この動画の後半からある年齢と惑星対応を参考に
自分のジオセントリックの冥王星を探索。
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龍がでてくる。
とある場所にいる龍。
視覚は塞いたほうがいいかなと思ったら
ここでは別に良いらしい。
なんでこの龍が出てくるのか聞いたら
私のジオの冥王星に関係するそうだ。
とりあえず、バッチリ龍の姿になる。
中国の青龍というかんじ。
太陽系をわたり、冥王星につく。
非物質なので、恒星のように光り輝いている?
「いや、これは恒星だ」
冥王星じゃない?
オレンジ色の光。
「これを冥王星がわりに使えばいい」
冥王星探索って言ってるのに、冥王星に連れていかんのかーい。
「もう冥王星を使う段階じゃないんだよね」という言葉。
龍の言葉なのか、ガイドの言葉なのか。
混じっている。
「じゃあ、0歳、もしくはその周辺時期は
この恒星を探索すればいいということ?」
「君にかぎっていえばそうだね」
「冥王星はどうすんの」
「君の場合は不要だよ。考えなくていい」
「(笑)ああ、それはあれか、冥王星を考えると、枠が小さくなるからか」
「君の場合はね」
まあ、なんかわかる。というかわかった。
冥王星をこの太陽系の扉、異界の入り口として意識設定してしまうと
逆にぐっと、想念や意識の幅が狭まると言うか
太陽系サイズにギュッと小さくなってしまうのだ。
太陽系に囚われる。つかまってしまう。
しかし、この恒星を0歳に設定すると、探索する意味がなくなる気がする。
「だから、0−7歳をおうし座で探索するほうが色々面白いよ。君の場合ね」
これらのことも、人間の自分にとって都合よく使えばいいだけということか。