
2月7日、元衆議院議員の清水勇さんの葬儀がありました。旧1区選出で6期17年間、長野県の労働界の重鎮としてがんばってきた方です。一線を退いて以降も、亡くなるまで護憲連合や日朝県民会議の代表をつとめてきました。社民党からは、渕上貞雄副党首に参列いただきました。
私は、清水さんが現役時代は、1992年から93年の1年間、当時青年対策部長として社会党県本部執行員会で1年間一緒でした。覚えているのは、清水勇さんと一緒に遊説車に乗っていた、アナウンサーが、清水さんにそっくりで、それほど大衆をひきつける魅力のある人だったということです。心からご冥福をお祈りいたします。