サビアンの本を読んでいたら自分のキロンのサビアンが目に入る。
この度数に相変わらず苦手意識を感じるので、探索してみる。
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探索先はおうし座の10度「赤十字の看護師」
「調整をすればいいのですよ」という声。
自分の幸せと、他人への貢献という二つの調整は、相変わらずうまくいってない気がする。
最近も、助けたらなんかまとわりつかれる、依存されることがあった。
そうするとガラッと態度をかえて切りたくなる。
「切りたくなっても良いのでは?」という声。
急に切りたくなるのは、良くないんじゃないかという考え。
そうならないように配慮とかコミュニケーションが必要なのでは?
「そこまで、あなたが考えなくてはいけないものでしょうか?」と言われる。
たしかに、そこまで考える必要もないか。
まとわりついてきそうな、依存して妙に頼ってきそうなひとは、モワッとしたものを感じる。
そのモワッとした人の扱いを、どうするか。
結局そこが決断しきれてないな。
その人がよくなるように、というのもエゴか。
「エゴではないが、そこに囚われるとエゴになるし苦しむ」という声。
たしかに、他人が幸せになるのを祈るのは良いが、自分の定義する幸せを押し付けるのはエゴ。暴力。
そのあたりの境が難しいなと感じる。
「完璧にやる必要はない」という声。
たしかにね。私は聖者でも救世主でもなんでもない。
神に仕えているわけでも神の子でもない。
道を求めていないし悟りを開くことも考えていない。
そもそも、対価すらもらっていないことで、なぜ私がここまで配慮しているのだろう?
その気に病む時間、エネルギーがもったいない。
「お人好し」という言葉。まあそうだよね。
でもどうしよう、ここまで対話して、結論がでてこない。
「完璧な結論をださなくていいんですよ。
とりあえず、今の対処としては、気になったら距離をおく、切るでいいのでは?
その時その時のタイミング、取りうる方法のなかで、自分が最善と思う方法で。
そこで一時的に感情に迷いがはしったとしても、長い目で見たら、自分が思ったことを思ったとおりに行動しているということですから、思考や感情や肉体にねじれはでてこない」
そうだね。
そもそも、キロンを難しい、克服に困難と思い込み過ぎたのかも?
お人好しと言われるけど、気質的にしょうがない。
でもまあ、そこで発生する縁とか幸福もあるだろう。
そういえば、キロンの惑星意識ってどんなんだろう?と意識をむけたら
「アジェナとトリマン」と言われる。
恒星探索か。