4回目となった福島脱原発ツアーに、沖縄県の中部地区労の新垣昭洋さん(沖縄市職労委員長)と喜名孝さん(浦添市職労書記長)が参加しました。今、沖縄では辺野古と東村高江の新基地建設反対のたたかいが行われています。国策によって、国民の基本的人権が奪われている状態は、沖縄も福島も同じだと思います。しかし、その基本的人権を取り戻すための県民のあり様は異なります。沖縄では県知事をはじめ衆参の国会議員すべてが新基地建設反対であり県を上げて安倍政権と対峙しています。しかし、福島では「原子力緊急事態宣言」のもとで緊急事態だから基本的人権を制約しても構わないという自民党改憲草案の緊急事態条項がすでに適応されています。追加の被曝線量を勝手に20ミリシーベルトに引き上げて「福島は安全だ。帰ってきても大丈夫」という宣伝が行われ、放射能に対する不安を口にすることさえできません。いったい、この違いは何でしょう?
沖縄は、古くは琉球王国として独立した国でした。明の冊封(さくほう=名目的な君臣関係)国でしたが、1609年薩摩藩の島津氏により攻撃され、琉球王国は薩摩藩の従属となりますが琉球王国は維持されていました。1872年明治政府は廃藩置県により琉球藩を設置しましたが、琉球王国はこれに従わなかったので1879年武力的威圧により沖縄県が設置され450年に及ぶ琉球王国の支配が明治政府に変わります。太平洋戦争で松代大本営をつくるための時間稼ぎで沖縄において地上戦が戦われ、敗戦後も1972年まで米軍の占領下におかれ、復帰後も日米安保のもとで米軍基地が置かれ続けてきました。占領下にあった時代から沖縄県民の基本的人権を勝ち取る粘り強いたたかいが一方でありました。
沖縄には「命どぅ宝」(ぬちどぅたから=命こそ宝)という言葉があります。最後の琉球王尚泰が語った言葉と言われています。実際は後に戯曲の中で使われた言葉だそうですが、今でも沖縄の人々の平和を願う言葉として大切に使われています。私は、沖縄の皆さんの闘いは、この“命こそ宝”という精神を具現化しようとしているものだと思っています。しかし、憲法の基本的人権こそ守られなければならない普遍的な価値であり、そのための努力を憲法は国民に求めているにもかかわらず、実行しているのは沖縄であり、実行できていないのが私を含む本土の人間ではないかと思います。
1953年朝鮮戦争の時、浅間山に米軍演習場をつくる計画がありました。長野県民あげての戦いの中で撤回させた歴史があります。“命こそ宝”が実践されたのです。命が、基本的人権が、踏みにじられている現実にまずは向き合うことから始めたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます