名古屋・中日ビルその後

2023-09-06 12:51:24 | 日記

名古屋の中心街に中日ビルがありますが、建て替え中で来春オープンとのことです。

外観はほぼ完成しており、現在内装工事のようです。

中日ホールも計画されているようで旧・中日劇場とは異なり多目的になりそうですが。

手前左側ビルは名古屋市中区役所です。

 

20年ほど前は毎週、中日ビル内の篆刻教室に通い懐かしさも感じます。

その教室での諸先輩も多くの方が黄泉に旅立れましたがそれも時代の流れ、有為転変です。

 

それはそれとして、中区役所の斜め北側では第一生命・鹿島建設・ノリタケのビル跡地が

現在整地中で再開発中です。

最近は栄付近の一帯は名古屋駅前に比べ賑わいで劣り、巻き返しに懸命のようです。

 

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作品展「ポン・デ・ザール展」名古屋にて開催

2023-09-05 19:13:23 | 日記

ポン・デ・ザール橋というのはパリの芸術橋を指すようです。

会派を超えて油彩・日本画・水彩画・ミクストメデイアの力作が展示されています。

名古屋市・栄 愛知県美術館で9月10日まで。

田中敏夫さんとは十数年前、旅先で知己を頂いた方で、現展(現代美術家協会)の代表を

務めておられます。

7~8年前から遊女を中心としたテーマを追求されています。

俗世界とは違う浮世の世界を現代風に表現されているようで感覚も新鮮です。

 

 

 

小生の印象に残った作品2点です。

芸術の世界は表現法が様々、鑑賞する側の受け手も様々でそのせめぎあいが興味深いところです。

 

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じいさん、ばあさんの家具・移動方法

2023-09-05 09:47:49 | 日記

「断捨離」の続編ですが。

残す家具と廃棄の家具の選別の過程での家具移動作業です。

高さ190cm・幅210cm・奥行45cmの書棚を83歳、80歳のじいさん、ばあさんで

どうやって移動させるか?

いささか錆びついた脳みそを稼働させて、たどり着いた方法はスチール製の椅子と丸い棒です。

スティール製の椅子は60cm弱の高さで、約30数年前にエレクトーンとお別れのとき、椅子だけ残して

おいたものです。

踏み台にも利用でき、金属製ですので強度も抜群です。

丸棒は手摺に利用していたものです。

書棚は2段式になっており、まず上部をスティール椅子の上に一端下ろし、それから更に下ろします。

「それっ、気合を入れて!」

一度に90cmほどを一気に下ろすのは危険ですので。

後はコロの原理で所定の場所まで約20mほど移動です。

丸棒を何度も置き換えて移動させ無事に所定の場所に。

下部も同様に作業です。

力が必要なのは下ろす時と移動後に上部書棚を上げるときです。

何10キロもある書棚を下ろして、持ち上げる、いささか疲労困憊です。

(ぎっくり腰にならなくて良かった!)

 

にんげんを長らくいたしておりますとモノが増えることはあっても減ることは少ないです。

もう少し若いときであれば家具を買い増す、という考え方だったかもしれません。

考えた方を一変、モノを減らし、家具も減らし、先日来の断捨離の一環です。

 

 

 

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こんな暑い時に「断捨離」とは

2023-09-03 09:45:30 | 日記

何かをしようとする、その時の心理って不思議なものと思います。

こんな暑い時にするの?それよりも「気持ちが高ぶっているときが勝負」ということかもしれません。

想像するに過日、小生が物置の整理で随分と思い切って多くを廃棄していて、それに触発された

ようにも思いますが特に質問もせずです。

 

家内は書道を長年に亘り師匠に就いて書作してきただけですがその作品のストック量たるや、半端では

ありません。

それを2~3日で断捨離するというのですから大変な作業です。

単にどんどん廃棄するのであればカンタンですが「廃棄と残す」の選別に時間がかかります。

その間、小生は一切口を挟まず「手伝うことあれば言ってね」ですが作業完了まで2日間に亘り

家内は黙々と処理して行きました。

 

廃棄は写真の他にもあって、さすが何十年もの経過の後始末ってその心境を推察しますと

(割り切らなくては)という表情が表われています。

その心の内は(息子たちに先々迷惑を掛けられない)という気持ちも大きかったことと思います。

 

「今夜は特上の寿司でも買って、ご苦労さんにしようね」

 

 

 

 

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日本の敗戦・降伏文書調印式、あれから78年

2023-09-02 09:13:50 | 日記

昨日のブログの続きの如くです。

月日の経過は当にアッという間です。

今から78年前、昭和20年9月2日、米戦艦ミズーリー号で降伏文書調印式が行われました。

小生は当時、5歳で空襲を逃れ疎開先でその日を迎えましたが全く記憶にありません。

両親が健在なうちに色々と聞いておくべきでしたが。

 

日本側からは重光葵全権(外務大臣)、次席全権の梅津参謀総長、外務省、陸軍省、海軍省の3つの省から

それぞれ3人づつ、全部で11人が調印式に臨んだ、と記録されています。

 

小生は歴史学者でもなく、このブログを書く目的は調印式におけるマッカサー元帥の演説を

ご紹介することです。

この演説は同席の加瀬俊一氏がメモをとらず、「全身を耳にして」傾聴した、と記されています。

「ここに、われわれ主要な交戦国の代表が集まって、平和を達成することを目的とする、

 厳粛な協定を締結しようとしている。

 対立する思想や理念の衝突はいっさい、世界の戦場において決定せられたのであって、今や

 何ら論議の余地がない。

 我々は相互不信、悪意、または増悪の念をいただいて、ここに集まったのではない」

 

「この厳粛な機会に、過去の流血と殺戮のうちから、信頼と了解の上に立つ世界が招来

 せられて、人類の威厳とその最も尊い念願ーすなわち、自由、寛容、正義に対する念願の

 実現を志す世界が出現することを期待する。

 これが私の熱烈な希望であり、かつまた全人類の希望である。

 ここに提示され、受諾されるべき日本軍隊の降伏条項は、眼前にある降伏文書に記載

 されている。

 私は連合軍最高司令官として、私が代表する諸国の伝統に従って、正義と寛容とをもって、

 降伏条件が完全、迅速かつ誠実に遵守せられるように、あらゆる必要な措置をとる決意で

 あることを声明する」

 

敗戦国、日本に対して屈辱的な発言はありません。

 

偶々、加瀬俊一氏の著書を読んでいるときに上記の内容を知りましたが含蓄のある演説です。

同氏は2004年に101歳で亡くなっています。

写真、右から3人目の方です。

マッカーサーの演説全文は検索してもなかなか出てきませんので、ここにご紹介です。

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