その根拠は、この2ヵ月後にやはり「朝日新聞」に投稿された「無駄な通勤」という投書である。
「官吏にしても会社員にしても只周囲に対する面子だけで勤務先に辿りついてはいないか。(中略)何ら実質的な仕事はやらないで匆々に引き揚げる。此の上なく非生産的である。だから大空襲の翌日、交通混乱の場合は生産関係者のみの乗車に局限し、さうでない勤人の通勤はやめさせて、地域別に勤労奉仕に動員しては如何。」(朝日新聞1945年4月19日)
戦争という非常事態下である。なおかつこの投書の4日前と6日前には、東京は大空襲に遭っている。そんな時でも、当時のサラリーマンたちは通勤電車に揺られて定刻通りの「出勤」を目指していたのだ。ここまでくると、勤勉とか、真面目だとかいう美談ではなく、もはや「狂っている」といっていいレベルだ。
個人的には、この狂気の根は、日本人ならば生まれ落ちてから大人になるまでに必ず刷り込まれる、「みんなのため」という名の「罪悪感」だと思っている。先ほど紹介した終戦半年前の「朝日新聞」の記事のなかで、空襲を受けてもなお、不眠不休で働いた学徒の中の一人がこんなことを言っている。
「自分たちが作り上げた飛行機が目前で焼かれたとき僕は獨りで泣いた。前線勇士に申し訳ないのです」
自宅作業、リフレッシュ休暇、産休、育休…。これまでも働く者たちを、少しでも「出勤せねば」という強迫観念から解放させようという制度がつくられてきたが、どれもあまり効果をなさないのは、「仕事を休んで迷惑かけて申し訳ない」という罪悪感があるからだ。
だからこそ、「台風休暇」のように、自然災害ということで有無も言わさず誰もが一律で出勤をしない制度が必要なのだ。ここを入り口に、70年以上かけて刷り込まれた「休んで申し訳ない」を少しずつ消していくしか、日本人を悪夢から救う道はない。⇒続きはコチラ・・・・
「官吏にしても会社員にしても只周囲に対する面子だけで勤務先に辿りついてはいないか。(中略)何ら実質的な仕事はやらないで匆々に引き揚げる。此の上なく非生産的である。だから大空襲の翌日、交通混乱の場合は生産関係者のみの乗車に局限し、さうでない勤人の通勤はやめさせて、地域別に勤労奉仕に動員しては如何。」(朝日新聞1945年4月19日)
戦争という非常事態下である。なおかつこの投書の4日前と6日前には、東京は大空襲に遭っている。そんな時でも、当時のサラリーマンたちは通勤電車に揺られて定刻通りの「出勤」を目指していたのだ。ここまでくると、勤勉とか、真面目だとかいう美談ではなく、もはや「狂っている」といっていいレベルだ。
個人的には、この狂気の根は、日本人ならば生まれ落ちてから大人になるまでに必ず刷り込まれる、「みんなのため」という名の「罪悪感」だと思っている。先ほど紹介した終戦半年前の「朝日新聞」の記事のなかで、空襲を受けてもなお、不眠不休で働いた学徒の中の一人がこんなことを言っている。
「自分たちが作り上げた飛行機が目前で焼かれたとき僕は獨りで泣いた。前線勇士に申し訳ないのです」
自宅作業、リフレッシュ休暇、産休、育休…。これまでも働く者たちを、少しでも「出勤せねば」という強迫観念から解放させようという制度がつくられてきたが、どれもあまり効果をなさないのは、「仕事を休んで迷惑かけて申し訳ない」という罪悪感があるからだ。
だからこそ、「台風休暇」のように、自然災害ということで有無も言わさず誰もが一律で出勤をしない制度が必要なのだ。ここを入り口に、70年以上かけて刷り込まれた「休んで申し訳ない」を少しずつ消していくしか、日本人を悪夢から救う道はない。⇒続きはコチラ・・・・