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恒星探索、非物質、変性意識、タロット、生命の樹、西洋占星術、高次存在、ヘリオセントリック音楽 etc

10運命の輪と幸運を享受する器、下降オクターブ型の選びとる意識

2022-01-11 18:28:27 | 生命の樹・パスワーク

生命の樹のタロットパスワークで、10運命の輪というのは幸運、チャンス、合格などを表す。

で、松村潔のタロットの著作2冊を比較しながら読むと色々面白いことがわかる。

「タロットの神秘と解釈」は難解だが、たぶんこれは下降オクターブ型の意識による解釈だから、一般の人間にはそう感じるのではないかと思う。(下降オクターヴ型についてはここを参照

タロットの神秘と解釈」では、マルセイユ版に近いカモワン版のカードでの解釈だが、それによると、運命の輪のカードには「自分が選択する」要素がでてくる。

ウェイト版の運命の輪にはない、取っ手があるからだ。

取手があるということは、自分がその幸運の規模や時期を、ある程度は自発的に選びとるチャンスや可能性があるということ。

ただ、チャンスや可能性があるといっても、自分にその幸運を享受するだけの器や覚悟がないとむずかしい。

じゃあ何が大きな器かというと、松村はこの本で『何十億円も所持していながら、静かにお茶を飲むことのできる人は、なかなか大きな器なのだ』と書いている。

宝くじでたかだか数百、数千万円、1億円あたって心の平静が瓦解し人生を狂わせるくらいなら、「器は小さい」のだ。で、大きな幸運を真に望むなら、今の自分がどこまでなら受け止められて、どこまでなら無理と感じるのか、真摯に自分の内面と向き合う必要性はあるのかも。

 

この器というものは、例えば「12吊られた男」や、生命の樹の右の柱にも関係する。また、6恋人や8正義も。

あなたの人生を変えるタロットパスワーク実践マニュアル

タロットの神秘と解釈

 


生命の樹を曼荼羅。ティファレトのセンタリング。

2022-01-07 16:05:16 | 生命の樹・パスワーク

こんな記事を見つける。

https://ameblo.jp/fortuneseminar/entry-10648371537.html

タロットパスワークの本で言うと「11 未来的な生命の樹」の内容。生命の樹の曼荼羅化。

そのなかでハートチャクラの開発、自分のセンターを見つける、センタリングの話がでている。受容や包容力ばかりがハートの開発に強調されやすいが違うということ。生命の樹でいうと、右も左も使わないと、ハート(ティファレト)は正しい位置にいられない。

【女教皇】【節制】、【皇帝】【悪魔】、【恋人】【死に神】、【正義】【隠者】

という4つのラインで考えてパスワークしても面白い。

 

 


中二階と月に喰われた部分をとりもどす、それと占星術の月やイエソドについて

2021-12-31 17:39:40 | 生命の樹・パスワーク

母親とちょっとあれこれあり、母と一瞬電話しただけで凄くエネルギーをもっていかれたというか、振り回された感覚が残った。

で、これはちょっと異常だなと思って色々やってみると、原因は母親のことを「不安定」「可哀想な人」とみなしていたいたのが原因。

そういう意識設定があったから、母に対して自分が何かしなければならないし、母の思うように行動しない自分自身に罪悪感を感じていた。で、そこが母にとっては「付け入る隙」だったので、母のエーテル体的なものが私の肉体(もしくは低次エーテル体)付近に侵食していた。まだまだ乗っ取られていたということ。

そこをベリベリ引き剥がし、剥がしたあとを自分のエネルギーで満たして修復しながら「母は安心で大丈夫なひと」と設定を上書きした。

そうしたら、これまでも探索にたびたび出てくる月面の世界が見えた。

「ああ、これが中二階だな」と実感した。

松村潔のいう中二階は、私にとっては「下降存在としての私の意識が、自分の意思で地球(物質世界)を選択する場所」らしい。

 

これは、占星術の月かといわれると違う。

生命の樹のイエソドかといわれると、それも微妙。

 

占星術の「月」は、多分イエソドではない。「世界」のパスにあるマルクト=イエソド間の「7つの月」のどれかひとつ。イエソドはたぶん統合された月。

私の場合、生命の樹のイエソドに、細い細い紐でつながっている丸い領域。場所は節制のパスあたり。でも、真ん中の柱と左の柱の間にある。ティファレトよりは下。イエソドは基礎、基盤なのだが、そのイエソドが自分の希望通りの基盤になっているかをチェックする場所が、私にとっての「中二階」っぽい。

 

で、この中二階のいいところが、ここに入ると同一化しそうになった事物から緊急避難でき「我に返る」。

そして同一化思想になった自分の意識をチェックできるし、上書きしやすい。

自己想起が、よりわかりやすいというかイメージ化してできるようになったような感覚。

 

http://20151225k.blogspot.com/2016/08/20160807.html

自己想起をやっていると離人症、離人感がでてくると思う。

https://www.amed.go.jp/news/release_20180606-02.html

 

宇宙に帰るなりなんなり、自分の目的をある程度定めておかないと、物質世界では廃人とか引きこもりになりやすい。

まあ別に廃人になってもいいけどね。それはその人の勝手だし。

それがいやなら、物質世界をいかに充実して生きればいいのか各自で工夫が必要。

 

 


節制のパスの入れ替え

2021-11-10 21:35:50 | 生命の樹・パスワーク

ティファレトをもっと開くために、肉体側や第四チャクラの調整をしないといけないらしい。

その際に、ティファレトとイエソド感のパス「節制」も調整した。

最初、7つの階層をもつ塔に見えたが、それが前時代的な建物だった。

それをディープラーニングするAIが自動制御するような、自動で形や性能が進化する白い塔にした。

上から見た塔と、下から見た塔をチェックし、そこからイエソドの器、マルクトの着地点もチェックする。

これでティファレトから下ろしたものを現実世界に引き下ろしやすい。


タロットパスワーク:悪魔、皇帝。運命の輪、塔、力、世界と世界の女王

2021-05-16 13:20:02 | 生命の樹・パスワーク

先の記事のあとに、タロットへのパスワークというか瞑想も必要そうなのでやった。

ちょうど先日、自転車にのりながら「皇帝」カードと話をしていた。

自分が皇帝、父権、権力、弥勒菩薩、観音のように「救い」や解放をおこなう覚悟はあるのか、また救われる・解放される覚悟について。そこから悪魔の「支配」に対しての覚悟も。

 

さて、今回思い浮かぶのは運命の輪。それをやって、ガラガラと福引をまわす。そうすると出てきたのは巨大な金の玉で、福引機が破壊される。既存の運命の輪の囚われが破壊されてリセットし、新しい現実を産む。

その後に塔と力。これは関連性があり、塔は白く神聖で巨大で、上がパカパカ柔軟に開閉する。力の獣は蛇になり、これも真っ白な陽根となって天空にそそりたち真っ白で神聖な塔になる。力の女性がこの頂にひょいととびのり、周囲の見晴らしを楽しんでいる。

最後に「世界」。このカードにアクセスした瞬間「バランスが悪い」と言われる。

真ん中に描かれている女性のことを、なぜか「世界の女王」と呼称したくなる。

この女王は、私のバランスの悪さが「肉体は、意識の変化にすぐおいつけない」という意識設定にあると指摘する。なのでそれを手放す。

今後はこの「世界の女王」が、自分の物質と非物質のバランスの悪さを指摘してくれるらしい。

 

---

 

色々やっていたら、背中の冷たさがとれた。つらさ、寂しい悲しいという感情や記憶、思考回路、クセなどが背中に蓄積していたらしい。

「成果をだせない」という意識設定も同時にでてきたので、それも手放す。


恒星探索と「世界」パスワークにおける7つの月の調整について

2021-04-15 15:19:44 | 生命の樹・パスワーク

今回の恒星探索の前に、じつは7つの月について再度いろいろやっていた。

7つの月は、マルクトからイエソドをつなぐ「世界」のパスを、イエソドふくめて7つの「月(イエソド)」があると仮定して探索するイメージ。

占星術の月には、色々な意味合いがある。曰く、過去生。曰く、自分の別側面。重い低い感情や思念。エーテル体。それらは、自覚があったりなかったり。忘れさられていたり。

それらを思い出して調整する、整える、調整するのが色々な意図にたいして必要らしい。

で、その際に、自分の生命の樹やティファレト、真ん中の柱がある程度ととのっているのが前提。だから、それらが整っていないのにむやみに人に勧めるのは「毒」になるようだ。これは人間として、毒。

コツがあって、何かの意図を、現実世界に反映させるのに

・意図を設定する

・その意図を現実世界に反映させるために、イエソド(場合によってはティファレトやケテル?)からマルクトに存在する「7つの月」を縦断・横断してみる

・マルクトにたどり着いたら、今度はマルクトからイエソドに上がる

・その時に、調整されきれていない、違和感を感じる月があったら、別途意図にそって調整するかんじで探索する

・チェックをして、OKなら終わり

 

忘れていたけど、以前かいたこんな記事も参考になるかも。

https://blog.goo.ne.jp/myrtusash/e/cbffbbef9b4ffb655ec9362eb5d44835

 

一応貼っておく。

自分で書いたという記憶がぜんぜんないけど。どこかの本からコピペしたかも?どうだろう?

===

1:マルクト:本能は反射。動物、生物として既に刻印されているエネルギー。遺伝子、血など。本能的な反応・反射をすることでつながったエネルギー領域。命に関わる恐怖など。

2:イエソド:幼少期にすりこまれたパターンやジオセントリックホロスコープ「月」に表される無自覚のクセにつながる感情エネルギー領域。家系的、女性系先祖につらなるパターンも。

3:ホド:個人が成長するにつれて体得する経験、反応、知識からつながりをもったエネルギー領域。

4:ネツァク:家族や身近な集団のなかでの人との関わりあいのなかで、自分の好みや嗜好に関する感情エネルギー領域。人との摩擦。

5:ティファレト:社会や集団のなかで自分がその一員として役割をはたす際に繋がりを得たエネルギー領域。常識、社会人とは、義務と責任やべき論など。

6:ゲブラー:国、地域、民族のローカルな制度、常識、カルマ的なエネルギー領域。

7:ケセド:神話、宗教、哲学など広範囲な地域にまたがり人間の普遍的な資質、考えに関連した感情エネルギー領域。

===

 

 


三重に偉大なヘルメスと生命の樹の3層へのアプローチ

2021-03-03 13:47:12 | 生命の樹・パスワーク

さいきん「3」がキーワードになっていて、昨日の記事でもヘルメス・トリスメギストス(三重に偉大なヘルメス)についてふれた。

で、生命の樹というものは複数階層の総合案内所でもあるという概念(アダム・カダモンの樹)ーアッシャー、イェツィラー、ブリアー、アツィルト層への入り口ーを考えたときに、タロットパスワークも、肉体をもつ人間意識がダイレクトにアプローチできる3層について、やってみたらどうかと思いやってみる。

アッシャーを「1」として第一層、イェツィラーを2(第二層)、ブリアーを3(第三層)とする。それぞれの慣習的な固有名詞が、なんか行き先を制限している感覚があるので。

で、第一層はとくにやることない。

第二層では「第二層の17星をやれ」とでる。

第三層では「第三層の0愚者と11力をやれ」とでる。

それぞれやってみると

第二層・17星では「覚悟はいいか」といわれる。まばゆい光。「人間としての幸福を前提としてなら」と答えると、その光はおさまって消える。これでOKらしい。

第三層・0愚者は、なんとなくあのパスをふわっと感じることでOKらしい。

第三層・11力を見ると、カードで獣の口に手をかけている女性が見える。しかし獣はいない。獣の形をとった餅。それを両手でこねたり引き伸ばしたりしていて「なんでも作れる」という様子。「何を希望する?」と。

私が希望を伝えると「そう作ればいい」と、餅をこねてさまざまな造形をつくっていた。それを認識してOKとでる。

生命の樹は重層的でおもしろい。


創造の三神。情報なのでプログラミングすればいいのでは?

2021-01-15 23:31:10 | 生命の樹・パスワーク

ある人との関係性について、ヘミシンクで解決方法を模索してみた。

新しい関係性を構築するために、必要なことは全てするし、逆に不要な関係やエネルギー、つながりは解除したり調整すると意図する。

そうすると、地面に生命の樹がマップ化してあらわれる。ゲームみたい。マルクトから飛んで移動し、ダートに入る。するとその先は、まるでラスボスのように威圧感というか、エネルギーのある存在が現れる。

「創造の三つ巴」「造化三神」という言葉が出てくる。

これらはケテル、コクマー、ビナーの三つ組で、世界中の神話で、世界の創造の際にあらわれすぐ消える存在としてかかれるものだろう。

で、この存在が「新しい関係性をプログラミングすればいい」と言ってくる。

「人間は、感情とかで過去の判断で、新しいことができないと言う。嘆く」

「我々は非物質、情報だから、それをやるとプログラミングすれば、それは為る」

「そういう発想がないものは、プログラミングをしないから、成らない」

という情報が入ってくる。

無理と決めつけず、この領域で自分の意図を打ち込むことが重要らしい。


人間につながっている7つの感情エネルギー領域の仮定

2020-09-12 14:09:05 | 生命の樹・パスワーク

昨日、人間につながっている7つのエネルギー領域について考えがまとまったというか、降りてきた。

さいきん自分が意図せずつながってた様々なエネルギー領域について、体系的に整理できるのでは?と思っていた。これはいまのところの推論。

生命の樹でいうと、深淵より下のケセドからマルクトまでの7つの領域を象徴するような感情エネルギーが、人間にはつながっている気がする。

そしてこのエネルギーはいったん「感情エネルギー」としておく。思考を偽装した感情も含む。

真の思考とはなにか、思考と感情の違いはなにかというと、自分はまだそれを知らない。なんとなくこれのことか?という仮定はあるのだが、まだ決定的なものがないので脇においておく。

===

1:マルクト:本能は反射。動物、生物として既に刻印されているエネルギー。遺伝子、血など。本能的な反応・反射をすることでつながったエネルギー領域。命に関わる恐怖など。

2:イエソド:幼少期にすりこまれたパターンやジオセントリックホロスコープ「月」に表される無自覚のクセにつながる感情エネルギー領域。家系的、女性系先祖につらなるパターンも。

3:ホド:個人が成長するにつれて体得する経験、反応、知識からつながりをもったエネルギー領域。

4:ネツァク:家族や身近な集団のなかでの人との関わりあいのなかで、自分の好みや嗜好に関する感情エネルギー領域。人との摩擦。

5:ティファレト:社会や集団のなかで自分がその一員として役割をはたす際に繋がりを得たエネルギー領域。常識、社会人とは、義務と責任やべき論など。

6:ゲブラー:国、地域、民族のローカルな制度、常識、カルマ的なエネルギー領域。

7:ケセド:神話、宗教、哲学など広範囲な地域にまたがり人間の普遍的な資質、考えに関連した感情エネルギー領域。

===

自分が意図していないエネルギー領域と接続しているかどうか確認する場合、上記7種類を参考に調べると手っ取り早いかもしれない。


家族との違和感からティファレトの行動原理をレムリア的な集団無意識エネルギーに差し替える

2020-09-09 17:08:20 | 生命の樹・パスワーク

家族について割り切れない感情を抱いたのでヘミシンクを使いたどってみる。

この感情に関連する自分の過去生がでてくる。褐色の皮膚をもった赤ちゃん。それが自分。目の前に横たわっている親?を見ている。自分がいくら泣いてもご飯(乳)をくれないしかまってくれない。なぜ人間界ではこんな状況が起こるのか理解できない、というかんじ。聡い感じの大きな瞳。そして、育児放棄されているこの状況に諦めの気持ちをもっている。

・あきらめ、うつ、無理という感情。相手はもう変わらない、無理というあきらめ。

・「私を大事にしてくれてない」


・相手を自由にしたら、また同じ過ちをおかす。不信感。信じられない。コントロールしなきゃ。
→自分がコントロールされていた。親、教師。だからコントロールが良い方法と思い込んでいた部分もある

という感情がでてきた。

それを

「お互いが自由だからこそ、うまくいく」に置き換えようとしてみる。

しかしまだ
不信感、自分がやらなきゃ、コントロールしなきゃという気持ちが自分のハート(ティファレト)にしっかり根付いている。ハートがそういう不信感に置き換わっている。

こういう不信感や人へのコントロールはもう嫌なので、違うものに置き換えたいとメインガイドに伝えたら、急速冷凍して粉々にしてくれた。するとそこに穴ができた。この穴に、何をかわりに置き換えるか考えていたら「新しい自由」という考えが出た。


それぞれが自由になり、そしてうまくいく。それぞれが幸せになる。という新しい思想、エネルギー、集団無意識。かつてのレムリア、バランスや調和。調和することで美となる。

という考えがでたら、メインガイドがかつてのレムリアの集団無意識・エネルギー層から、点滴用の細いコードみたいなものを引っ張り出し、私のハートにレムリアのなかで一番自分に合う時期のエネルギーや集団無意識を注入し、固めてくれた。

いままでは「人間同士で上下関係を作り支配する」という無意識の行動原理でティファレトはバランスをとっていたようだ。けど、今後はそれをやめてレムリア的な「それぞれの個性ややりたいことを活かし、それで勝手にうまくいく」という無意識の行動原理に差し替えたらしい。

それぞれが自分の好きなことをやって、それがうまくいく。時間やお金、富、経済などにまったく問題も不安もない。

「他人を勝手にダメだと評価・批判し、その他人をコントロールしようとして介入する茶番」をやめ、お互い好きなことをして仕事をして、好きに休んで、それで経済的にも何も困らない心穏かな生活を送れるという意識設定にした。


お金と生命の樹と「排泄」

2020-09-07 16:54:16 | 生命の樹・パスワーク

お金を稼ぐ、もらうという意識に納得がいかない部分があり、それに対してオープニングザハートを使って自分の生命の樹にいった。

このテーマに沿った生命の樹をみて、ティファレトからあがりケテルまでいった。ケテル、ビナー、コクマーは問題なし。そこから深淵にはいり、ケセドにつながるパスにでた瞬間、妙なガスに覆われている。


すると、この世界のガイド?みたいな存在がでる。姿は像を結べないのでよくわからない。人間の認識を超えた姿だから、既存のなにかにあてはめられないとのこと。

姿は人外のような、人によってはオドロオドロしい造形で瞬間瞬間にかわるが、非常に明るく白っぽい波動の存在。

お金、まずどうしたいのか?と効いてくるので、お金を稼ごうがもらおうが、そのときそのときの自分にとって「充分にある、たくさんある」と感想をもてるような経済状態がいいと答えたら「それがあなたの正解」と言われる。

だから「お金を稼げる、もらえる」ではなく「常に充分にお金がある生命の樹」に変えればOK。

それがいまできていないのは、先の排泄記事でとりあげたお金に対する意図のブレ、着地しなかった意図やエネルギー、お金に対する様々な集団無意識が邪魔しているから。

それらの意識やエネルギーを、すべてリサイクル可能な状態に浄化し、細かくし、自分の生命の樹に循環させればよい。

ある人物を思い浮かべ、その人と同じように充分お金がある状態になると考えたとき、頭の天頂の奥がなにか疼く。そこの声を聞くと、ドクドク脈打ちながら「う、、、嘘だ、うそだ!そんなの無理だ!」と叫んでいる。そんな状態になったことない、やったことないから、だそうだ。

じゃあ「そんな状態になったことない、やっことがなくても、今後はそういうことを経験できる世界、生命の樹になる」と意図し、宣言すると、今度は左目の奥から嘲笑する声。「え、そんなの無理でしょ?できるとおもってるの?」とニヤニヤ陰口言う。

「まあいいよ、そう思っていれば?」というと、ちょっと悔しそうな、なんとも言えない渋い表情をして、ギューッと小さくなってパチンと消えた。

そうしているとさっきのガイドが「さあ、それではもういいかな?」と言ってきた。さっきのガイドは、こんどは白いスーツにコート、次元大介がかぶっている形の白い帽子をかぶっている。顔はコートの襟に隠れて見えない。なにかタクトのようなものをだし、クルクルまわると、周辺の景色が次元上昇をしているような異次元空間的な風景になる。

「●●のように充分にお金のある生命の樹」ができ、まるでポスターのように、目の前に貼られている。その生命の樹の背景は、暗いけどちょっとインド神話の楽園のような感じで、蓮の花や象?のような動物がいる楽園。

「私は、自分の生命の樹をこれに塗り替え、自分の人間としての幸福の意図をよりパワフルに実現していく」と意図し宣言すると、それがより固定された感じになる。

真っ白なコート、スーツ、帽子の人は真っ白さんとでも名付けておく。


生命の樹と排泄

2020-09-06 22:39:36 | 生命の樹・パスワーク

ウィリアム・G・グレイ「カバラ魔術の実践」に「排泄」という概念と生命の樹をむすびつけた独特の章「排泄の秘技」がある。

伝統的な参考文献にも載っていない、と断りながらもこの話にページを割いているということ。これは注目に値するのではないか。

生命の樹が万能で基本的なツールであれば「排泄」という概念は、マクロコスモスでもミクロコスモスでも存在しうると考えられる。

それは「神」や「宇宙」にもあるし、人間や自然のなか、肉体内の微小な生物にも適用できる。

神と排泄物、というこの言葉の響きの中には、ある種の人達を猛烈に怒らせるなにかがある。そのなにかを自分が感じたときに、なぜそう感じるのかは注意したほうがいいのかもしれない。

こんな一文がある。

===

サタンとう名前の語源である昔のヘブライ語の Sh ThN は「壁に小便する」という意である。だからまさに「悪魔」という名前そのものは、人間の身体組織を維持する上では不必要な肉体の老廃物を表している。

===

なかなかここの章の話をまとめるのは難しいが、まず「排泄」や「神が糞をする」ことに、妙な嫌悪感や羞恥の感覚をもっていないか、自問自答は必要かもしれない。

そしてマクロコスモスで考えた場合、「神の糞」や排泄問題は、単純に「マルクトまで結実しなかった意図やエネルギーである」と考えることができる。

現在の人間世界は、迷いの多い世界で、自分の意図そのものがあやふやだったり、のっとられていたりする。

また思いもよらない多くのエネルギー、無意識、集団無意識などにじゃまされていたり、接続されていたりする。

自分の生命の樹に、もう既に不要になった、使えなくなった意図やエネルギーが存在していないか。していたら、それを再び消化し、排泄し、無害でリサイクル可能なものとして、あたらしくケテルからの意図がマルクトに着地するための材料として使う・・・という意識や意図が必要なのではないかと思う。

その際に、排泄の名前をつけた自分のなかの「悪魔」と対峙する状況になる可能性はある。

ただ、その悪魔は怖がる必要はない。ただの「排泄行為」を、人間が不必要に貶めて、恥であるとしただけかもしれない。サタンの内実は、おもらしをした子供のような、無邪気で小さな存在なのかもしれない。


ケテルという純粋な意図。魂の欲求。それを人間の身で認識して理想の王国であるマルクトを築く

2020-08-31 14:05:48 | 生命の樹・パスワーク

人間が自分の最奥、魂の本来の純粋な側面にまで達し、自分の純粋な意図というものに気づけば、そこから発する意図・意志はケテルとなるはず。

ただ、そのケテルまでに達するまでが時間がかかる。

人間はマルクトにいる。マルクトから上の層、イエソドやネツァク、ダアトへと上がって自分を覆う様々な誤解を認識し

それが各種のスピリチュアルのワークや瞑想。ヘミシンクでいうならレトリーバルとか瞑想とか過去生探索、高次元探索など。

よくワンネスが取りざたされるが、案外皆の言うワンネスは低い領域な気もする。例えばティファレトとか。

その上には「深淵」があり、ダアトがある。それより上は人が「上がって」介入するのは難しい。

生命の樹はこの宇宙…自分の認識可能限界内を示す。深淵より上も認識は可能であるが、自分が意識をむければ到達できるような気がしない。その領域は上からの意志が降りてきて引っ張り上げてくれないと出会えない。

マルクトでどのように生きるか。それは人間としてどう生きるか。そう考えた時、恒星意識や高次元存在とも言える「ケテル」は、人間に苦労を強いるだろうか?そもそも人間の常識とかわからないはず。なにかしらのテーマや目的はあるにせよ、マルクト内で「人間的苦労をしながら、それを達せよ」とは意図していないはず。

苦労は勝手にマルクト内で起こっている現象で、「上」はそれを不思議におもっている・頭をひねっているのでは?魂の欲求・意図をみたす楽園をつくったはずなのに、人間たちはなぜこうも苦労をし、勝手に低く重い沼のなかで溺れているのか?と。

本来マルクトはケテルの玉座であり受け皿。マルクトが満足いく「王国」であればスピリチュアルなことなんてしなくても、自分のケテルの意志が為されているということ。

で、このマルクトが思う通りの状況になっていないということは、スピリチュアルな界隈で色々行われいてうワークなりして変えていけばいい。

大体は「基礎」となるイエソド、「美」としてゲブラー、ケセド、ホド、ネツァクの中心であるティファレト。

ティファレトの「美」というのは「バランス」でもある。その人にとってもバランス。ゲブラー、ケセド、ホド、ネツァク、ティファレトは四元素がそろった状態とみてもいいし、五行ととらえてもいい。比較的人間がアクセスしやすい。

またダアトを考慮にいれて、ダアト・ゲブラー・ケセドを「創造の三つ巴」と擬似的にとらえて、ここの状態を点検すれば、ケテル・ビナー・コクマーの真意に気づきやすいかも。

このあたりはアストラル体として捉えていいかもしれない。また、H48やH24やH12。なにかしら固執・妄執・偏りがあれば、それを偏ったままでバランスをとってH48状態に。各セフィラの偏りを認識して修正していけばH24やH12に。ティファレトはパスワークでは、ケテル(ダアト)から下におりて「2女教皇」。TORAを保有するパスであり、アカシック・レコードをあらわすことも。

アカシックとは虚空であり、ある意味アインーアインソフーアインソフアウルから集約され顕現したケテル(およびコクマー、ビナー)まわりの知識やデータを保有している?

そういった自分のなかの知識、叡智、データをティファレトはH12として受信するのかもしれない。ダアトはH6?ケテルはH1もしくはH6。それはどこに生命の樹の法則をあてはめるかという状況によって分かれるかも。

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チャクラやクンダリニは、肉体感覚なのでマルクトちかく。これに固執してもあまり意味がないかも。むしろ「イエソドからマルクト」への道「世界」のパスワークに該当する行為として、自分の病気や症状、体にむきあうことをしたほうがいいのでは。


習い事、嫌なこと、ネツァク、運命の輪

2020-07-24 17:47:17 | 生命の樹・パスワーク

先日クリニックにいって腹部の触診をうけた。医者に「生理痛はないのか?」と聞かれたが、昔はあったけど整体で対処していまはない、と答えたら不思議そうな顔をしていた。

その翌日、ある習い事のことで母親と感情的に対立し、一気に真っ黒な殺気のようなエネルギーがでてきた。くだんの医者が触っていた左下腹部あたり。ネツァク=ケセド間あたりでパスでいえば「10:運命の輪」。

その習い事は芸術系だったのだが、無理やり母親にやらされてとても嫌だった。しかも、勉強と並立させながら、その習い事も結果を出し続けることを常に求められていた。将来はそれで身を立てることを勝手に夢見ていた母親とはよく対立した。

いわゆる毒親の家庭で強圧的な家だったので、とても嫌だったのに、その習い事に毎日時間をさいて向上させないといけない精神的な地獄が高校の終わりまで続いた。

今回は、私のその苦しみをしらずに頭がお花畑の母親が、その習い事について回想して勝手に感動し、「またやればいいのに」と私にたいして臆面もなく喋っていたから。ふざけんな、殺せというのが正直な気持ち。

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後から気づいたのだが、今回の黒いエネルギーがでてきたのは「10.運命の輪」のパス。運命の輪は、幸運を享受するパスだから、そこにその習い事や幼少のトラウマが絡まって阻害していたのか?

あらためて考えてみると、私はその習い事自体はやるのは嫌いではない。

ただ、母親をそれで喜ばせたりしたくない。なぜかというと、それをすると、強要されて辛かった子供時代の自分が救えないから。

母親には再三嫌だといっていたのに、そういった内容は耳に残らず、自分の夢しか唱えられない母の身勝手さに猛烈な殺意がわくし、それを否定したくない。

ただ、その習い事自体は、「母」という要素が絡まなければ純粋に喜びでると言える。喜びや芸術はネツァク。

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その後に、身体全体のだるさと、腹部の不調がでてきた。これは「節制」部分の再調整?

さらにその後に首の右側だけかゆみがでてくる。

今回の件は、運命の輪のパスに潜んでいたトラウマを認識して整理して浄化するのに良かったのかもしれない。

 


ヨガ、4と5、体躯と下肢についてと現実化

2020-07-20 18:46:38 | 生命の樹・パスワーク

覚書。

ヨガを行うときの上達のコツというか、エーテル体の活性化という側面で考えたときに、両手両足のそれぞれ四肢に意識をおき、そこから下腹部でプラナを練るようなことをすると良いらしい。

 

人間の四つの腕(手足、前脚後ろ脚とも)は、それぞれケセド、ゲブラー、ネツァク、ホドに対応する。この4つを4元素としてみると、揃えたときにティファレトである真の自己が実現されやすくなる。

 

ただし、ティファレトの下にあるイエソド(月)が現実世界での写し鏡であり、ケテルからネツァクまでのセフィロトを経由した後の「鏡の中の鏡」である。イエソドには「基礎」という言葉があてられているように、ケテルの純粋意志がながれつき、複雑な様態になった終着地点で、上位を受け止める器。

現実世界になにかの意志を反映させるには、

アツィルト(流出)→ベリアー(知性、創造)→イェツィラー(形成)→アッシャー(活動)

の4つの工程を経なければ実現されない。

 

アツィルトは「純粋な意志」=こうしたい

ベリアーは「創造、知性」=こういうものにしよう

イェツィラーは「形成、形作り」=実際に形がなされる

アッシャーは「活動」=実現したもので、遂行する

 

この「4」は、両手両足の4でもある。

また生命の樹の中の「イェツィラー」部に4が含まれている。

4+3=7。

ケセド、ゲブラー、ネツァク、ホドの「4」、ダアト、ティファレト、イエソドの「3」。

この7つのセフィラを含む・・・調和の六角形+1(ティファレト)がイェツィラーの領域。3+3+1、とみても良い場合もあるのかもしれない。

イェツィラーはエーテル体、ともいえる。意図を、水のような柔らかいもので形にする。マルクトは水がより凝り固まった領域。しかしマルクトはケテルを補完する。最低のものが最上を補完する。ある意味「世界」のパスが示すもの。

ヨガ的ではこうとも言える。アツィルトは主人、ベリアーは御者、イェツィラーは馬、アッシャーは馬車。すべてが動き、「主人」を望むところにどこかへ連れて行く。場所は最低ではない。主人を望みの場所につれていく最高のもの。

 

ヨガのアサナで、上肢を意識し、下肢で踏ん張り、イエソドにプラナをおくりクンダリニを意識する、丹田を練る。呼吸によって第一チャクラから登っていくと、ケテルからの純粋意志が降りてきてティファレトで調和する。天からの流出や創造と、地の形成・活動が調和して現実のものとなる。

生命の樹の原理で、ヨガの働きを加速し、願望を実現化させやすくなりやすい気がする。