新月日食夏至とトリプルだった21日を堺に、前後に大きなことが3つ重なった。サインとしてはかに座で、まさしく家族の問題が噴出したかんじ。もしくは「基盤」。もしくは「4:増殖」をストップさせたり逆に加速させたりするような暗示もあった。
流石に疲れたなあ、、、とはいっても、それはただの無意識の慣習で本当は疲れてはいない。疲れたというより「意識と感情と肉体が食い違っている」というのが正しい感じ。
今回のことで、意識は「まあ仕方がないな」という感じ。感情は凪いでいたり、囚われが多少ある部分はイライラしたり。でも意識からしたら「それすらも想定範囲内」という印象。
で、肉体の、表現しづらい疲弊感?疲労感?ストレスが自分でも「???」という感じで、これはなんでだろう・・・と考えていたら、出てきたのが御者・馬・馬車の例え。
肉体である馬車に残っている意識化しにくい重い低い感情が反応しているのと、それによって馬車が破損しているような印象をうける。
私の場合、馬車が肉体よりもエーテル体寄りになっているせいか、波動とかいわれる整体にいくと調子がよいので、そこにいきつつ、生命の樹のパス「世界」と、7つの月のことを考えてみる。
大雑把にいって
エーテル体(半非物質)=「世界」=7つの月である
と考えたとき、エーテル体にも物質に肉薄している部分とイエソドや上位のティファレト(=アストラル体、非物質)に肉薄している部分とでは、若干ことなってくるはず。
ちなみに松村潔は「世界」のパスを、始まりにして終わり、最終的な終わり、ビナーとコクマーの関係を調停的に維持する最後のカギのような位置、などと書いている。
なので、肉体のメンテンナスをするときに、マルクトよりのエーテル体の状態や、7つ(以上)の過去世、感情、人格、記憶などにも考慮したほうが「馬車」のメンテナンスをするのにスムーズかもしれない。
とりあえず、今回はサビアンでいえばかに座初期の新鮮な衝動が激しい場所での新月日食夏至だったので、人によっては地球にもちこまれたものがかなり破壊的だったのかもしれない。私のように。
ただし、破壊のあとには再生があるので、「主人(自我、真我)」の意図を心得ていれば、自分の進みたい道を馬車や馬は進んでいけるのだろう。