今日の夢では、3種類の学校に通っていた。
ひとつは医学部、医者の学校。ひとつは看護師の学校。もうひとつは魔術、魔術師養成の学校。
さいきんの夢は学校が多い。
でも、いままではどちらかというと、学校に対する低い感情や記憶の整理のための夢かな?という感じだった。見知った顔や、見知った場所、躓いていた教科などがでてきたので。
でも今回はそうではない。夢のなかでは見慣れているなという顔をしていたが、その顔は記憶にないものばかり。
ベテルギウスに聞いてみる。
「君の考えているものではないよ」という声。
「今回の学校3部作の夢は、まあそうだね。新しい領域、展開にはいったと言っておこう」
たしかにそういう感じはする。
夢のなかの医学校で、勉強しすぎて頭パンパンで疲れてお腹がすいたけど、それが現実世界の肉体や脳の前頭部にも反映されていて少し驚いた。
「脳の改造を行っているとでも考えたほうがいいよ」
といわれると、シリウス、階段の調整という言葉が思い出される。
「そうだね、調整だね。いままでの脳や学力の比率調整。
これまでの脳領域から比率を変化させて、結果的に新しい能力をひきだすようなイメージ。
そこで医療や看護、魔術や魔法という言葉がひきだされて夢を具体的にみたということさ」
そういえば、昨日夢について疑問におもっていたことを聞く。
「君は、夢のなかで自律的な意志をもって変えたり、明晰夢を見ることが重要ではないよ。
むしろそれをやると弊害がうまれる。
現実と夢を、ごちゃまぜにして見境がつかなくなるような。
きちんと、夢と現実世界をわけられないと社会生活に障りがでてくるだろう?
だからその境界、線引をじわじわつくっている状態が、いま。
もし、君がスコンと現実世界のようにクリアすぎる夢とかみたら、その夢に溺れて現実世界をうまく生きられなくなる。
思考や感情が整理されてきたといっても、人間はときに驚くほどに脆弱だったりする。
そういう事例を色々知っているから、我々もそのあたりは慎重なのさ」
たしかに、いまやっていることって際どいことをしているのかもしれない。
夢と現実、月とマルクトがツーカーになるということは、そういう細部の調整がしっかりなされていないとおかしくなるのかも。