那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

簡単に雑談

2012年11月09日 | 雑談

さんざん探していたフラッシュメモリーが思わぬところから出てきた。約2年以上前の数年間の文書が保存してあったが、ああ、これじゃ倒れるはずだわ、とマジに思った。

まず映画雑誌に寄稿した網羅主義的というか異常に緻密な戦前の小型映画の論文がぎっしり入っている。これは以前に書いたものを単行本にするためにメモリに入れておいてさらに推敲したもののようだ。自分で読み直しても、この著者はやたら細部を気にする人間でパラノイア的だなぁ、と自分がまるで他人のように思える。

さらに、2つの民事事件に対する本人訴訟の文書が膨大にあり、さらに被害届が2つ、論文の合間を縫うように入っている。しかも入退院を繰返し、危篤になった前後のものが大半だ。こんなことやっていて、よく命が残っていたものと思う。

しかし、今現在の生活を見ても大差ない。これは私の父も、私の母方の祖父も共に助役歴があり、人に頼まれたことは忘我状態でこなし、そのあと熱を出して寝込むタイプの人間だったらしいので、その血がなせるものだろう。祖父の時代は自宅が役場を兼ねた形になっていたようだ。朝、家の前に何十人も並んでいたという母の記憶があり、歴史の本にそういう時代があったと書いてあった。郵便局も最初の頃はそうだった。

私が皇太子妃の「所謂適応障害」を批判するのは、私自身が超神経質から鬱病になり(適応障害は軽い鬱病のようなもの)そういうタイプの人間の行動と性格を知悉しているからだ。公務をサボって娯楽を優先するような鬱病など聞いたことが無い。

論文に関して言えば、ネット検索で得た情報を論文に引用するのはやむをえない場合を除き手抜きとされていたので、例えば大阪万博が何年の何月何日から始まり何月何日に終わったのか、ネットで調べることも、他の書籍で調べることも可能なのに、わざわざ国会図書館まで行って過去の新聞を調べたものだった。
 ところがこういう効率の悪いことを地道にやっているとついでにその前後の記事を読むために細かな時代状況が分かってくる。時代状況が分かれば映像作品の不可解だったシーンが推測できる、といった具合に、急がば回れで、無駄なように見えることが実は大きな宝物になる。

そういえばある恩師に頼まれた書評をまだ書いてない。その他、色んな友人にも不義理をしているが、そういう状態にあることをご理解願ってご寛恕いただきたい。私がサボるのは余程心身が衰弱しているときで、今年来た年賀状にすらほとんど返事を出していない。ま、危篤状態になって2週間意識不明になれば私の言っている事がわかるでしょう。主治医は「1年入院すれば元の体になるんだけどなぁ」と心配してくれています。

本当に、ポレポレの精神で生きたいですね。ではこんなところで失礼。

民法766条改正

2012年11月09日 | DV法批判
http://www1.odn.ne.jp/fpic/familio/familio054.html より一部引用

第1 民法第766条の改正

民法の一部改正は、平成23年5月27日に成立し、公布された同年6月3日から1年以内に施行されることになっています。
第766条は、いわゆる協議離婚に関する条項の一つです。協議離婚の問題点については、この「ふぁみりお」でも、再三にわたって取り上げてきましたが、この条項は、次のように改正されました。

(離婚後の子の監護に関する事項の定め等)
第766条 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
2 前項の協議が調わないとき、又は協議することができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。
3 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
4 前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。
国会の附帯決議(平成23年4月26日衆議院法務委員会)
5 離婚後の面会交流及び養育費の支払い等については、児童の権利利益を擁護する観点から、離婚の際に取決めが行われるよう、明文化された趣旨の周知に努めること。また、その継続的な履行を確保するため、面会交流の場の確保、仲介支援団体等の関係者に対する支援、履行状況に関する統計・調査研究の実施など、必要な措置を講ずること。
国会の附帯決議(平成23年5月26日参議院法務委員会)
11 離婚後の面会交流及び養育費の支払い等について、児童の権利利益を擁護する観点から、離婚の際に取決めが行われるように明文化された趣旨の周知に努めるとともに、面会交流の円滑な実現及び継続的な養育費支払い等の履行を確保するための制度の検討、履行状況に関する統計・調査研究の実施等、必要な措置を講ずること。

FPICでは、平成6年からFPIC連続セミナー「子どもがいる夫婦の離婚」及びFPIC面接交渉セミナー「離婚後の親子の関係を考える」を開始し、養育費と面会交流の大切さを、17年間にわって力説してきました。
「ふぁみりお」第12号(平成9年1月25日発行)に掲載のFPIC連続セミナー「離婚後の親子の面会及び交流」の中で、「この権利(編注 面接交渉権)を明文化した規定は現行の法律にはありません。内容的には、民法第766条で協議離婚をするときに、父母が「子の監護をすべき者その他監護について必要な事項」を協議して定める場合の『その他』の事項に当たります。平成8年1月16日の民法改正要綱案では、『その他』の事項を『父又は母は子との面会及び交流、子の監護に要する費用の分担その他監護について必要な事項』と明定しています。前述の『面接ないし交渉』から『面会及び交流』という表現に落ち着く過程を経るなかで、雌伏30余年、遠からぬ日に『その他』の時代の終わりを迎えることができるでしょうか」と嘆いていますが、それから更に14年後にやっと改正要綱案のとおりの改正が行われたことになります。
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凄く硬い文章ですが、要するに協議離婚にしろ調停離婚にせよ、非常に曖昧で母親有利に出来ていた面接交渉権について、「面会およびその他の交流」をきちんと明文化するように決まったわけです。大体「面接交渉」なんて就職活動でもあるまいし変な用語だと思っていました。これは大きな前進ですね。この法律が3年前に出来ていれば私も今のような苦労はしませんでした。もっとも3項に抜け穴がありますが。

それから、その関係の交流支援をしている関係者につい先ほど聞いたのですが、DVシェルターについても、本当に暴力を受けている女性を保護する施設と、金儲けのためにやっているところとの落差が激しい、とのこと。だとしたら悪徳業者の口車に乗って一時的に心身を休めるつもりで入ったら、こんなはずじゃなかった、と思う間もなく洗脳され人生が台無しになるじゃないですか。

第一DVシェルターはどこに存在し、どういう生活を送っているのか一切秘密(議員等は別)になっています。運営が公共か民間かさえ分かりません。オープンにすると何か都合悪いことでもあるのでしょうか?頑丈な門扉があり警備員がいるのですから、夫が乗り込んで行っても追い払われるだけです。
 一般市民の死角に隠れている牢獄、タコ部屋以上に得体の知れない施設です。こういうのも情報公開の対象にすべきでしょう。


人気ブログの大半は愛国運動、アンチカルトになっていますから、私の出番はありませんが、ときどきこういう情報を流すことにします。
では失礼。

離婚による子供への影響

2012年11月08日 | DV法批判

忙しくて昨日はブログをサボってしまいました。ネコの手も借りたい毎日です。

そういうわけで、今日は簡単に。

このブログが入ってある「ロータス人づくり企画」(左下のブックマークをお気に入りに入れてください)の「お奨めリンク集」に「親子ネット」というサイトを紹介している。
 これは現在のDV法がいかに欠陥だらけのものか証明しながら法律改正を求めて積極的に運動をしている団体で、非常に共感するところが多い。

現在3組に1組が離婚という世の中。私もそうだし、私の友人にも離婚で悩んでいる人間は多い。そういう離婚問題に悪い意味で介入してくるのがDVシェルターである。
 DVシェルターは別名「離婚屋」「洗脳館」とも言われ、離婚させ生活保護家庭に送り込むことで助成金を得ているために、一番困るのが夫婦が直ぐに和解することだ。「ゴミぐらい片付けろ。何度言えば分かるんだバカ」と言っても言論の暴力になり妻子が隔離されるハメになる。手を差し伸べて、助けますよ、と言って地獄に落とす経済マフィアがDVシェルターの仕事と思っていい。本当の暴力で隔離されているのは20%未満と言われている。

詳しいことは「親子ネット」に譲るが、私の経験でも離婚調停中に元妻側が一円も出していない現在私が住んでいる家屋を「財産分与」という形でお金にしてよこせ、と要求してきた。これには元妻の母親すら「そんなことを娘が言うはずがない」と不思議がっていた。笑ったのは結婚式も挙げていないのに結婚式費用の分担まで要求してきたことで(婚姻費用ではない)、元妻の意思か代理人弁護士の知恵か知らないが、ゼニゲバとしか思えない要求が次々と出され、全て妻側が却下された。もっとも子供との面接交渉権など未だに争いが続いている。ともかく一旦DVシェルターに入ってしまった限り、ほとんどの場合妻子共に不幸な境遇から抜け出ることはできない。一生餌食にされると思えばいいだろう。しかも本人たちはそれに気づかないように用意周到に仕組まれている。
 
また私の友人は現在協議離婚を勧めているが、友人が4000万、その妻が2000万出し合って家を購入し、しかも奥さんは子供への虐待行為すらあったのに、財産分与に奥さんは一円も渡さないと主張している、と言って友人は苦労している。

ところで夫婦は所詮他人だから憎しみ合って別れても仕方ないが、可哀想なのは巻き沿いにあった子供たちだ。以下「親子ネット」から引用して今日のブログを終える。
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<引き離し・片親疎外による子への影響について>
アメリカ国内では、引き離し・片親疎外についての統計上の研究も盛んに行われており、以下のような研究結果が明らかになっている。“引き離しによる子への直接的な影響”は、片親やその親族などを失うことによる「喪失体験」→「悲嘆反応」、また「内面化」→「自己否定」によって、別居親に対する否定的な印象が作り上げられる。
また、これらの傾向は、幼少期でも3歳以下ではあまり出ず、4歳以上になって生じてくる傾向が強い。

“片親疎外による心理的影響”については、「自己肯定感の低下」「抑うつ傾向」「アルコール依存傾向」「アタッチメント行動の混乱型」などの症状がでることが浮き彫りになっている。

また、引き離し後の監護状況が安定している場合において、2つの家を行き来する生活によって、子どもは混乱するのではないか?と懸念することは、日本国内において監護する親がよく指摘しがちな内容であるが、研究結果は、「面会交流を実施しているほうが、情緒面、行動面、学業面のすべてにおいて、評価点が高い」ことが、統計学の観点からも揺ぎ無い結果となっている。

山本玄峰の伝記を紹介します。

2012年11月05日 | 書評、映像批評
以下は、ずっと昔に書いた書評で、このブログに書いたと思っていたら無かった。どうにか見つけ出すことができたので採録します。まだ禅の稽古はしておらず鬱病にかかっていた頃の書評です。この本が出版された直後に買って書評を書いたような記憶があります。


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『再来 山本玄峰伝』(帯金充利著、大法輪閣、平成14年発行)


私は山本玄峰(やまもとげんぽう)の名前を、以前に読んだ2冊の本の中で知っていた。一冊は血盟団事件の黒幕であった井上日召の自伝「一人一殺」の中で、もう一冊は、戦前武装共産党のリーダーでありながら獄中で右翼に転向し、戦後は政界のフィクサーとして活躍した田中清玄の「田中清玄自伝」である。
 この超大物右翼の二人が、二人揃って師と慕い、薫陶を受けた男がこの禅僧・山本玄峰である。
 そういうわけで私はこの僧の名前はかなり以前から知っていたが、彼の生い立ち、人となりはこの本ではじめて知ったしだいである。

山本玄峰は生まれてすぐに養子に出された。一説には籠に入れて捨てられていたのを見つけた養父が酒を吹きかけると息を吹き返した、という。養子先は広い山林を持つ大地主であり、彼はそこのお坊ちゃんとして、手配の樵たちに大事に育てられ、同時に10代で、飲む、打つ、買う、の道楽を覚えた。後に結婚をして家督を譲り受けるが、玄峰自身の言葉によれば、若い頃の女遊びが原因で、すなわち性病のために目を患い、盲目となった。
 
盲目となった彼は、離婚して家督を弟に譲り、目が見えるように願を立て、四国八十八ヶ所の霊場めぐりを8度することを誓う。盲目の、しかも裸足での霊場参りである。その苦労は尋常ではなかっただろう。
 そして、なんと事実8度目の巡礼の途中で、かすかに目が見えるようになるのである。玄峰はこれを機に禅寺に入って修行を始める。

彼は学問もなく、目が見えるようになったといっても強い弱視であった。彼が後に禅宗妙心寺派の管長にまで登りつめたのは奇跡としか言いようがない。小僧たちに漢字の読み方から習い始め、夜、人が眠っている間にも座禅を組み、「線香に火をともして」読書をした。
 こうして、キチガイのように禅を組み、公案を解き、心を鍛え上げて、「白隠禅師の再来」と言われるほどの逸材となった。

第二次世界大戦のさなか、誰よりも早く「無条件降伏」で連合国に負けることを最善の策として認識し、敗戦時の総理大臣鈴木貫太郎に首相就任を進めたのも彼なら、終戦の勅語にある「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」の文句も彼のアドバイスによるものであり、また「象徴天皇制」のあり方を時の総理に提言したのも彼であった。

この本は、僧侶としての玄峰がどれほど激しい修行をし、また荒れ寺を次々と復興していくさまを詳しく記しているが、私の関心はそこにはなかった。
 禅僧がいかにして悟ったか、それが知りたかった。
彼の修行の眼目は

「性根玉(しょうねったま)を磨け、陰徳を積め」

の二言に尽きる。
 陰徳を積め、は私にも理解できるし、また私自身もそれを実行しているつもりである。
しかし、性根玉を磨け、という言葉は、鬱病の私には辛かった。頭で理解しても、そうすることが治療上は最も悪いことなのである。担当医も同じことを言うであろう。鬱病患者が根性を鍛えるのは、自殺行為に等しいことなのだ。
 私が剣道に夢中になっていた10歳から15歳までの間は、この根性論が大好きだった。人が寝ているときに寮の屋上に出て500回の素振りをし、「剣禅一如」と書かれた日本手ぬぐいで髪の毛を巻いて、「剣道はスポーツではない、殺し合いだ」という気迫でいつも試合した。おかげで中学生になって以来、公式試合では一本もとられぬまま連勝を続けた。
 この気迫は、甲南大学在校時に、3ヶ月だけ早稲田大学受験のための勉強に打ち込んだとき、また、大学院受験に反対する母が投げ捨てた本を拾い集めて受験勉強をしたとき、そして、恩師の命に従い、英語論文を2度書いたときに役立った。まさに鬼人になれた時期があった。
 しかし、今の私は、「性根玉を磨く」厳しい修行には耐えられない。逆に言えば、この時期は、心に力を入れない練習をすることが、私にとっては「性根玉を磨く」修行なのである。

そういう意味で、玄峰の自伝の内、鬼のような修行に打ち込む彼の姿が描かれている部分は、私には読むのが辛かった。
 ただ二つ、この本で気に入った部分がある。

それは、玄峰が無類の酒好きであり、90を越えても(彼は96歳まで生きた)晩酌に3合から4合の酒を欠かしたことがなかったという事実である。これは、自責の念に責められながら毎夜酒を飲む自分への慰めとなった。
 ちなみに、僧侶にとって飲酒は、戒律の一つ「不飲酒」を破ることを意味する。悟りの頂点を極めた人物が破戒の大酒のみだったことを知って、私は大いに救われたような気がした。
 もっとも彼はどんなに飲んでも乱れず、二日酔いで起きられないようなことはなかったという。このあたりは、一度肝臓を壊して、大酒を食らった翌日には背骨(肝臓)が痛む私には真似できない。ともあれ節度を持ちながら、一生酒と付き合ったいいんだな、ということを玄峰の自伝から認可されて嬉しかった。

もう一つは、玄峰が引用する北条時頼の歌に感銘を受けたことである。

 心こそ心迷わす心なれ心に心心許すな

という和歌であり、ここに禅の奥義があり、セルフコントロールする秘訣がある。
 日蓮はよく知られているように、法華経以外の全ての経典を否定したから、禅宗に対しては「禅天魔」と批判し、「心の師となるとも心を師とせざれ」という有名な文句を残している。この日蓮の言葉と時頼の法歌は同じことを示している。
 対自的な我を鍛えること、強烈な自我を育成すること。そのことは私には良く分かる。そして、今もう一歩のところにきているのだが、なかなか自分の思うがままに自分の心を統治することは難しい。
(もっとも、この自我論はあくまでもフロイトの説く自我心理学の見地からのべたものであり、禅においては「我」など「無い」と断言するだろう。しかし、それは悟りの境地から見た話であり、ここではあくまで「常識」の範囲内で解釈しておく)

ところで、この本は「人間にとって徳がいかに大切か」ということを説いた本であり、山本玄峰は近代まれに見る「有徳」の人として描かれている。
 さて、このような山本玄峰に近い人物が私の周りにいるだろうか?と考えてみた。玄峰師ほどの傑物はいないが、人徳のある人物は何人かいる。私の交友関係は、学者、芸術家、民族派(右翼)、といった面々が多いので、中には何人か陰徳を積んで、一般人よりも高い境地にいる人物がいる。

鬱病の私にとって、この本は一部は大いに参考になったが、一部は参考に出来なかった。
この本は、「男を磨きたい青年」に向いている。勝海舟の数冊の本(「氷川清夜」や「海舟座談」など)とともに必読書と言えよう。


徒然なるままに

2012年11月05日 | 雑談

アレコレ忙しく、さすがに今日はブログをサボろうと思ったが、2時間ほど横になって今起きたら余力が残っていたので、クリシェな題名だが、30分ぐらいで何か書こうと思う。

「徒然草」だったと思うが、現代風に訳すと息子が父親に「パパ、仏様はどうやって仏様になったの?」と聞くと父親が「偉い仏様について修行したからだよ」と答える。息子がまた「その偉い仏様はどうやって仏様になったの?パパ」と何度も質問するので、父親はとうとう答えられなくなった、という逸話が出てくる。

これは明らかに法華経、および本覚思想が背景にある。

修行をして仏になったのではない永遠の昔から仏だった、というのが法華経の値打ちで所謂原初仏が想定される。永遠の過去とは現在に他ならないから、そこを突き詰めると、働かず、つくろわず、元のままなり=無作三身如来という結論が出てくる。

これは真実をついた極論で、当然現実には無理があり、生まれながらに仏のような人物もいれば矯正不可能な邪悪な人物もいる。そこで修行が必要になる。唯識論ではこの世で仏になるのは不可能で何世にもわたって修行しないといけないことになっているが、過去世や来世があると証明した人はいないのだから、現世で仏にならねば意味はない。

説法臭くなったのでやめておこう。恋愛の話を少しだけ。

告白の方法について一言。私は相手次第だが「綺麗ですね。タイプです。付き合ってくれませんか?」となるべく短い言葉で単刀直入に言うことにしている。面白いもので、美人で頭が良くてお嬢様の場合は、これが一番効果的だった。

いろいろ考え、探りを入れて、あの手この手を考えるのも恋の楽しみの一つだろうが、男同士で飲むのが好きで、恋愛は3番目以下の娯楽だと思うと、アレコレ作戦を練るのが馬鹿馬鹿しくなってくる。役所の職員と長話しないのと同じで、単刀直入に手短に言って、ダメならダメで、次の出会いを待てばいい。これは本気でトキメいてしまうと出来ない。もっと極論を言えば、男は女性に告白されるぐらいじゃないと値打ちが無い。

30分過ぎたので失礼します。


薩摩義士

2012年11月03日 | 歴史
この急激に寒くなった時期、過労の上、食欲が湧かない生活を続けているせいか、熱が出てきた。今日はブログを休もうと思ったが、ごく簡単に歴史の話をする。

赤穂義士については誰でも知っているが、薩摩義士を知る人はあまりいない。以下、関連するURLを紹介する。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E7%BE%A9%E5%A3%AB
http://www.mirai.ne.jp/~tuyoshi/matome.html
http://www.mirai.ne.jp/~wakita/osclub/manga/index.html

簡潔に説明すると、幕府から薩摩藩に激流で建設が困難な橋を作れと命令が降りる。
その結果、藩が用意した資金と期限をオーバーしたために、責任を感じた藩士52人が切腹した、という史実である。

いまなら公共事業という名目で血税をつかい、談合で建設会社が請合い、色んな人が儲かる仕組みになっている。(公共事業の談合に関しては、大企業の寡占を防止するという点からは日本人の生み出した知恵の一つだと思うので私は全否定はしない。完全な自由競争にすると大資本のみが残って中小企業が潰れてしまう)

ところで当時は事情が全く異なり、こういう事業にしても参勤交代のように、幕府が諸藩を弱体化させる手段だったので、藩は自腹を切って引き受け、なるべく安い予算で素早く工事を終わらせる必要があった。

ところが予想を上回る難工事だったために、水死者は出る(確か33人)、予算もオーバーするで、完成したときに、その工事を指揮し自らも手伝った薩摩藩士は藩主に対して責任をとり、なんと52人が切腹した。

要するに、年末調整でやらなくてもいい工事をやって予算を使いこなさないと次年度の予算がでない、などという馬鹿げた無駄遣いと丸っきり逆のシステムで、例えば八王子市が、いついつまでに○○億円で笛吹市の橋を作れ、と命じられて建設課の職員が対応し、予算と時期をオーバーしたために、八王子市長に申し訳ないと職員全員が腹を切って責任をとった、というような話である。

赤穂義士のように有名ではないが、後世まで語り継ぎたい史実と思う。

今日はダラダラと雑談

2012年11月02日 | 雑談
3年前に大病を患って以来、この冬を越せるだろうか、と真剣に思う。
 人間の3大本能は、睡眠欲、食欲、性欲だが、睡眠欲以外はほとんどなくなり、昨日などは一日にオニギリ2個で済ませた。性欲は言うまでもなく、ホステスさんのいる店に行かなくなってどれぐらい経つだろう。会話をしていても全く面白くなくなった。大体、アルコールまで体が受け付けず、せいぜい焼酎2合までだ。

どこかのサイトに、私が酒を飲んでセックスしているようでは悟ってない証拠、と書いていた偽禅者がいるが、山本玄峰師は晩年まで日本酒5合ぐらいは平気で飲んでいたし、日蓮も酒を飲んで題目を唱えていた。何も分かってないのに指導したり中傷したがる輩の集まるサイトだから仕方ないが、本当に馬鹿だなぁと思う。
 覚醒して世直しをする大志から見れば、酒やセックスなど余りに小さすぎる問題だ。飲みたければ飲み、好きな相手が現れたら口説き、惚れられたら抱けばいい。人類が滅び地球が爆発する先の先まで想定した上の「無」であり、差別観が一切消えた天地と一体の心境から見れば、本当にどうでもいい拘りである。逆に、私はもっと酒を飲んで女遊びをしたいと努力している。

通常の価値観を全て疑ってかかる、疑問の塊になる、こういう身動きの取れない状態を体験しないと禅は語れない。

それはともかく、車のブレーキと同じで、ある程度の「遊び」、つまり余暇、趣味、道楽がないと人間は心身ともに壊れていく。私は「過疎地神経症」と勝手に呼んでいるが、町が寂れ娯楽がパチンコと酒しかないような場所には目力がなく活気を失った人々が一杯いる。この現象は近年は東京のような大都会でも見られるようになった。というか、大分前から「世界中を旅してきたが日本の若者の目つきが一番悪い」と批評した外国の学者がいる。リゾラバとか援助交際とか流行ったのはいつだったか。

今度は正論を言えば逮捕される可能性が大きい「人権擁護法案」(名前が何度か変わっているので今どうなのか定かではないが)が作られようとしている。ネット上でもアチコチで反対署名運動が行われているから協力しましょう。

というわけで、今日は雑談で失礼します。