長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

母の思い出

2012-05-14 08:50:30 | Weblog
母の日は終わったけれど、昨日の続きで、少し母の思い出を川柳でたどってみたいと思う。

呆けてない母が不憫で出る涙
母は死ぬまで呆けなかった。
そのため、私が、母の見舞いに行くと、嫁のこと、キョウダイのことなどを愚痴っていた。
まるで、こんな思いをするくらいなら、呆けてしまって何も分からなくなったほうが幸せだというように。
それでも、嫁もキョウダイも、近くにいるだけに、いろいろと世話を焼いてくれて、私からすれば、感謝しなければならない。

卒寿すぎグループホーム住家なり
入院していて、3ヶ月?くらいすぎてから、病院を出なければならなくなって、老人ホームへ入った。
そこで、死ぬまで半年?くらい住んでいた。
私も、時々見舞いに行っていた。
といっても、新幹線で2時間かかるところなので、何ヶ月に一度しか見舞いにいけない。
昼に一緒に食事をするように、駅弁を持って行って、母と食事をすると、梨など老人ホームで出されたものをそっと、私に呉れた。
おいしいものがあると、いつもわたしのそっと呉れたように。

母からの手紙の文字が震えてる
母は死ぬ前3ヶ月くらいまで手紙を呉れた。
よくその歳になってまで、手紙が書けるものだと感心したものである。
それでも、最後のほうの手紙は、手が震えるのか、文字がミミズの這ったような字となっていた。
しかし、よくそんな難しい漢字を知っていると感心するくらいの漢字も書いていたのには驚く。

体重が増えて喜ぶ母元気
老人ホームに入った頃には、かなり体重も減っていた。
もともとは、母は農業をやっていたために、骨もがっしりしており、体重もかなりあった。
それが、やはり食べることがあまり出来ないために、だんだんとやせ衰えてきていた。
しかし、私が行ったときには、3キロぐらい体重が増えていたのか、まだ元気で生きられるというように大変喜んでいた。