長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

「楽園を破壊したもの」(創世記3:6-19、2014年5月25日、池田中央教会にて)

2014-12-31 13:34:46 | メッセージ

人類の歴史の中には、数多くの痛ましい失敗があります。なお悲惨なことは、自分の過ちがどんなに大きな結果をもたらしたのか、知らないでいることが多いことです。人類の祖アダムの場合も同様でした。神様のご命令を破ったことを知られた神様は、アダムに問われます。「あなたは、いったいなんということをしたのか」と。何かが変わりました。ひと言で言えば、楽園が破壊されました。私たちは、罪のもたらす結果がどんなものか知っているでしょうか。

一、神と人との関係の破壊

まず、平和と喜びに満ちた神様と人間との関係が破壊されました。神様と人間との間には、親しい愛の交わりがありました。ところが、罪を犯したアダムとエバは、神様の臨在が近づくのを知ったとき、思わず身を隠してしまいました。神様の前に喜びをもって出る自由が失われてしまいました。

 二、人と人との関係の破壊

次に、人と人との関係が破壊されました。「楽園」において、最初アダムは一人でした。沢山の動物たちに囲まれていても、彼は満足しませんでした。エバが造られアダムの前に立ったとき、彼はようやく満足を得ました。「私の骨からの骨、私の肉からの肉」と喜びました。しかし、罪を犯した直後、彼は自分の罪の責任をエバに着せてしまったのです。

三、自然と人との関係の破壊

更に、自然界と人との関係も破壊されました。実り多かったはずの地はのろわれ、茨とあざみを生えさせ、楽しかったはずの労働は苦痛の多いものとなりました。

四、回復への道

これらのことは、人間の歴史において、また私たち自身の経験において、繰り返されているのではないでしょうか。今も罪によって、神様との関係、人との関係、自然との関係は、破壊され続けているように見えます。しかし、神様は、回復の道をも備えてくださいました。十字架に死に、よみがえられた神の御子イエス様こそは、その道です。このお方によって、罪赦され、破壊された一つひとつを回復して頂いて、悲しみ多いこの世にあっても、「楽園」を回復して頂こうではありませんか。

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