俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

駐輪場(2)

2009-11-24 16:11:56 | Weblog
 駅前の大量の放置自転車を見れば、少なからぬ人は「これはビジネスチャンスではないか」と考えるのではないだろうか。明らかに駅前には駐輪場に対するニーズがあり、普通に考えれば駐輪場はビジネスとして成り立ちそうに思える。
 しかし駅前の民間駐輪場は必ず失敗する。もし朝8時から夜8時まで預かるとして1時間50円と価格設定をすれば1日600円も掛かる。こんな高額では誰も利用しない。仮に1時間10円にすれば1日120円で済むが、今度は駐輪場の経営が成り立たない。多分人件費にも見合わない。
 ショッピングセンターの駐輪場なら駐輪時間はせいぜい1・2時間だ。しかし駅の駐輪場の場合は大半が10時間前後になる。構造が全然違う。
 放置自転車が問題になるような駅には多くの人が集まる。そんな一等地で、わざわざ駐輪場のような儲からないビジネスを選ぶ人は誰もいない。土地をもっと有効活用できる方法は幾らでもある。
 但し全く対策が無い訳ではない。パリのヴェリブのような自転車のレンタル会社を作れば良い。これなら採算が合う。朝、通勤・通学に使われて昼間は置きっ放しになる自転車を、昼間は観光客や地元住民に貸し出せば、1台の自転車を2度・3度と使えるから資産の有効活用になるし、駐車スペースも節約できる。
 「駐輪」という単に預かるだけのビジネスモデルではなく「自転車を貸す」という付加価値を付けることによって双方が納得できる価格設定(例えば3,000円/月など)も可能になるだろう。

教科書

2009-11-24 15:58:01 | Weblog
 生徒は教科書を使って学ぶ。生徒は教科書に書かれていることを疑ってはならない。真実と信じて鵜呑みにすることが正しい学習方法だ。
 そんな姿勢を続けていると批判的に学ぶということができなくなってしまう。
 大学に行っても教授の言うことやテキストに書いてあることを鵜呑みにする。たまたまマルクス系の教師に出会えばマルクス主義にかぶれる。
 働き始めてからも同じことが起こる。新入社員教育で教わったことや上司や先輩に言われたことを鵜呑みにする。こうして立派な「社畜」が生まれる。
 様々なマニュアル本も「なぜ」の視点が欠けているにも関わらず「こうするのが正しい」ということを教えてくれる教科書として歓迎される。
 真面目に考えないから、いや元々考えるという習慣が無いから与えられた情報を鵜呑みにする。覚えるということしか教わっていないから考えることができず、情報同士の矛盾には目をつぶる。
 マスコミが垂れ流す情報も教科書同様に鵜呑みにされる。バナナや納豆が健康に良いと聞けば疑わずに買いに行く。
 太平洋の島国ツバルが地球温暖化のせいで水没しそうだと聞けばそれを鵜呑みにする。東京湾や大阪湾の水位は殆ど変わっていないのだから、水位の上昇ではなく地盤の沈下と考えるべきだろう。
 いつまでも教科書に頼る児童のような大人を大量生産するシステムは日本人を痴呆化する。

力への意志

2009-11-24 15:42:08 | Weblog
 ニーチェの遺稿にはかつて「権力への意志」という邦題が付けられていた。このタイトルは権力志向と誤解され易いし主旨にも背くので最近では「力への意志」と訳されることが多いようだ。
 私はこれを「向上心」あるいは「自己超克」と解釈する。
 ニーチェは「力への意志」のどこかでショーペンハウエルの「世界の本質は盲目的な生への意志」という言葉を否定し「生きているものは生を意志しない。力を意志する」と書いていた。
 人は常に自分の生き方を決めねばならない。それは多くの場合それまでの自己の否定であり今以上の自分を求める成長あるいは「進化」とも言える。
 進化は種としての適応だが、個人が自分の生き方を選択できるなら、それは個人が進化したとも言えよう。競争は他者を基準にするだけではない。現在の自分に対する競争もあり得る。
 生物が進化しなければ滅ぶように、個人も自己超克(=進化)を怠れば堕落する。生きる者は今の自分以上の者に成長することを求める。自己超克こそ主体的に生きる者の採るべき姿勢であり、これを日常語にすれば「向上心」となるだろう。
 たまたま今日(11月24日)はダーウィンの「種の起源」が発表されてから150年目に当たるそうだ。「進化」という考え方は単に生物学に留まらず経済学や社会学や医学などでも頻繁に使われているが、哲学にとっても重要な概念だろう。