
今日は「国際反戦デー」。1966年10月21日に日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。この日は奇しくも、1943年に学徒出陣壮行会が明治神宮外苑競技場で開かれた日でもあると、主催者の西村忠彦先生が紹介してくれた。
映画に先立って、日本で最初に住民投票を実施した新潟県巻町元町長笹口孝明氏から、当時の様子について講演がありました。
笹口氏。巻町は日本ではじめて住民投票が行われた。賛成でも反対でもなく、大事なことは住民の総意で決めようと言う運動です。最初は大型レジャーランドをつくるということで土地が取得された。新潟日報がスクープで原発建設が明らかになった。私の前の町長が急に原発推進をいい始めた。
笹口氏。当時の町長に町民は原発建設まで託してはいなかった。だから住民投票を始めた。当初、住民投票を町が行うよう求めた。50畳のプレハブをたて、事務所をつくり、自らが後ろ向きにならないようにマスコミ発表をした。町は条例がないのでできないという返答。
笹口氏。原発賛成派はボイコット運動を始めた。原発反対派は、住民投票で原発を止める会をつくった。投票は公正さの確保に全力をあげた。立会人には弁護士、学校の先生、町長の後援会のみなさんにお願いした。平成7年1月21日に投票が行われた。
笹口氏。マフラーやマスクして投票にくる人もいた。投票率45.5%、原発反対票は9853票となり、佐藤町長の9006票を上回った。そこで佐藤町長と面会し、町有地の売却するなと申し入れたが、投票は関係ないという態度。議会の審議では、町民が大勢集まって議会の開会を阻止した。
笹口氏。議会で住民投票条例が可決された。町長リコールを行うことにした。1万人を越える署名が集まり町長は辞職し、笹口氏が町長となった。平成8年8月4日に行われることになり、それぞれが運動を大展開した。この運動のなかで町民は結果としていろんなことを勉強した。
笹口氏。投票率88.2%。原発建設反対61.2%。町有地の売却をしないことを宣言。いろいろあったが最終的に断念させた。町民は誇りを持っている。福島原発事故を見て、自分達の選択の正しさを確認した。






