。早い時点で当たった人が賭けから降りればビギナーズラックになるが、賭けを続ければいずれ損をする。
 参加者の技量に差が無ければゲームを続けるほど大数の法則に支配されて配当金はほぼ均等に分散される。しかしギャンブルにはテラ銭があるので深追いすればするほど配当率に接近する。宝くじは配当率が50%未満なので買う度に資金は半額以下になる。これでは賭け金の半分を国に寄付するようなものだ。こんな配当率の低いギャンブルには手を出さないことがベストだが、どうしても買いたい人はできるだけ少ししか買わないことだ。運が良ければビギナーズラックに巡り合える。そして二度と買わないことだ。当たった時点で運を使い果たしたと考えるべきだ。当たったことに味を占めてまた買えば資金は毎回半額以下に減り続ける。
 ギャンブルは総て胴元が儲かる仕組みになっている。長く続ければテラ銭相当額の損を毎回積み重ねることになる。ギャンブルで儲けていると思っている人は、勝った時のことだけを覚えていて負けたことは忘れてしまう超楽天的な人だろう。

定年後

2012-01-06 14:46:45 | Weblog
 定年を過ぎても働きたい人全員を65歳まで雇用することを厚生労働省が企業に義務付けようとしている。これは労使双方にとって不幸なことになりそうだ。
 企業側としては老人を押し付けられたという被害者意識を持つだろう。その場合、老人が継続雇用を希望しないように仕向けることが一番手っ取り早い。方法は幾らでもある。最低賃金にする、3kの職場に配属する、最も相性の悪い人の部下にする、等々。
 また老人の雇用が増えれば若年層の雇用は減らされざるを得ない。そのために希望退職を募る企業もあるだろう。あるいは壮年の賃金水準を抑えるという手もある。そうなれば生涯賃金は同一のままで勤続年数だけが増えるということにもなりかねない。成長を続けている企業以外では人件費の枠は限られているのだから無理な制度は必ず歪みを生む。
 老人の個人差は非常に大きい。軽度の認知症に罹っている人もいるだろう。そんな人まで雇用できるだろうか。日本の役人はルールを定めて一律に従わせようとする。個々人は知力も体力も意欲も異なるのだから一律のルールは不合理を招く。アメリカには定年が無い。労使の利害が一致すれば何歳になっても働くことができる。厚労省の発想は老人を完全に邪魔者扱いしているが、アメリカのように貴重な労働力とは考えられないものだろうか。