小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

富士通開発の新たな音声認識ソフトに期待する:

2015年04月15日 | 社会戯評
富士通開発の新たな音声認識ソフトに期待する:
最近では、スマホの操作も、音声認識可能になり、うっかりして、そのまま、オンにしていると、何処からか、突然、認識さえませんでしたと声が聞こえてくるのには、ビックリさせられてしまう。それにしても、単独の音声入力でも、これだけの問題があるのでアルだから、複数の会話を拾って、しかも、それを同時に、即座に、言語テキスト化して、PCに表示させられることが可能であると云うではないか?もとも、最近では、音声入力による同時翻訳ソフトも、販売されている時代だから、技術的には、可能なのであろうか?それにしても、聴覚障害者にとっては、これが、実現されたら、これまでの手話通訳とは異なり、会議や講義なども、充分現場で活用出来るであろうし、誠に、朗報と云うより他に言葉がない。会議禄なども、同時進行で、発言者の一言一句が、言語テキスト化されて、文字表示出来るとなると、録音やこれまでの必至にメモをとっていた作業なども、不要になるかも知れない。考えてみれば、日本の技術力というものも、まだまだ、捨てたモノではないのかも知れない。今後の具体的なアプリ提供に期待したいものである。

油断していたら、冬に逆戻りである!:

2015年04月14日 | 自然・植物・昆虫
油断していたら、冬に逆戻りである!:
もう、春めいてきたと思っていたら、東京では、既に、桜が満開であった。又、東京の庭の花桃も、白木蓮も散り始めていて、今や、ハナミズキの蕾がおおきく膨らみ始めていた。こんな調子だから、一挙に、春が進んでくるのかと思って、小諸に戻ってきたら、案に相違して、小雨模様で、しかも、外気温が5度で、これでは、まだまだ、里山の麓は別にして、山の上は、まだまだ、冬の様相に逆戻りしてしまった感じがする。三寒四温とは、良く言われるが、これでは、一挙に、冬へと逆戻りで、肝心の桜の花も、果たして、強い雨風に、耐えられるかとも心配になってしまう。大体、毎年、里山の上は、GWの連休くらいにならないと、桜も開花しないが、今年は、若干、早いのかも知れない。花の魁として、挑戦レンギョウが、黄色い花が、咲き誇り始めるのも、あと少しであろう。麓では、今や、真っ盛りである。東京で購入した八重桜の苗は、今や、小さな花が2-3輪咲き始めて、何処に、植えようかと迷ってしまう。山桜の樹が、数年前に、土壌菌の為に、カビにやられて、枯れてしまったのは、残念であるが、これに代わって、おおきくなってくれると有難いところであるが、、、、、、、、。生存競争が激しい、自然界のことだから、しっかりと、地中を耕して、土も軟らかいものを入れてやらないと、なかなか、根付きが難しいかも知れない。地植えは、もう少し、暖かくなってから、やることにしよう。それにしても、まだ、ストーブが、朝晩には、手放せない程、寒い。残念乍ら、小諸懐古園の桜は、未だ、1-2部咲きといったところだろうか?その代わり、天守閣跡からは、アルプスの雪を頂いた遠くの山々が眺めることが出来た。あと、1週間か、10日ほどであろうか?

「ポートラック」の無力化は、本当なのか?:

2015年04月13日 | 社会戯評
「ポートラック」の無力化は、本当なのか?:
銀行関係のネット不正送金の詐欺被害が、後を絶たないが、このウィルスである「ポートラック」というウィルスの海外サーバーを突き止めて、無力化に、警視庁のサイバー犯罪対策が、成功したと云われるが、本当にそうであるならば、日本のサイバー犯罪の対策も、これまでの後手後手から、一挙に、攻め転ずることが可能なのであろうか?しかも、このサーバー経由で、感染したPCを特定できるとは、なかなか、凄い技術力であろう。おおいに、評価して宜しいのではないだろうか?知らないうちに、感染しているケースが、大半で、何気なしに、サイトを覗いたために、感染してしまうのでは、たまったモノではない。しかも、被害者が、当然、加害者であるから、必ずしも、裁判で、損害賠償を訴えても、必ずしも、賠償責任を訴求されうるとは限らない、誠に、厄介ことである。これが、一挙に、無力化できるのであれば、それに越したことはないし、有難い話である。もっとも、心配の種は、又、これを凌駕するような新手の不正送金ウィルスが、出てこないとは限らないし、全く、ウカウカしてはいられないのが、実情であろう。いずれにせよ、積極的な攻めのサイバー犯罪対策というものは、これまでの守りの対策とは一線を画した画期的な取り組であり、もっと、評価されて然る出来であろう。その意味で、警察による不祥事が続いている中で、おおいに、評価称賛されて然るべきであろう。オリンピックに向けても、ますます、ハッキング攻撃が盛んになるであろうことは、容易に想像される以上、更なるセキューリティー強化対策が、望まれるところである。今後も、警視庁のホワイト・ナイトの活躍を期待したいところである。

アップル・ウォッチは、起爆剤たり得るか?:

2015年04月12日 | 社会戯評
アップル・ウォッチは、起爆剤たり得るか?:
携帯電話を使用し始めたせいか、現役生活を終了したからなのか、最近では、すっかり、腕時計を使用することがなくなってしまった。30年ほど前には、カシオの腕時計で、血圧を指先で、測れる時計というのが発売されたので、高血圧対策として、使用していたこともあったが、今度、発売予定のアップル・ウォッチには、健康測定機能が付加されているらしい。私の友人で、機械式の腕時計を多数コレクションしている者がいるが、どうも、私には、理解出来ない。時計機能というよりも、むしろ、機械式時計そのものが、ファッションの一部なのであると、良く言っていた。成る程、時間を確認するためではなくて、衣服などのファッションの一部なのかも知れない。さすれば、これを機にして、再び、腕時計が復活する可能性がないとは限らない。むしろ、時計市場の見直しと新たな腕時計の開発にも繋がるのかも知れない。謂わば、スマート・ウォッチという範疇が、新たな腕時計というもの、その機能を見直すきっかけになるのかも知れない。左手には、ひょっとすると、スマート・ウォッチ、右手には、機械式ファッション時計をつけるというビジネスマンが、新たに、出現してくるかも知れない。それにしても、クウォーツという時計が、出てきたときに、随分、ビックリしたものであるし、正確性にも、驚かされたものである。今度のアップル・ウォッチは、スマホとも連動しているので、少なくとも、メールやネット・サービスなども、もっと、身近なものになるかもしれない。もっとも、電池が、長持ちしなく、18時間程度であるとも云われているが、ソーラー電池対応は、まだ先のことなのか?それにしても、メーカーとしての発想と開発というものは、実に、面白いものである。こうした新しい視点、新しい発想の転換というものが、ますます、必要になってくるのかも知れない。そんな予感を感じさせるものがある。白物家電メーカーには、耳の痛い話であろうか?その意味でも、おおいに、期待したいものである。もっとも、オメガは、スマート・ウォッチ分野には、参戦しないらしいが、それも、もっともであろう。

忘れ去られた太平洋での闘い:マキン・タラワ海戦

2015年04月11日 | 社会戯評
忘れ去られた太平洋での闘い:マキン・タラワ海戦
ペリリュー島、アンガウル島という文字が、紙上やTVで、天皇による戦没者慰霊をきっかけにして、躍っている。戦争の風化、遠い太平洋上での忘れ去られた闘いの中で、犠牲になった軍人・軍属のみならず、米軍の戦死者も含めれば、その数は、数知れない。しかも、生き残った兵士達によれば、それは、逃げ場のない狭い場所に投入された、殺すか、殺されるかというまるで、蠍のデス・マッチさながらの闘いであったというではないか!攻める側の米軍ですら、圧倒的な物量と軍事力での優勢の為か、2-3日もあれば制圧できるとタカをくくっていたら、案に相違して、2-3ヶ月にも亘り、しかも、甚大な死傷者を出す羽目になってしまったのは、誠に、皮肉なことである。従って、日米双方にとっても、これらの一連の太平洋での島々を巡る闘いは、ひとつひとつが、悲劇的な「忘れられた闘い」になってしまったことは、云うまでもないことであろう。日本人は、闘いに敗れたから、一層、死者を悼む訳であるが、米軍の戦没者の遺族は、逆の立場で云えば、戦争勝利に、果たして、寄与した名誉ある戦死であると、思っているのであろうか?未だに、アメリカでは、依然として、原爆投下を戦争犠牲者を減殺した行為として、受け止められている、こうした考えが、多いのも事実である。天皇の固持する「戦争の風化」への一段の懸念が、サイパンに次いで、今回のペリリューへの慰霊の旅になったことは、間違いないであろう。もう、残された遺族も高齢で、子や孫への「記憶の継承」が、必要不可欠であろう。それは、日本だけの問題ではなく、日米双方でも、同様な問題が、生じてこよう。その意味で、ペリリュー島、アンガウル島という聞き慣れない名前が報道されるのは、意味があろう。それにしても、父方の叔父が、佐世保港から送られて、守備していた赤道直下のギルバート諸島のタラワというところは、改めて、地図で見ても、途方もなく遠い島である。先般、スーパー台風に襲われたツバルの北に位置する。日本から、約6000キロ程もあろうか?玉砕と称されるのは、1943年11月のことである。日時は不明、遺骨もない。

ウィキペディア、タラワの闘いより:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


デフレ退治は、果たして可能なのか?:

2015年04月10日 | 社会戯評
デフレ退治は、果たして可能なのか?:
一時、ワン・コインで、昼飯が食べられると云われていたものの、結局、いつの間にか、300円を切るような値段になり、そえすらも、割り込むような勢いであったものが、いつの間にやら、円安の影響や原料素材の値上がりやら、人手不足も相俟って、いつのまにやら、
所謂デフレ・モデルの外食型が、破綻寸前であるのが、実情で、いよいよ、背に腹は替えられないとばかりに、値上げに転じることになるのであろうか?もっとも、日銀の思惑とは別に、どうも、物価上昇目標の2%は、どうやら、怪しくなりつつあり、2年でも、或いは、3年でも、果たして、達成出来るかどうかは、怪しくなってきた模様である。しかも、大企業から、中小企業へも、官製賃上げによる国内消費需要の活性化も、果たして、これから、眼に見えた効果が上がってくるのであろうか?それにしても、株価2万円目前の株高になったにもかかわらず、どうも、消費や設備投資への資金の強い流れは、未だ、みられない。いつになったら、その影響は現れてくるのであろうか?そして、その延長線上で、景気の一段の回復、成長軌道へと、或いは、デフレの実質的な克服は、果たして、実現されるのであろうか?財政再建も果たせず、デフレも退治できず、捻れた形での株高や、物価上昇だけが残されるのでは、堪らない。本当に、思惑通りに、退治できるのであろうか?

藤田嗣治、戦争画を観る:

2015年04月09日 | 伝統工芸・展示会
藤田嗣治、戦争画を観る:
なかなか、観ることが叶わなかった藤田嗣治の戦争画を、東京国立近代美術館で、観賞することが出来た。先日、たまたま、レオナール・フジタ展という上田市立美術館での作品展を鑑賞する機会に恵まれたものの、ポッカリと、戦時中の作品群は、そのコンセプトから、ぞぐわなかったのか、写真でも、展示がされていなかったので、是非とも、観たいと思い立ったものである。竹橋駅に近い東京国立近代美術館の3階に、それらは、観るものを圧倒するかの如く、壁面に飾られている。そもそも、「サイパン島同胞臣節を全うす」の絵には、何故、現地人と思われる人々が、非戦闘員として、日本人軍人と共に、描かれているのは、どういう理由なのかというこれまでの疑問が、この展示の説明を観て初めて、理解出来たのは、まるで、眼から鱗のようである。どうやら、従軍画家という役割、或いは、戦意高揚としての宣伝工作隊という軍部の目的だけでは、語れないその画家の思いを改めて、観るようである。そうすると、所謂、「戦争画」というものも、見方が、やや、変わってこよう。「サイパン島同胞臣節を全うす」というこの絵は、1944年7月の製作であるから、この1年後には、もう、終戦に至る時期であるが、絵の右端の小さな解説によれば、この現地女性達とおぼしき人々は、「アリ・シェフェール作のスリオート族の女たち:1827年ルーブル美術館」から、構想を得ているというではないか? これは、異民族に追われる現地先住民族を強く意識して、意図的に、その心の中で、想像して描いたところの「バンザイ・クリフ」が、僅かに、隠れるようにして、右端隅に、小さく描かれているのも、興味深い。その絵の題名に冠した「同胞臣節を全うす」に、較べると、穿った見方をすれば、この絵で本当に訴えたかった画題のために、フェイントで、冠したのではないかとも、思われる。謂わば、画家が本当は訴えたかった暗号を絵の中に、秘しておきながら、表向きは、軍部に対して、題名だけは、意図的に、妥協したのかも知れない。そういう観点から、眺めていると、「アッツ島玉砕」の絵も、その画家が訴えたかった主題というものが、骸骨のような様相にも、小さな花も理解出来るのかも知れない。そういう意味から、所謂、「戦争画」というものを眺めていると、必ずしも、「戦意高揚・プロパガンダ」という側面から、単純に、バッサリと、一刀両断する訳には、ゆかないものがあるようにも思えてならない。これらの大きな壁面を飾る絵を観ていて、是非、ゆっくりと、椅子に腰掛けながら、全体を俯瞰して、或いは、近くによって、精緻なタッチを眺めるもよし、一度は、生の実物の絵に接することをお薦めしたい。これまでの藤田嗣治という画家に対する何か、心の何処かで、感じていた「違和感」が、やっと、氷解するような感慨が湧いてきたのは、不思議である。当時、この絵は、日本で、果たして、解説無しに、どれ程の人々から、その真意が理解されたのであろうか?そういう自由すら微塵も無い時代であったのであろう。それとも、画家は、理解されずとも良い、いずれ、平和な時代に、再び、理解されようということで、納得して、押し黙り、戦後、美術界の戦争批判を一身に引き受けて、故国を去って行ったのであろうか?その心情を考えると、その画家が、云ったと言われる、「この絵を見ながら、手を合わせて祈っている母親とおぼしき遺族を見た時に、画家としての興奮を覚えた」というのも、きっと、真実なのではなかろうか?それにしても、平日雨だったから、予想外に、外人観光客が多いのには、驚かされたものの、ゆっくり鑑賞できて、良かった。その他にも、個人的に、跡見玉枝による50種類以上に及ぶ桜の花の桜花図巻とか、川瀬巴水による版画など、素人なりに、絵を描いていたり、版画を彫ってみたりしたいなぁと心動かされる作品が少なくなかった。写真もフラッシュ無しで撮影が許可されているのも有難いし、データ・ベース・ライブラリーも充実しているので、専門家にも、便利であろう。「片岡球子」展も、同時に開催されている。

パラオ、ペリリュー島慰霊と戦没者追悼:

2015年04月08日 | 社会戯評
パラオ、ペリリュー島慰霊と戦没者追悼:
私の親族には、父方、母方ともに、フィリピンとギルバート諸島で戦没した叔父達がいる。天皇による、たっての願いにより、パラオのペリリュー島への慰霊が、4月8日に、敢行されることになり、赤道近くの中部太平洋の激戦地の島の名前が、突然、紙面を賑わすようになってきた。それは、良くも悪くも、日本の戦後遺骨回収も、未だ、戦後70年の年月でも不十分であり、或いは、戦艦武蔵の沈没後の姿が、発見されたとか、或いは、4月7日が、戦艦大和の枕崎沖での撃沈の日とか、原爆ドームが建築後100年記念とか、奇しくも、日本人の記憶の中で、ひっそりと、生き続けていたことを改めて、想い起こさせる。天皇による慰霊は、サイパン慰霊の時に、実際、なされなかったものを今回、時期を変えて、行われるものであるが、それはそれなりに、その気持を忖度するときに、評価されて然るべきであろう。それよりも、歴史の認識と記憶と、或いは、今日的な国防に関する構想の中で、当時の太平洋諸島防衛構想をも、彷彿とさせるような中国の国防構想や日本やアメリカの国防構想を、改めて、考え直す必要があるようである。一度は、ギルバート諸島のタラワ島へ、両親同様に、慰霊にゆきたいものである。英語では、Missing in Action (MIA) として、謂わば、作戦途中での行方不明者と呼ばれているが、日本では、玉砕とか、戦死者として、扱われている。しかも、遺骨もなく、もはや、その死亡日時も命日も推定であって、遺骨の収集などは、今更、新しい米軍の軍事基地の下に、眠っている以上、到底、不可能であろうことは、容易に、想像される。それでも尚、遺族は、慰霊と遺骨収集を願って、遠い異国の戦没地を訪れようとしている。こうした事業もさることながら、むしろ、今後は、歴史の風化を防ぎ、戦没者慰霊のみならず、現地の住民への謝罪と今後の友好関係の構築という新しい作業を何らかの形で、留学生の招聘とかを含めて、行う必要があろう。一過性の慰霊ではなくして、何らかの新たな方向性が、望まれるところであろう。一度、どんな島で、闘いがあり、無くなったのであろうかを、この目で、みてみたいものである。

大型液晶モニターを設置する:

2015年04月07日 | 社会戯評
大型液晶モニターを設置する:
眼が衰えてきたのであろうか、どうも、ノート・パソコンの画面を拡大にしたり、文字を大に表示を変えても、なかなか、画面が見えずらくなってしまった。そこで、大型液晶モニターを繋げて、画面だけでも、或いは、ネットの画面だけでも、大型モニターの画面で見ることにしてみた。成る程、左横に置いて、眺めてみると、これは、眼の負担が確かに、減らされるのかも知れない。大きな文字で、眼に入ってくるのは、おおいに助かる。スマホやノート型のPC画面は小さいので文字を拡大しても、全体が、すべて映し出されるわけでないから、なかなか、厄介である。それに比べると、大型モニターならば、無理なく、大きな文字でも全体が眼に馴染んで入ってくるから成る程、これは便利である。しばらくは、この大型モニターを使用してみることにしよう。

=やっと、春めきだした!:

2015年04月06日 | 自然・植物・昆虫
=やっと、春めきだした!:
タンポポの黄色い花が、咲きだしたと思っていたら、今度は、知らぬ間に、雪柳に、緑色の芽が、かすかに、観られるようになってきた。未だ、朝晩は、冬に逆戻りしたかのように、ストーブを手放せないが、どうやら、里山の麓のほうは、白木蓮が咲き、梅も満開、やっと、桜の蕾が、ピンク色に、染まり始めてきた。いよいよ、もう間もなく、里山の方にも、春の訪れが、一週間ほどで、来ることであろう。たまたま、東京へ、所用で戻る途中には、もはや、桜も満開で、東京では、既に、白木蓮も、雪柳も、ほとんど、散り終えて、箒状に、天空に枝を高く掲げた桃色と色の花桃の花達が、今年も、元気に、咲き誇っている。そして、これからは、白いハナミズキの花が、樹木全体を蔽うように、咲き誇ることになる。こうなると、春も本番であるが、今年は、私の感覚からすれば、少々、早めの感じがしてならないが、流石に、里山では、やっと、桜が、蕾を膨らませたところで、もう一度、桜を愉しめるのは、誠に、有難い贅沢なことである。碓井峠は、昼間でも外気温5度で、まだまだ、冬の様相であるが、程なく、緑色の木々の芽吹きが、観られるかも知れない。そうなると、景色全体が、茶色の枯れ葉を落とした樹木の茶色一色から、緑の芽吹きとのミックスに、そして、段々、その薄緑色が、濃くなってゆき、最後には、多くの木々が、その緑の葉に、蔽われて、ひとつの季節が、次の季節へと、又、バトン・タッチしてゆくことになろう。それも、もうすぐであろうか?又、その色合いのグラデーションの変化が、愉しみである。

真壁のスィーツとハスキー本間コンビ:

2015年04月05日 | スポーツ
真壁のスィーツとハスキー本間コンビ:
私、プロレスの味方です、ではないが、世に憚られる隠れプロレス・ファンである。といっても、最近では、余り、テレビの試合を見なくなっているが、、、、、、。この世界では、ベビー・フェースとヒールが、ハッキリしていて、どちらかと言えば、真壁もそのタッグを組む本間も、ヒールであることは、間違いなさそうである。そんな眞鍋が、一人前に、最近では、スウィーツの本まで、出版しようとは、誰が想像出来たであろうか?昔、横綱、大乃国が、あの大きな身体に似合わず、引退後に、スウィーツ好きであることを表明して驚かされたが、流石に、プロレスラーのヒールの第一人者である真壁が、スウィーツを食べながら、結構、様々な番組で、まともなコメントをしているのを聴くと、そのギャップの大きさに、改めて、ビックリさせられる。案外、その言動は、計算し尽くされた頭脳明晰なのかも知れない。恐れ入ります。同様に、本も、今や、引退した天竜のしわがれた声の後継者として、喉に激しいラリアートを食らったために、声帯に支障が生じて、ハスキー・ボイスになってしまったのかは、分からぬが、その憎めない馬鹿っぽい軽いキャラクターとも相俟って、なかなか、いい味を出しているではないか?しかも、もういい年で、40手前であろうか?プロレスラーとしての人気もさることながら、こういう特異なキャラの売り込みの仕方というものも、プロレスは、一種のレスラーというキャラクターを世に、如何にして、売り込むかというマーケティング戦略みたいなものの一環が、今日、必要・不可欠なのかも知れない。そう言えば、昔は、女子プロレスも、リングの上で、紙テープが乱舞し、歌や踊りでメイン・イベントが始まる時代があったが、今や、顔面破壊などと云う男顔負けの真剣勝負に、活路を見いだしているのであろうか?それとも、新たなマーケティング手法を試行錯誤、現在進行中、模索中なのであろうか?それにしても、最近のヒールは、一流のスウィーツの食レポといい、何を言っているのか聴きとれないハスキー・ボイスが、人気を博するとか、ヒール・レスラーも、幅が拡がって宜しいではないか?そう言えば、昔、読書家のジャイアント馬場が、新潮社か、何かの宣伝に、出ていたことを想い起こす。本業のプロレスでも、バラエティーなどでも、活躍することを祈りたいものである。

レオナール・フジタ展を覗く:

2015年04月04日 | 伝統工芸・展示会
レオナール・フジタ展を覗く:
上田市立美術館での、ポーラ美術館(箱根・仙石原)所蔵コレクション中心の藤田嗣治展である。画家の生き方と絵画による表現・主張とは、生涯一致するものなのであろうか?展示会の題名に、藤田嗣治展という名称を用いずに、むしろ、カトリック洗名であるレオナール・フジタとしたのも、何か、この異邦人と評される画家としての生き方、考え方を著しているのであろうか?藤田やFUJITA ではなくて、FOUJITAだそうである。同じ、上田にある戦没画学生慰霊美術館、無言館や信濃デッサン館とは、おおいに、この私立美術館は、趣きを異にしている。それは、丁度、その画家の戦争時期での絵の違いと生き様の違いほどもあるのであろうか?個人的には、藤田嗣治の絵は、その作品に対する海外評価と戦争画が、強烈に主張するように、戦意高揚と戦争礼賛への戦後の一種、美術史上での戦犯扱いを一手に引き受けて、自ら、祖国を後にした生き方の狭間から、好きか嫌いかと云えば、どちらかと言えば、自分の中で、絵の評価も高くなかったのが、正直に言えば、実情であろうか?ポーラ美術館所蔵のコレクション中心であるから、むろん、「アッツ島玉砕」や「サイパン島同胞臣節を全うす」の絵は、写真でも展示されていない。むしろ、意図的に、この戦時中の作品は、除外されていることは、展示会のコンセプト上から致し方のない事と云えば、云えなくもない。一度、これらは、東京国立近代美術館で実物を鑑賞してみたいものである。それにしても、少なくとも、ドラクロアの構図法と巨大な画面の中で想像を駆使して描いた大作は、必ずしも戦意高揚だけではなく、その一輪の小さな花の描き方とか、非戦闘員を含めた描き方には、その児玉源太郎に係累する陸軍軍医の家系の故なのか、戦後、GHQによる追及と皮肉にも国際的な評価との狭間から、美術界の戦争責任を、一手に引き受けて、故国を後にして、戻らなかったことを思うと、画家の創作意欲というか、それを突き動かすものは、一体何であったのであろうか?大作の中に、描かれた戦争の悲惨さをさりげなく、花や悲惨な非戦闘員を含めた壮絶な光景を絵にしたものは、何だったのであるかを思うと、第一次・第二次大戦を同じパリで、経験した思いが、何処かに、潜んでいるようにも思えるし、初期のグレーなモノトーンの作風もよくよく眺めると、内面が複雑に織りなしているようにも思える。所謂「戦争画」を観た遺族と思われる人々が、絵に向かって手を合わせ、涙を流しているのを藤田が見た時に、絵も言われるな画家としての興奮と充実感を覚えたと述懐しているように、必ずしも、戦意高揚として観る側には、受け容れられたと云うことが作者の側にも理解出来たが故に、戦後、責任追及を一手に受けることにしたのかも知れない。
私は、全くの素人であるから、絵を描くという場合には、画風が、作風が、一向に、変わらない。もっとも、変わらないと云うよりも、絵画技術がないから、残念ながら、変えたいと思っても、変えられないのであろう。その点、フジタは、同時代を共に過ごしたピカソやモディリアーニなどとの親好の影響からなのか、「乳白色の下地絵」に至るまでには、随分と、様々な画風が、試みられているのは、興味深い。写真家の土門拳による撮影から、アトリエ内での和光堂シッカロールの缶が、実は、乳白色の下地とおおきく関わっていることが分かったことは、同業者でなかったから故なのか、興味深い。この展示会の中で、いくつか、気になるところが、3つほどある。まずは、「旅」である。それは、フランスへの憧れからも想像されようが、時代時代に、中南米へ、極東へ、或いは、絵画の街頭進出を目指した昭和初期の壁画制作や街頭風俗とか、戦時下での戦場への旅、画家は、旅を通して、どのような画風を確立しようとしたのであろうか?そして、乳白色誕生と油彩画技法の確立、多くの裸婦像絵画、そして、1950年代末に洗礼を受ける以前にも、数々の宗教画を描いているが、これも、フランス滞在中での第一次世界大戦下での心理的な体験がそうさせたのであろうか?そして、よく分からなかったことと云えば、数多くの「小供」の絵である。それらは、お世辞にも、決して、可愛いと思えるモノではない。しかも、第二次大戦後に、主として、描かれている、「私だけの小供」、永遠の小供、実際のモデルを写生したモノではない、私ひとりだけの小供であると、何故、こんなにも無表情な、悲哀に満ちたような眼の子供なのであろうか?何故、アクティブな生き生きとした明日への希望に充ち満ちた顔の表情ではいけなかったのであろうか?おおいに、疑問である。最期に、画家の理想とするフランスの田舎の家の絵が、「理想の家」として、描かれているが、確かに、居心地の良さそうな心落ち着きそうな雰囲気である。画家が目指した究極の安寧の空間だったのであろうか?自分の中では、その画家の国際的な評価とは別にして、どちらかと言えば、複雑な評価であったが、この展示会をきっかけにして、もう少しばかり、日本画家、藤田嗣治ではなくて、画家、レオナール・フジタの軌跡をもっと、知りたくなりました。手仕事としての裁縫も陶器・木工、大工仕事も絵付けも身の回りのものは、既製品はすべて、商品であり、「芸術家たる者は、芸術品を身に纏うべし」という信念を終生持ち続け、自分好みの手作りの芸術作品へと昇華させてしまったことも、日常生活中には、出来ないことであるし、そうあるべきかとも、この大量消費時代には、考えさせられる。
「自分の身体は、日本で成長し、自分の絵は、フランスで成長し、今やふたつを故郷に持つ国際人になり、フランスに、どこまでも、日本人として完成すべく努力したい、そして、自分は、世界に、日本人として生きたいと願ったし、又、世界人として、日本人に生きることを願ってやまなかった」その画家は、遺言通り、シャンパーニュ地方、ランスの地で、ロマネスク建築の要素が至る所に取り入れられた平和の聖母マリア礼拝堂と謂う名前の最期の作品の中、自ら初めて挑んだフレスコ画の壁画やレリーフ、ステンドグラスと共に、眠りについている。死にいたる最期まで、芸術家は、その志しを貫徹したのであろう。しかも、「(礼拝堂の壁画を製作するための)足場の上で、私は、自分の80年の罪を贖うよ」とまるで、戦争犠牲者に対する贖罪とと自らの80年に及ぶ人生を処刑台の磔台に喩えたかのように、建築家に語ったと、、、、、、、。

乱数表紛いのドメイン迷惑メールを退治する:

2015年04月03日 | 社会戯評
乱数表紛いのドメイン迷惑メールを退治する:
最近では、FBやLINEなどでの登録のせいだろうか、やたら、メールアドレスが、知らぬ間に、外部に、漏れてしまい、おまけに、海外とのやり取りが長かったためか、発展途上国での連絡先の管理などが一因になっているのか、よく分からぬが、随分と迷惑メールが多くなってきている。友人の多くは、Gmailに変更したり、或いは、無視して、結局、プロバイダーに繋がらなくなってしまったなどと云う笑えぬ経験もあるらしい。Outlookでの特定の言葉や、特定のドメインの受信拒否とか、設定をしたせいか、或いは、プロバイダーのセキューリティーを「高」に設定したためか、どうかは、分からぬが、ほとんどの意図的な迷惑メールやJunk Mailは、今や、指定したホルダーに、収まり、正常なメールと区別されることになった。もっとも、迷惑メールのホルダーには、相変わらず、乱数表を駆使したかの如きドメイン、即ち、文字や数字をランダムに、意味もなく、組み合わせた10数桁以上の桁数を有するドメインからの迷惑メールが、山のように、溜まっているのが現状である。これまでの正常メールとのミックス・混同も生じていないので、いよいよ、プロバイダーのセキューリティーを、「高」の「迷惑ホルダーに保留・保管」から、いよいよ、伝家の宝刀である究極の即時「抹消・削除」へと設定指示を変更し、一挙に、対策を講じ退治することにした。要するに、容赦なく、受信時点で、プロバイダーに、学習して貰い、且つ、即座に削除・抹消して貰う処置を試みた。するとどうであろうか?見事に、一通も、パタッと迷惑メールが、受信されなくなった。人間というものは、不思議なもので、あれ程悩ましいと思っていた迷惑メールが、今度は、来ないとなると、何か、心物寂しくなるものであるのは、困ったものである。それにしても、意味不明な乱数表紛いのドメインの登録は、どうにかならぬものであろうか?ネットの世界というものも、可笑しな世界である。

車もネット購入の時代か?:

2015年04月02日 | 社会戯評
車もネット購入の時代か?:
先般、used in Japanというコンセプトに関して、中古車販売のガリバーが、右ハンドル車の国を対象にして、NZやオーストラリアを皮切りに、ネットで、中古車販売を実験的に、実施して、すこぶる、その手応えがあるということを知った。それでも、店頭販売と較べると、様々なハンディキャップを抱えていると思われるが、逆の見方では、そのハンディキャップを補うに足る新たなサービス、例えば、中古車故障補償とか、点検の一定期間の無料化などを提供することで、充分、成算があるらしい。今後が楽しみであると思っていたら、今度は、電気自動車のテスラをアマゾンが、BMW経由で、ネット販売すると云うではないか?一体、「買い物の愉しみ」自体が、今や、目まぐるしいほど、変容してしまっているのであろうか?商品を手にとって、確認しながら、何か良いモノはないかな式のこれまでの常識は、今や、通用しなくなってしまっているのであろうか?販売店舗が物理的に少なく、市場をカバー出来ないものとか、特殊な特別な差別化できうるような商品は、逆に、ネット販売で、新たなマーケティング手法を編み出せば、まだまだ、可能性は多いにあるということなのであろう。もはや、工業製品ではないが、ある一定の規格の保証とブランドの信頼を勝ち得ることが可能な商品は、ひょっとすると、一々、手に取らずとも、むろん最終的には、どこかの店舗で、手に取る必要性があるのかも知れないが、決して、それが、決定的な要素ではないかも知れない。そう考えてみると、昔は、Sears や外国のカタログを見ながら、わざわざ、海外から、UPSか何かで、いつ来るのかなぁとワクワクしながら、想像しながら、到着を待ったものであるが、今日では、むしろ、狙い撃ち的な目的買いに、変わりつつあるのかも知れない。そう言えば、典型邸なものとしては、本の購入が既に、そうなっているのかも知れないが、果たして、思惑通りに、電気自動車も売れるのであろうか?ひとえに、ユニークなマーケティング手法とサービス次第なのかも知れないが、、、、、、どうなるのであろうか、楽しみである。


一寸気になるCM:

2015年04月01日 | 映画・テレビ批評
一寸気になるCM:
コピーライトというものは、何気なしに、耳で、聞き流しても、何処かで、心の中で、呟くというか、考え直しを起こさせてしまうようなものも、なかなか、興味深い。最近、コーヒーのエメマンと、ゆうちょ銀行のCMが、心の奥底に響いてくるのは、不思議な感覚である。「世界は、誰かの仕事から出来ている」と、南米のコーヒー畑の労働者が、(何故、日本人が演じなければいけないのであろうか?)コーヒー豆を一粒一粒、収穫する場面から、コーヒー飲料が、こうして、地球の裏側で丁寧に、支えられているというメッセージである。確かに、我々の「食」というものは、ことほど左様に、海外の低賃金と労働集約型の作業に、依拠していることは異論のないところである。それは、距離・時間・エネルギー換算にしても、どのくらい離れているところから来るのかとか、加工労働時間がどれくらい費やされているのか、もはや、これらを履がせぬほど、こうしたビジネス・モデルは、このコーヒー飲料を見るまでもなく、「世界は、確かに、誰かの仕事で、支えられている」ものなのであろう。これを忘れずに、我々は、心しなければならないのかも知れない。
「そのお金はあなたと並んで生きてゆきます」というゆうちょ銀行のCMは、新成人の4月の新しい社会への旅立ちに伴って、銀行口座のお金も、これから、一緒に、君と並んで、生きてゆくのか、それとも、お金を活かしながら、共に、成長して行くのか?どちらなのであろうか?ナレーションだけでは、分からない。自らで想像してみよう。知らぬ間に、お金は、自らの手から、砂がこぼれ落ちるように、あっという間に、消え失せてしまうものであることも、我々は、その経験からして知っている。又、お金のために、働くのか、それとも、働いた成果が、お金なのか、死ぬまで、その解答が、分からぬままに、生きて行くことになるかも知れないし、逆に、お金の呪縛に翻弄されてしまうようなことも、様々な人生をみていると、それも又、現実であることも熟知している。このふたつのCMには、どちらにも、マネーと仕事という得体の知れないものと、付き合って行かなければ、生きて行けないことを教えてくれるキャッチ・コピーなのかも知れない。