俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

寝汗と治癒

2009-11-02 15:24:10 | Weblog
 寝汗をかいたから風邪が治ったと多くの人は感じる。しかしこれは原因と結果が逆になった判断だ。
 人体は体温を上げることによって免疫力を高めて病原菌と戦うが、病原菌を退治してしまえば体温を高めておく必要は無くなる。すみやかに体温を常温に戻す必要があるから大量の汗を流して体温を下げる。
 つまり病原菌と戦っている最中は体温を上げる必要があるから体温を下げる発汗作用は抑制され、病原菌が退治されたら平熱に戻すために汗をかく。寝汗をかいたから風邪が治ったのではなく、風邪が治ったから寝汗をかいたと考えるほうが正しい。このように原因と結果が逆に解釈されることはしばしば起こる。

自分のこと

2009-11-02 15:06:56 | Weblog
 簡単なパズルがある。
 二人の男の傍でススが沢山入った風船が破裂した。一人は風船のほうを向いていたために顔が真っ黒になった。もう一人は風船に背を向けていたため後頭部が汚れた。二人が顔を見合わせたら一人が即座に洗面所へと走った。どちらの男だろうか?
 誰でも解けるパズルだ。後頭部の汚れた男は、顔面が真っ黒になった男を見て自分も同じ状態に違いないと考えて洗面所へ走ったのだ。
 人間は残念ながら自分のことがよくわからない。自分の考えは正しいと思うし、自分の味覚は確かだと信じる。しかしこれらは必ずしも正しくない。
 初めてテープレコーダーで自分の声を聞いた時、それが自分の声とは信じられなかった。「機械がおかしい」と思った。しかし周囲の人の声はほぼ正確に再現されていることから、自分が思っている声よりもテープレコーダーが再現する声のほうが実際のものに近いと認識を改めざるを得なかった。
 もっと極端なのは「自分の匂い」だろう。これは自分では知覚することができない。他人だけが感じることができる。
 危機的状況に陥った場合、人は自分が置かれている状況を正確に把握することができない。大げさに考えたり逆に楽観的過ぎたりする。むしろ第三者のほうが妥当な判断を下せる。
 様々な問題に対して当事者よりもむしろ第三者のほうが適切な判断を下せるという事実から、「自分のことは自分が一番よく分かっている」という傲慢で誤った考えから脱却すべきだろう。どんな聡明な人でも自分の問題こそ決して自分一人では決めず、知人に相談してから決めねばならないということになる。

国民の健康

2009-11-02 14:48:36 | Weblog
 昨日(11月1日)長妻厚生労働大臣が「国民の健康を守るという観点から煙草税を上げる」と発表した。余計なお節介だ。「国民の『生活』を守るために増税を見送る」と言ってもらいたいものだ。
 煙草は「悪」と決め付けられているから何をやっても良いと言うのだろうか。これは「いじめ」と同じ構造だ。
 こんな変な理屈が通るのなら「国民の健康を守る」という口実でカップラーメンやコンビニの弁当にも課税して良いという無茶苦茶なことになってしまう。カップラーメンやコンビニ弁当には少なからず添加物が含まれており健康に良くないことは消費者もある程度知っているが、安いから利用せざるを得ないのが現状だ。
 長妻大臣の発言が不愉快なのはホンネを隠しているからだ。言うまでもなくホンネは「税収を増やしたい」ということだ。
 ミスター年金と呼ばれた頃の野党の長妻氏に多くの国民はエールを送った。厚生労働省が隠蔽しようとした悪事を白日の元に晒したからだ。大臣としての長妻氏にはそんな気概は全く感じられない。子育て応援手当ての執行停止など権力者としての党利党略ばかりが目に付く。
 煙草よりも遥かに有害な自動車の排気ガスについてなぜ厚生労働大臣として発言しないのだろうか。国民の健康を守るためなら煙草よりも排気ガスのほうが危急の課題だろう。
 廃棄ガスの規制は地球温暖化防止のような怪しげな理由よりも国民の健康を守るという明確な目的に基づいて行うべきだろう。どうせ増税するのなら少しでもマシなタテマエを掲げて欲しいものだ。