全国各地には、我が国の産業近代化の過程を物語るものとして、数多くの建築物、機械、文書が今日まで継承されています。経済産業省は、これらの歴史的価値をより顕在化させ、地域の活性化に役立てることを目的として、これらを「近代化産業遺産」として大臣認定し、これまでに1115件を認定するとともに、商業観光資源としての活用を提言しています。
長野県では、安曇野市、南木曽町、大桑村の水力発電関連遺産、諏訪、岡谷、上田の製糸関連遺産など54箇所が認定されています。
とりわけ、群馬県富岡製糸場が世界遺産として登録され脚光を浴びていますが、ご案内のとおり長野県の製糸業は、明治後期には全国一の生糸産地へと成長し、我が国を世界最大の生糸生産国へと押し上げる原動力となりました。その後、信州の製糸家は、初代片倉兼太郎が創設した片倉組に代表される大企業へと統合され、技術革新による増産が進むとともに全国各地に工場を展開しました。片倉組の二代目片倉兼太郎は、欧米への視察旅行で訪れた地域の文化・福祉施設に感銘を受け、このような施設を地元の諏訪に造ろうと考え、諏訪湖畔に温泉大浴場や文化交流・娯楽空間を備えた片倉館を完成させました。
この製糸業にかかわる近代化産業遺産群は、信州大学繊維学部講堂など上田市に10箇所、岡谷市に旧岡谷市役所など15箇所、諏訪市の片倉館、須坂市に旧田尻製糸繭倉など8箇所があります。
認定はされていませんが、他にも県内各地に製糸業に関連する施設などが残っているものと思われますが、松本市にも片倉兼太郎の実弟である今井五介がつくった製糸場があります。今井五介は、繭の品種改良を行い全国に広げたほか、後の松商学園となる松本商業学校の設立、後の大糸線となる信濃鉄道の敷設など、松本の近代史を語るときなくてはならない人です。しかし、今進められているイオンモールの建設計画により、製糸工場のごく一部は残りますが多くは取り壊しとなると伺っていて、今議会に関係する請願も出されているように、誠に残念至極であると感じている市民が多くいます。
この施設を残すか、活用するかということは所有者と地元自治体の意向ということになるでしょうが、先ほど申し上げましたように近代における長野県の製糸業の位置は極めて大きく、大正8年の統計では長野県の総生産量の実に7割を製糸関連業が占めていたことからも明らかであります。
その後の恐慌の中で生糸が暴落した影響を最も大きく受けたのも長野県であり、満蒙開拓に希望を見出さざるを得なかった背景にとなっています。戦後は、諏訪松本は新産業都市に指定され、生糸生産から精密産業へと発展をしてきました。
そこで長野県として、長野県の近代を支えてきた製糸業を全体的にとらえ、関連する施設を保存するとともに、地域の活性化・商業的観光資源としての活用や、子ども等を対象とした教育・学習体験施設として、大人も子どもも信州の近代の歴史を学び、そして未来を語る場所として活用することを考えてはいかがかと思いますが知事のご所見を伺います。
【知事】かつて、日本一の「蚕糸王国」と呼ばれた本県の製糸業に関連する施設には、富岡製糸場の世界遺産登録を契機に光が当たり、その魅力を発信する絶好の機会だと考えています。
個々の施設についてどう保存していくのかということは、一義的には所有者や地域の皆さんの意向を踏まえ、歴史的価値や街並み、景観、地域活性化などの観点から、まずは、市町村が中心となってご検討いただくものと思っております。
ただ県内の様々な施設を全体としてどう発信し、活かしていくのかについては県としてもしっかり向きあわなければならないだろうと認識しております。
県内には製糸業関連が所在する地域が数多くあるが、あまり知られていない貴重な施設もあります。こうした施設を掘り起こし、つなぎ、物語性を持たせることで、本県観光の大きな魅力の一つとする事ができる。また、進取の気性で常に時代をリードしてきた長野県の産業の歴史を学ぶ教育・学習の観点での活用もできると思っております。
かつて私が横浜市の副市長をしておりましたときに、横浜港開港150周年というイベントがあり、横浜開港時の最高の輸出品目は生糸であり、製糸業のつながりで信州と横浜がつながっていたと言う観点から150周年にご協力をいただき、記念式典にも長野県からご参加をいただいたということもございます。
こういう観点で、長野県のこれまでのこうした資源しっかり活かしていくという観点で、県内それぞれ各市町村の連携を支援していくということがまず必要だと思います。そのうえで群馬県であるとかあるいは横浜であるとか、シルクの道につながる県外の自治体との連携が進むよう、県としても積極的な役割を担ってまいりたいと考えています。
長野県では、安曇野市、南木曽町、大桑村の水力発電関連遺産、諏訪、岡谷、上田の製糸関連遺産など54箇所が認定されています。
とりわけ、群馬県富岡製糸場が世界遺産として登録され脚光を浴びていますが、ご案内のとおり長野県の製糸業は、明治後期には全国一の生糸産地へと成長し、我が国を世界最大の生糸生産国へと押し上げる原動力となりました。その後、信州の製糸家は、初代片倉兼太郎が創設した片倉組に代表される大企業へと統合され、技術革新による増産が進むとともに全国各地に工場を展開しました。片倉組の二代目片倉兼太郎は、欧米への視察旅行で訪れた地域の文化・福祉施設に感銘を受け、このような施設を地元の諏訪に造ろうと考え、諏訪湖畔に温泉大浴場や文化交流・娯楽空間を備えた片倉館を完成させました。
この製糸業にかかわる近代化産業遺産群は、信州大学繊維学部講堂など上田市に10箇所、岡谷市に旧岡谷市役所など15箇所、諏訪市の片倉館、須坂市に旧田尻製糸繭倉など8箇所があります。
認定はされていませんが、他にも県内各地に製糸業に関連する施設などが残っているものと思われますが、松本市にも片倉兼太郎の実弟である今井五介がつくった製糸場があります。今井五介は、繭の品種改良を行い全国に広げたほか、後の松商学園となる松本商業学校の設立、後の大糸線となる信濃鉄道の敷設など、松本の近代史を語るときなくてはならない人です。しかし、今進められているイオンモールの建設計画により、製糸工場のごく一部は残りますが多くは取り壊しとなると伺っていて、今議会に関係する請願も出されているように、誠に残念至極であると感じている市民が多くいます。
この施設を残すか、活用するかということは所有者と地元自治体の意向ということになるでしょうが、先ほど申し上げましたように近代における長野県の製糸業の位置は極めて大きく、大正8年の統計では長野県の総生産量の実に7割を製糸関連業が占めていたことからも明らかであります。
その後の恐慌の中で生糸が暴落した影響を最も大きく受けたのも長野県であり、満蒙開拓に希望を見出さざるを得なかった背景にとなっています。戦後は、諏訪松本は新産業都市に指定され、生糸生産から精密産業へと発展をしてきました。
そこで長野県として、長野県の近代を支えてきた製糸業を全体的にとらえ、関連する施設を保存するとともに、地域の活性化・商業的観光資源としての活用や、子ども等を対象とした教育・学習体験施設として、大人も子どもも信州の近代の歴史を学び、そして未来を語る場所として活用することを考えてはいかがかと思いますが知事のご所見を伺います。
【知事】かつて、日本一の「蚕糸王国」と呼ばれた本県の製糸業に関連する施設には、富岡製糸場の世界遺産登録を契機に光が当たり、その魅力を発信する絶好の機会だと考えています。
個々の施設についてどう保存していくのかということは、一義的には所有者や地域の皆さんの意向を踏まえ、歴史的価値や街並み、景観、地域活性化などの観点から、まずは、市町村が中心となってご検討いただくものと思っております。
ただ県内の様々な施設を全体としてどう発信し、活かしていくのかについては県としてもしっかり向きあわなければならないだろうと認識しております。
県内には製糸業関連が所在する地域が数多くあるが、あまり知られていない貴重な施設もあります。こうした施設を掘り起こし、つなぎ、物語性を持たせることで、本県観光の大きな魅力の一つとする事ができる。また、進取の気性で常に時代をリードしてきた長野県の産業の歴史を学ぶ教育・学習の観点での活用もできると思っております。
かつて私が横浜市の副市長をしておりましたときに、横浜港開港150周年というイベントがあり、横浜開港時の最高の輸出品目は生糸であり、製糸業のつながりで信州と横浜がつながっていたと言う観点から150周年にご協力をいただき、記念式典にも長野県からご参加をいただいたということもございます。
こういう観点で、長野県のこれまでのこうした資源しっかり活かしていくという観点で、県内それぞれ各市町村の連携を支援していくということがまず必要だと思います。そのうえで群馬県であるとかあるいは横浜であるとか、シルクの道につながる県外の自治体との連携が進むよう、県としても積極的な役割を担ってまいりたいと考えています。
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