那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

輪島功一の思い出

2012年12月22日 | スポーツ、武道、格闘技など
渡辺二郎の話を2度続けて書いて、輪島功一の記憶が何度も蘇った。wikiから引用して簡単に思い出を書く。
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輪島 功一(わじま こういち、男性、1943年4月21日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者。現在はタレント兼団子屋経営者。本名は輪島 公一(読み同じ)。樺太出身、北海道士別市育ち。血液型はB型。

(那田注:プロボクシングでの契約ウェートは (66.678 - 69.853kg) である。ウェルター級とミドル級の間の階級で、全17階級中6番目に重い階級。1962年設置。日本のプロボクシングでの旧名はジュニアミドル級)

いつもはケンカなどはしない輪島少年だが、友達をいじめたり暴れたりする上級生がいれば「許さん!」と立ち上がり、1対1でバスケットボールのゾーンで殴りあい、相手を負かして「正義の味方」と呼ばれた。決して乱暴者や不良ではなく、腕白だが友達思いの優しい少年であった。
 のちに所属する三迫ボクシングジムの会長・三迫仁志は「輪島のすごいところは苦労人に在りがちな暗い表情が全く無く底抜けに明るくてひょうきんなところだ。たくさんの友人がいて、みんなが楽しそうにしてるのを見たら輪島の人柄がわかるでしょう」と輪島を評している。
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日本人でジュニアミドルという重い階級のチャンプが生まれたこと自体が驚きだった。輪島は漁師の子供で三半規管が異常に発達し非常に目のいいボクサーでディフェンスが完璧だった。また工事現場の労働者だったので腹筋と背筋と足腰の力が強く、ダッキングが得意で柳済斗から王座を奪還したときには、相手の股の下を潜り抜けて裏側に回ったほどだ。
 また輪島は何度かドラマに出て、たしか刑事役をしたことがある。私は彼の飄逸な演技を高く評価していて、これは凄い個性派俳優になる、と注目していたが、どういうわけか役者としては長続きしなかった。一般向きではなかったのだろう。

ではまたwikiから引用。
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テクニック
輪島は試合の中で時折繰り出す、既存のボクシングの常識ではありえない変則的なテクニックでも話題になったことが有名である。

カエルパンチ(かえる跳びパンチ)
極端に身をかがめたダッキングで相手の視界から消え、瞬時に跳び上がるようにパンチを繰り出す技。輪島の代名詞といっても過言ではないほど有名な技だが、実戦で繰り出したのはカルメロ・ボッシ戦で試合中盤に見せた一度だけである。「かえる跳びアッパー」とも呼称される場合があるが、実際に輪島が繰り出したパンチはロングレンジ気味の左フックであるため適切な表現とは言い難い。なお通称の由来は当時の試合中継の解説者が「輪島がまるでカエルのように跳び上がりました」と発言したことから。
当てることよりも相手を興奮させる効果が真の狙いであったと、輪島は後に発言している。事実、ボッシはこのパンチを見せられて以降明らかに冷静さを欠き、乱打で著しくスタミナを消耗している。

あっち向いてホイ
試合中自らあらぬ方向に視線を向けることで、釣られてそちらを見た相手の隙を突くという技。「よそ見パンチ」とも呼ばれる。輪島本人が語るところによれば、ある時タクシーのバックミラー越しに見えた運転手の視線の動きが非常に気になったことから着想を得たという。初めて使用したのは1971年のカルメロ・ボッシ戦。輪島は引退後、ボッシに仕掛けたこの奇襲戦法について「相手はオリンピックで銀メダルまで取った選手で、テクニックじゃ絶対かなうわけが無い。じゃあ駄目で元々だ、やるだけやってみようと思ってパッと横を向いたんです。そうしたら向こう(ボッシ)もそっちを見たんですよね。やってみるもんだな、と思いましたよ」と語っている。なおボクシングにおいて視線を一瞬逸らすフェイントは攻防技術としてポピュラーなものだが、「よそ見」と形容されるほど大きく視角を変えてしまう例は非常に珍しい。

記者会見でパフォーマンスをしたことでも知られる。オスカー・アルバラードとの再戦時、減量に苦しむ王者の前でおでんとビールをパクつき、王者にも勧め心理的に揺さぶりをかけた。また柳済斗との再戦時では、マスクをして現れ、風邪を引いて体調不良であるように装った。
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カエル跳びをやったのが1回だけ、というのはwikiの間違いだと思う。少なくとも私は世界戦で3回以上は見た。これもよほど足腰の筋肉が強くないと出来ない技で、一回しゃがんで立ち上がりぎわにフックをするのだから、あんなにハードなスポーツの試合中に出来るものではない。

アルバラードに負けたときも柳済斗に負けたときも、輪島は死んだんじゃないか、と思うほど血だらけになり泥雑巾のようにリングに倒れて病院へ搬送された。ファンは、輪島もういい加減に引退しろ、と願ったが不死鳥のように蘇った。
 柳済斗との再選のとき、明らかに自分で作ったと思われる大きなマスクを付けて記者会見し、咳を繰返している姿を見て、私は「芝居だな」と見抜いていた。「俺はもう体力も技術も全て劣っている。優れているのは頭だけだ」と公言していたからだ。
 この試合を私は早稲田大学の近くにあった喫茶店の初期型プロジェクターで浪人仲間たちと観戦していた。
 輪島をナメて試合を始めた柳済斗に対して輪島は驚くべき俊敏な動きで猛攻撃した。後半大差でポイントで勝っているのが分かった仲間たちは「輪島、もういい。余り攻めるな。勝ってるからクリンチで時間を潰せ」と叫んだが、輪島は一向に攻撃の手を休めず、最終ラウンドにロープダウンを奪ってKO勝ちした。

観戦していた仲間たちも、見知らぬ他人も泣きながら総立ちになって抱き合い握手し合った。
 あんなに感動した試合は前代未聞で今でも思い出すと鳥肌が立つ。最後にまたwikiから引用して今日のブログを終えます。
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*柳済斗との第2戦の実況は逸見政孝。逸見はアナウンサー人生でこの試合を実況できたことがアナウンサー人生で1番の印象として挙げている。

*日本中を感動の渦に巻き込んだ柳済斗との第2戦の翌日、都内で強盗が銀行に立て籠もる事件が起こった。このとき警察官が犯人に対し「輪島は逆境から立ち上がってチャンピオンになった。お前も昨日の輪島の試合を見ただろう。輪島を見習い人生をやり直せ」と説得したという。あまりにも劇的な輪島の王座復活は、当時の国民的関心事だったことが伺える。