小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ふと、愛犬を想い出して、涙溢れる:

2014年07月15日 | 動物・ペット
ふと、愛犬を想い出して、涙溢れる:
何故か、ふと、君が、ベランダから、網戸を器用に、その鼻先で、開け放って、部屋に、ヌウーと入ってくるような気がしてならない。子犬の時に、初めてリードをつけたときに、嫌がったのだろうか、それとも、散歩に興奮してなのだろうか、いつもリードに、その小さな歯を押し当てて、必死に、噛もうとしていたことを想い出す。又、新車の助手席に乗せたところ、シートベルトをかじり始めたこと、凍えるような冬の夜、一緒に、綺麗な満月を眺めていたら、寒かったのであろうか、君は、お座りをしたまま、そっと、寄り添ってきたこと、寒かったのであろうか?それとも、甘えん坊で、外で飼っていたから、きっと、寂しかったのであろうか?家に連れてきた初めての日に、息子の部屋で、下痢をして、部屋中が臭くなったこと、その後も、体調不良続きで、元気がなく、診療所で診察して貰ったこと、夜の散歩の途中で、10数頭の野生の鹿の群れの横断に遭遇して、一緒に、驚いたこと、スーパーの買い物で外でお座りをして待っていたら、「犬相がとても良いですね!」と、見知らぬ犬好きの人から、褒められたこと、東京のお向かいのお宅の勝手口に来る宅配便も、必ず、吠えて知らせて、ご褒美を戴いたこと、その紋様が、そっくりだったから、「シェパードの子供が来たよ」と小さな子供に間違えられたこと、写真を見ると、本当に、シェパードみたいにピンと立った耳をもつ君には、きっと、幾分かの血が混じっていたのかも知れないね、頭も良かったから、、、、、、。散歩の途中で、君の姉妹とおぼしき同じ紋様の犬に、たまたま、遭遇したこと、そして、偶然にも、診療所も同じであったこと、りんごの果樹園を尻尾と耳を後ろになびかせて、いつまでも走り回っていたこと、君は、本当に走ることが好きだったんだね、真夏の藪の中に、野良猫を追いかけ廻して、やっと、出てきたら、冷たいコンクリートの上に、大の字に、伸びてしまったこと、谷間に、急に降りていって、しばらくして、上がってきたと思ったら、ビニール製の肥料の袋を引きずりながら、その臭いことと云ったらなかったこと、知らぬ間に、二階へ上がって、ちゃっかりと、私の布団の上で、眠っていたこと、怒られて、下へ降りる時に見せた、残念そうな顔、きっと、一緒に、寝たかったのだろうか?お漏らしをするようになったので、犬用のオムツを当てようとしたときに、いつも、尻尾の穴に、入れさすまいとして、嫌がって、尻尾を振っていたこと。余程、嫌だったのだろうね、綺麗なエメラルド・グリーンの瞳を持っていた君が、段々、灰色に雲ってきて、最後には、眼が見えなくなってしまったこと、あんなに、散歩が好きだったのに、よろよろとふらつくようになってしまったこと、そして、歩けなくなってしまったこと、そして、食事も、お水も飲めなくなってしまったこと、最後まで、よく、18年4ヶ月も頑張って、生き抜いたね!君の天性の「生きる力、生命力」とガス室から生還した「強運」を、私は学びました。君は、今、写真の中で、本当に気持ちよさそうに、寝ています。幾つものエピソードが、走馬燈のように、瞼に浮かんできて、写真が、見えなくなります。来年は、きっと、家族が増えるかも知れないよ、そんな気がします。そうなるといいね!

今年初めて、ひぐらしの声を聴く:

2014年07月14日 | 自然・植物・昆虫
今年初めて、ひぐらしの声を聴く:
梅雨空と台風の影響の中でも、ニイニイゼミは、春蝉に負けじとばかり、今日も頑張って鳴いている。そんな中で、夕暮れ時に、かすかに、遠くの森の方から、今年初めて、ヒグラシのカナカナカナーという鳴き声を聞いた。今年も、いよいよ、初夏から、本格的な夏の到来なのであろうか?もっとも、梅雨明け宣言は、まだ、先のことのようでもありそうであるが、、、、、。もっとも、気象庁の予想というものは、当てにならないので、基本的に、自然の移ろいの中で、とりわけ、昆虫や植物の生長をひとつのバロメーターとして活用した方が生活をする上では、必要なのかも知れないと、生活の知恵として、感じる。何でもかんでも、データから、科学的に解析しても、残念乍ら、反比例するかのように、自己判断能力が衰えるだけなのかも知れない。確かに、未来分析とは、独自に、仮説を立て、それを検証して行くと言う能力、そして、飽くまで、ビッグ・データというものは、その検証作業を行う際の補完材料であること、結果であって仮説を読み解く補完ではあっても、本質そのものではないこと、むしろ、仮説を如何に独自の手法で、組み立てられる能力を培うことが出来るのか、どうすれば、その仮説を打ち立て、どのように検証するかが、今日のマーケティングの手法にも通じるのかも知れない。気象庁も、アメダスだけの分析ではなくて、昆虫や植物の動態観察も、総合的に、入れてみたら、どんなものであろうか?もっとも、それでは、土石流災害は、防ぐことは出来ないかも知れないが、、、、、、、。ひぐらしはそんな中でも、日増しに、数を増して、競うように、きっと、鳴き始めるのであろう。

ジャストシステムからの重要なお知らせに考える:

2014年07月13日 | 社会戯評
ジャストシステムからの重要なお知らせに考える:
一太郎で知られるジャストシステムに、ユーザー登録をしている関係上、今回の
【重要なお知らせ】ベネッセコーポレーションの個人情報漏洩の件に対する当社の対応につきましてと題するメールを受け取った。別に、子供用のスマイル通信教育を行っているわけではないが、会社としてのモラルの失墜を考慮したのであろうかは、分からぬが、下記のような内容である。全文を引用しながら、少々、考えてみることにする。
(引用開始):
 日頃は ジャストシステム製品をお使いいただき、誠にありがとうございます。
 この度は、株式会社ベネッセコーポレーションの個人情報漏洩の件に関連する報道につきまして、多大なるご心配とご迷惑をおかけいたしておりますことを、深くお詫び申し上げます。
 当社は、2014年5月に株式会社文献社より257万3,068件のデータを購入し、これを利用して2014年6月にダイレクトメールを発送いたしました。
 事業活動の中でご登録いただいたお客様にダイレクトメールをお送りする場合や外部の事業者に依頼して発送する場合等がございますが、データベースを購入してダイレクトメールを発送する場合には、その外部事業者との間で当該個人情報は、適法かつ公正に入手したものであることを条件とした契約を締結しております。
 今回、文献社からデータを購入するにあたりましても、同一の条件が含まれる契約を締結した上で、データを入手いたしました。しかしながら、社内調査により、今回の文献社からの購入において、データの入手経路を確認しながら、最終的にはデータの出所が明らかになっていない状況で契約に至り、購入していたことが判明いたしました。
 したがいまして、当社は、企業としての道義的責任から、2014年5月に文献社より入手した全データを削除することにいたしました。なお、当該お客様情報の使用は、既に7月9日(水)より中止しております。
 当社は、株式会社ベネッセコーポレーションから流出した情報であると認識したうえでこれを利用したという事実は一切ございません。
 また、当社は、文献社から取得したデータが、株式会社ベネッセコーポレーションから流出した情報であるか否かを確認する手段を有していないため、現時点においても、そのような事実を確認できているわけではありません。
 現在のところ、当社に対して警視庁または経済産業省からの問い合わせ等はございませんが、今後何らかの要請等があれば、真摯に対応させていただきます。
 お客様にはご心配をおかけしましたことを重ねてお詫び申し上げるとともに、今後は、個人情報の取り扱いについてさらにコンプライアンスを徹底し、適正な情報管理に努めてまいる所存です。
 今後とも弊社ならびに弊社製品・サービスにご愛顧賜りますよう、お願い申し上げます。
                        株式会社ジャストシステム
                          代表取締役 福良伴昭
(引用終了):
この文面から、判断する限りは、刑事責任上からの名簿購入の可否、或いは、その出所に関して、法務部門からのコンプライアンスもあって、きちんと契約していたものの、道義上の責任から、これを破棄して、削除、(そんなことが容易でないことはウェッブの世界では、今や常識であるが、、、、、)今後の捜査にも協力すること、吝かではないというスタンスである。もっとも、名簿業者から、簡単に、データベースを、257万件余も恐らく、1件@15円としても、掛け算をすれば、どれ程の金額を支払ったのかは、おおよそ見当がつくが、こんな大量なデータが、出所も確認しないで、購入使用すること自体が、本当に、許されることなのであろうか?もはや、それは、単なる数字の多寡の問題ではない。モラルの問題になることを怖れているやも知れぬ。それは、ひいては、企業イメージ低下にもなるであろうし、極端な言い方をすれば、株価にも影響を及ぼし、最終的には、経営の問題になるかも知れない。それにしても、被害者と、この場合は、ベネッセであることに変わりはないが、広く考えれば、ジャストシステも、又、被害者になり得る可能性が、ないとも言えない。つまり、今回は、他人のデータベースを知らないという理由で、使用しているものの、万が一、自社のデータベースも、お互い様で、実は、何処かに、漏洩している可能性も否定しきれない。仮に、断固否定するのであれば、如何にして、自社データベースを、ユーザーの個人情報を守っているのかと云うことを開示、それが出来なければ、どのように、担保されているのかを、契約書ではないが、お互い、双務契約みたいな物であるが、海賊版を使用しないという誓約書同様に、今度は逆に、ユーザーに対して、個人情報の漏洩は、断固させません式の、或いは、違反の場合には、補填・補償に応じます式の、契約書を双務契約として結ぶべきで、今日のようなまるで、銀行個人保証のような一方的な片務契約では、消費者の保護は、秘密保護法ではないが、おざなりになってしまうであろう。仮に勇気あるユーザーが、ベネッセを個人保護情報違反による精神的なダメージを被ったなどと、アメリカ並に、集団訴訟でもしたら、どうなるのであろうか?インテリ・ヤクザだったら、そんなことも、考えられなくはない。直接的な被害のみならず、二次被害も想定すると、この問題の根が深いところは、単に、データベース保守会社の従業員のモラルだけの問題ではなく、広く、主契約者、サブ・コントラクトラクター、まるで、下請け・孫請けといった重層的な書面上の契約だけで、被害者が或る日、突然、被害者から、加害者へ、或いは、加害者が、突然、被害者へと転化しうることを如実に、示している。もっと、ユーザーは、権利の主張を声高に、主張しない限り、犯人捜しと罰則の強化・再犯防止策・セキューリティー強化対策だけでは、もはや、今日、自分の貴重な情報は、闇市で、高値に売買されてしまうことは、必至であろう。警察だけでなくて、政府も、経産省も、真剣に、消費者保護を考えなければならない、もう、そういう時代であること、単なるコンプライアンスという言葉やモラルに頼ってはいられない難しい時代であることを再認識させられる。関連する会社のサイトに立ち寄ると、その影響は、決して小さくないことが分かる。

ベネッセ個人情報漏洩とサイバー対策:

2014年07月12日 | 社会戯評
ベネッセ個人情報漏洩とサイバー対策:
一番女性にとって、働きやすいと人気のある大手教育企業であるにも拘わらず、子供達の個人情報が、漏洩の挙げ句に、名簿屋へ販売され、これが、ジャスト・システムや、その他の企業に、転売・転売の結果、漏洩とは知らずに、使用されていたと云われている。今日、アンケートやスタンプ・ラリーなどで、景品に釣られて、住所・氏名・電話番号などを必須記入と称されて、書いた途端に、いつの日か、知らぬ間に、個人情報がそっくりそのまま、抜けていたのではたまったモノではない。しかも、登録に、漢字ではなくて、ひらがたを使用しても、それが、いつの間にか、そっくりそのまま、何処かに抜け出て、一人歩きし始めるというのがどうやら、今日の現状であるようである。考えてみれば、今や、名刺に、メール・アドレスを書いただけで、SNSなどでも、プロバイダーでも、ヤフーではないが、貴方のメール・アドレスとパス・ワードが、第三者に、漏洩された疑いが強まりましたなどと、自分のミスを何の反省もなく、送られてくる世の中である。おまけに、今度は、サポートと称する訳の分からぬ所から、(これも巧妙な詐欺であることは疑いの無いところであるが、、、、)メールで、パスワードの更新を至急、実施して下さいなどと云う、手の込んだ詐欺メールまでも来る始末で、一体、何を信用したら良いのか、せいぜいが、パウワードを複雑に、大文字・小文字・数字・記号を織り交ぜた防衛策しか無いのであろうか?クレジット・カードも、ネット・ショッピングも、ネット・バンキングも、一体全体、どのように、個人情報は、プロテクト・担保されるのであろうか?これが、個人情報のみならず、公的機関へのハッキングなども含めて、やっと、国としても、ハッキング対策の専門部隊を創設するようであるが、それにしても、少子化で、相対的に、子供の情報までも、価値が高まり、名簿市場で、価値が上がるとは、、、、、、名簿売買事業への何らかの縛りも必要になってくるのではなかろうか?それにしても、休まるときがないのは、どうしたものであろうか?早く、漏洩のルートの解明と今後の対策、法的対応・罰則規定などの措置がどうなるのか、知りたいところである。そうこうしているうちに汚染水ではないが、知らないところで、漏洩しているのかと思うと、実に、困ったことである。

海外銀行ATM:

2014年07月11日 | 社会戯評
海外銀行ATM:
日本人の海外進出に伴い、海外での勤務に際して、現地での銀行口座の開設は、クレジットカードやチェック・ブックの利用には、不可欠であるし、又、日本の銀行との提携などが担保されていれば、更に、安心であるし、利便性も高まろう。そう言えば、もう、30年余り昔の事になるが、米国で生活していたときにも、現地銀行での口座開設も、日系銀行の現地子会社で、簡単にできたことを想い起こす。何でも、米国だけではなくて、今や、タイでも、日本語対応のATMの設置が、三菱系の銀行が、現地で、サービスを開始するらしい。考えてみれば、日本人にも便利なのは当然なことではあるものの、逆に考えれば、現地の人が、今度は、日本に来るときにも、同様なサービスが、信用上は、問題ないと言うことなのであろう。随分と、便利になったものである。日本での銀行カードや、インターナショナルのクレジット・カードでも、問題なく、現地通貨を引き出すことが出来れば、随分と便利なわけである。もっとも、交換レートや手数料などは、どんなものなのであろうか?もっとも、利便性との兼ね合いで、考えなければならないであろう事は言を俟たないかも知れないが、、、、、、。ますます、顧客の囲い込みの一大競争が、熾烈になってきそうである。確かに、中国からの顧客に対して、クレジット・カードが仕えるようにしたところ、購入金額が大幅に増加したと言うことも風聞するし、どんな新手の囲い込みが出てくるのであろうか?クルーズで、各地を寄港しながら、決済も 気にせずに優雅に旅行でも出来たら、これは、たまらない贅沢かも知れないが、それも又、夢物語でもないであろう。

日豪EPA締結とメルケル訪中:

2014年07月10日 | 社会戯評
日豪EPA締結とメルケル訪中:
経済記事というものは、小さい記事であっても、なかなか、その時点では、何のことであるか、読み解くことが、難しいものであるものの、未来から、時間を逆廻しにして、観てみると、成る程、こういうことであったのかという事が、後から分かるものである。しかしながら、それでは、手遅れな訳で、何でも未来を予想するような情報に接し、読み解くという態度が、我々には、必要・不可欠なことであるのかも知れない。 なかなか、進展しない対米交渉の最中に、いよいよ、日豪EPAが締結され、対米交渉や、TPP交渉への妥結にも、少なからぬ影響、というよりも、無言の圧力になることが期待されている。むろん、安全保障やら、集団自衛権という側面が無いわけでは無いが、それにしても、日豪、その後には、日欧との交渉が、更には、日米間での交渉が、その延長線上でのTPP交渉へと繋がって行くことになるのは、必至であろう。それにしても、FTA,TPP,RCEP(東アジア包括的経済連携)、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)、と否応なく、経済のグローバライゼイションと言う荒波の中では、待ったなしの状況である。
そんな中で、フォルクスワーゲンやシーメンス等のドイツの有力経済代表団を引き連れて、メルケル首相は、大型経済貿易協定の締結のために、もう、7度目の対中訪問であるという。皮肉にも、メルケル首相は、日本を最後に訪問したのは、洞爺湖サミットの時であると、、、、。(一体、サミットがいつ開催されたかも想い出せないくらい、昔の話であろう)日独経済関係というのは、一体、独中の経済関係に較べて、如何ほどのものなのであろうか?ドイツという国は、ナチスの呪縛から、戦後、如何にして、自らを解放し、世界政治に、世界経済の中で、台頭・復活を成し遂げてきたのであろうか?歴史認識で、散々苦労させられている何処かの国に較べて、何とも、羨ましい限りである。戦後比較文化論ではないが、どこから、どのように、今日、こんな差がついてしまったのであろうか?ドイツ戦後現代史の専門家は、いないのであろうか?日豪FPAの締結とメルケル首相の対中訪問という同時期での出来事は、きっと、どこかで、世界経済の底流の中では、密接に関わっているのかも知れない。それでは、一体、何処で、何が、どのように関連づけられているのか?新聞記事の裏側を考察してみたいものである。

ブランドのリメイク:

2014年07月09日 | 社会戯評
ブランドのリメイク:
映画に於けるリメイクは、既に、様々な洋画・邦画を問わず、その歴史は古いものであるものの、ブランド、とりわけ繊維産業などに於けるブランドのリメイクは、これからなのであろうか?既に繊維産業も、日米繊維交渉などと言う言葉を記憶されている人達は、少なくなってしまったことであろうと想像される。後継者難やら、産業構造の変換に伴う企業業績の悪化で、すでに繊維関係のブランドの維持・継続は、なかなか、至難の技になりつつあるのが現状であろう。若い頃、カルバン・クラインやセルジオ・バレンテやサッスーンといったデザイナー・ジーンズの華やかなりし頃に、ベーシックなストーン・ウォッシュ・ジーンズの国内生産と輸出に携わっていた頃は、エドウィンというブランドも、若者や熱狂的なブランド信仰に、支えられて、リーバイスに対抗する国産ジーンズ・ブランドでは、輝かしいものがあった。しかしながら、不正経理処理に端を発した私的整理に伴い、その輝かしい歴史にも、レナウンや、その他の繊維業界での著名なブランドの凋落と同様に、一夜にして、デフレの中で、その輝きを失ってしまったものである。何でも、最近では、著名な外国ブランドが、アディダスやアクアスキュータムやら、これまで、国内繊維卸業者が、製品輸入や国内ライセンス生産で、販売卸をして、長年、知名度を上げてきたブランドも、今や、直営店舗の拡充やら、国内ライセンス生産契約の打ち切りで、大幅な主力収益商品群を失おうとしている。デフレの中で、ファスト・ファッションの進攻する中で、一度、失われたブランド信仰を、一体、どのように、伊藤忠商事も含めて、各社は、その輝きを再び、取り戻そうとするのであろうか?既に、価格破壊のみならず、その機能性ですら、クール・ドライとか、シルキー・タッチとか、機能性の面でも価格破壊を兼ね備えた商品の紹介競争の中で、果たして、これまでの、以前のような売れ筋価格帯を復活させることが可能なのであろうか?消費者の意識の変化、ファスト・ファッションに本当に対抗できるに足るブランドのリメイク・リボーンをどのようにして、繊維産業各社は、素材メーカー、縫製業者、商社、ディストリビューター、小売店も含めて、新たなブランド戦略を、提起して行くのであろうか?60才代や70才代の元ロックンローラーも孫と一緒に、購入できるデニムが、販売されるような時代が、早く来ないと、そういう商品が出てこないと、こちらの方が、先に、死に絶えてしまうが、、、、、と思ってしまう。今後に期待しますか?なるべく、早くお願いしますネ!待ち望んでいます。

世界標準なるものを考える:

2014年07月08日 | 社会戯評
世界標準なるものを考える:
ザッケローニ監督のサッカー哲学は、ワールド・カップの前には、個人的には、密かに、評価もし、ひょっとすると、とかすかな期待もしていたものの、残念乍ら、やはりと言おうか、期待していると裏切られるという原則が、見事に的中してしまい、おおいに残念である。もっとも、あれだけ、煽っておいたマスメディアは、全く沈黙してしまい、一体、あの期待は何だったのかとも、疑いたくなるくらい泡沫の哀れさと言ったら切りが無い。誠に、日本標準とは、良く云ったもので、せいぜいが、アジアでしか、通用しないと言う代物なのだろうであろうか?それにしても、ワールドカップの一次リーグと決勝トーナメントのレベルは、皮肉にも、何と大きな違いなのであろうか?毎日、欧州のプレミア・リーグでも観戦しているファンなら、その違いも世界標準のレベルも理解しようが、何せ、4年に一度くらいしか、観ない人間にとっては、ネイマールやメッシの名前は知っていても、そのプレーの水準の世界的な高いレベルが、どれ程、違っているのかは、なかなか、実感も出来ない。まるで、幕下の力士が、いきなり、横綱と対戦するかの如きものなのであろうか?成る程、サッカーのレベルは、分かったが、同じ外国から紹介されたスポーツでも、何故、ベースボールは、野球として、進化・昇華されて、今日、世界的な水準にまで、のし上がることが出来得たのであろうか?おおいに、その違いは、何処にあるのか、興味深いところである。その世界的標準に達するのに、どのような違いと歩みがあったのであろうか?指導者の育成の違いなのか?外国のスポーツを理解する文化・風土が違っていたのであろうか?比較文化論風にでも、誰か、スポーツ・ライターでも説明して貰えないだろうか?FIFAからの助成金をしこたま、貰っていながら、何故、今日、サッカーは、世界的標準へのロードマップが、しっかりと、提示出来ないのであろうか?女子のなでしこの方が、あれ程、短期間に、世界標準のレベルにまで、達していながら、一体、女子と男子で、そんなに、大きな違いがあるのであろうか?
サッカーの世界でも、ワールド・ベースボールの世界でも、世界標準に達するには、大変な努力が必要であることは言を俟たないが、ISO規格ではないが、介護ロボットや補助ロボットでも、その他の商品でも、共通の世界標準を創設するための主導権争いは、何も、スポーツの世界に限られたことではない。少なくとも、サッカーの世界では、日本は、否、アジアも含めて、世界標準には、全く通用していないことが、今日、その事実を改めて、突きつけられました。ものづくりの世界で、或いは、サービスの分野でも、共通の安全基準や世界標準の創出で、一体、日本は、どのようにしたら、主導権が握れるのであろうか?ワールド・カップの敗退は、驚くべき事でもないし、大した問題ではない。考えようによっては、負けて当然、こちらの方が良かったのかも知れない。とはいえ、反面で、来年の女子ワールドカップには、なでしこに期待したい気持が一方で出てくるのは、どうしたものであろうか?

ネオ蚕業革命、新産業革命なのか?:

2014年07月07日 | 社会戯評
ネオ蚕業革命、新産業革命なのか?:
富岡製糸場が、世界遺産に登録されたのをきっかけにして、蚕による絹糸の蚕業、とりわけ、遺伝子組み換えによる蚕の先端工場が、まるで、ネオ産業革命ならぬ、蚕業革命と呼ばれるまでに今や注目される湯になってきたようである。とりわけ、11種類の様々な色に光る絹糸の登場とか、高機能シルクやタンパク質の人工血管や再生医療でのスポンジやフィルムに、更には、オーディオの絶縁材料にも応用されるようになりつつあると、、、、、。これまでは、繭からとれる絹糸に魅了されていたが、どうやら、遺伝子組み換えによる蚕の登場で、様々な広範囲な分野に、応用が期待されることになる。化粧品や医療品の原料を蚕に作らせるという段階にまで、突入していると言うことなのであろう。もっとも、食物用の遺伝子組み換え農作物は、今日でも、様々な議論があって、加工品でも、豆腐や納豆でも、大豆やとうもろこしの遺伝子組み換えを安全性が担保されていないという理由で、今日でも、非遺伝子組み換えの保証を現に要求されているのが実情である。一体、口に入るものは、安全性の問題があって、口にはいらないものは、再生医療にも化粧品にも、衣料製品にも、応用されて然るべきなのであろうか?シルクロードという絹の道ではないが、今や、ネオ産業革命による新しい「蚕業」の先端工場が、続々と登場して、現代の絹の道ならぬネオ・シルクロードが、日本を起点として、全世界にネットワークを構築できるのであろうか、世界標準ならぬ「ネオ蚕業革命」の基準は、日本から、発信できることを期待してみたいものである。昆虫工場などと馬鹿にしてはならないかも知れない。衰退した繊維蚕業が、今再び、脚光を浴びる時代が、ついそこまで、来ているのかもしれない。そう思うと、日本も、棄てたモノではないのかも知れない。繊維会社が、インターフェロンを生産する工場になるやも知れない。株価が安い間に、株でも買っておいた方がいいのかな???

新潟県立近代美術館(長岡市)、「法隆寺―祈りとかたち」展を観る:

2014年07月06日 | イベント 祭 催し
新潟県立近代美術館(長岡市)、「法隆寺―祈りとかたち」展を観る:
今年は何でも東日本大震災から3年、中越地震から10年に当たり、震災を乗り越えられた方々に、日本美術や日本人の精神文化の再発見を供することは、復興という意味に於いて意義深い展覧会であると、、、、。従って、仙台博物館、東京芸大博物館、そして、長岡の地の3会場で、開催される運びで、たまたま、十日町の田島征三さんの関係者の方から、偶然にも、内覧会の招待券が手に入ったので、、、、、ということで、早速、足早に、出掛けることにしたものである。第一部が、美と信仰、法隆寺の仏教美術、第二部が、法隆寺と東京美術学校、第三部が、法隆寺と近代日本美術という各テーマに沿って、国宝の地蔵菩薩立像や重文の法華曼荼羅、その他が、特別に展示されるというものである。なかなか、法隆寺に、出掛けていっても、詳しく、眺められるモノではないので、実に有難いチャンスである。慶應4年、1868年に、発布された太政官布告によって、始められた神仏分離の謂わば、一種の宗教革命のなか、厳しい廃仏毀釈運動により、多くの寺院が、廃寺に陥ったり、寺宝である貴重な仏像・仏画・美術品等が、海外へ、二束三文で、数多くが、海を渡っていったが、考えてみれば、我々は、廃仏毀釈運動という言葉は、教科書では知っていても、それが、どれ程の凄まじさだったのか、宗教革命と言うよりも、日本人の精神・一種の文化革命のような様だったのであろうことを想像することは、極めて難しい物である。謂わば、中国での反右派闘争や文化大革命の最中に、打ち壊された文化遺産と同等の凄まじさだったのかも知れない。従って、そんな中で、焼却処分される運命にあった仏典や美術品を海外に、二束三文で売り払うことは、必ずしも、その後の海外での保存という観点からすれば、皮肉にも、良かったのかも知れない。それは、古代エジプトの世界遺産が、今日、植民地主義の下、奇しくも保存されていることにも等しいことなのかも知れない。そんな中で、東京美術学校の岡倉天心は、法隆寺宝物の調査と保護活動を、明治17年以降、実施し、「奈良古社寺調査手録」と言うかたちで、残したことは、明治期での日本美術史の中でも、フェノロサや、ビゲロー等と共に、大きく、評価されて然る出来事であろう。そして、今日、我々は、又、昭和24年の法隆寺金堂の壁画の火災による消失というアクシデントも、鈴木空如による献身的な模写により、その後、再建されたこと、更には、2013年が天心没後100年に当たることも何かの不思議な因縁かも知れない。知のデジタル保存の必要性も成る程、模写を通じても感じられよう。それにしても、高村光雲や平櫛田中、前田青邨、杉山寧、安田軔彦、等による彫刻・絵画等の作品は、なかなか、直には、観る機会が無いのも、事実である。又、百万塔、様々な紋様の絹製の幡等は、当時の工芸技術の高さを今日にまでも連綿と受け継がれていようか、手洗・花器・遠くペルシャを連想させるような胡面水・香炉・金銅鉢、飾り金具・火舎・香合の鳳凰の紋様・金堂天蓋付属の天人・鳳凰、等…。飽きることがない。工業デザイナーやイラストレーターなどの現代的な観点からも、これらはきっと飽きることはないであろう。それにしても、イヤホン付きの解説は、竹下景子のナレーションについ釣られて使用してしまったが、こえは、一寸、善し悪しである。美術や芸術鑑賞は、一定の基礎情報の理解は必要なのかも知れないが、余りに、その説明を真面目に聴くと、自分なりの鑑賞眼、直感力が、喪失されてしまうかも知れない。そういう危惧も併せ持っているのかも知れない。解説を聴くことと観賞する力を養うことは、必ずしも、合致するとは限らないのかも知れない。一度、聞き流しながら、観てから、今度は、解説無しに、ゆっくりと、自分の直感力と鑑賞力で以て、再度、味わうことが出来れば、これは、ベストであるが、体力と集中力も必要であることは否めないのは事実であろう。

岡倉天心著、「茶の本」を読む:

2014年07月05日 | 書評・絵本
岡倉天心著、「茶の本」を読む:
東日本大震災の影響で、茨城県五浦(いづち)にある岡倉天心の晩年の幽棲地とした六角堂が、大きな被害を被ったというニュースを耳にしたことがある。日本美術院の縮小が決定的となった失意の中での幽棲だったのであろう。英文で書かれた著作の4部昨、即ち、東洋の理想、日本の覚醒、東洋の覚醒、そして、茶の本、である。それにしても、短い文章であるが、極めて、その漢籍・東洋学・美術額などに、造詣が深いことが、その難解な日本語の言い回しにも、端的に表れていて、文章の短さに較べて、遙かに、難解である。内容構成は、第一章の人情の碗、そして、順番に、茶の流儀、道教と禅道、茶室、芸術鑑賞、花、茶の宗匠達の最後で、千利休の最後の茶の湯の様子で、締めくくられている。殊更、ここで、詳細を述べるよりもご一読戴いた方が、もっとも、英語版の方が、分かりやすいかも知れないが、両方を同時に、併読してみる手もあるが、、、、、。それにしても、文久生まれの武士は、どうも、子供の頃から、その素養が、昭和の戦後民主主義の下で、子供時代を過ごした我々とは、根本的に、その基礎的な素養が、謂わば、ベースから違うのかも知れない。まるで、それは、テレビに出てくる帰国子女上がりの流暢な英語を喋ることの出来るタレントに、英語で、わび、さびを説明してみろと問いかけるかのように、全く愚問であるのかも知れない。英語の著作を表す以前に、既に、フェノロサ、ビゲローや、ボストン美術館中国・日本部門の美術品の発掘・鑑定・再興などの事業に携わってくる上で、すでに、ベースに、漢籍の素養や日本文化、宗教にも、精通している、そうした素養の上に、確かな目で、日本文化を考察し、更には、不当な理解を示す外国人、全世界の無理解な人種に、広く、日本文化を喧伝せしめようとしたのかも知れない。今日、日本として、海外発進力が、今こそ、求められている時代はない。何故、あれ程までに、戦後、世界的な規模で、商社のネットワークが、張り巡らされ、日本の優れた商品が世界中で使用されているにも拘わらず、その文化・伝統・歴史が、一部のフジヤマ・ゲイシャ式にしか、表層でしか、伝えられなかったのであろうか?やたら、松下幸之助や本田宗一郎の名前だけが、知れ渡ったのに対して、茶の湯・活け花等の真の文化的な心が、広く、世界の隅々にまで、行き渡らなかったのであろうか?これひとえに、文化人、知識人の問題だけではなく、一般の我々にも、考えさせられることが大きい。何故か、天心のそれは、明治期の福澤諭吉的な文明論との対局に、位置していないようでもない。60年代後半の戦後民主主義の否定を通じて、止揚しようとした文明論的な主題は、残念乍ら、今日、ひとつとして、遺産としても、残っていないのは残念である。これは、団塊の世代としても、大きな問題である。たわいのないアメリカ人から、天心達が、「おまえ達は、何ニーズなのか、チャイニーズ、ジャパニーズ、ジャワニーズ?」と問われたときに、すかさず、英語で、「We are Japanese gentlemen. But Are you a Yankee, or a Donkey, or a Monkey ?」と切り返したというではないか。そんなウィットに富んだ当意即妙な英語が、ビジネス英語ではなくて、すらすら、やってみたいものである。それにしても、今日、外交交渉でも、貿易交渉でも、況んや、日本文化情報の発信を也であろうか?岡倉天心が生きていたら、今日のCool Japan への取り組みや和食の世界文化遺産認定を、一体、どう、捉えることであろうか?今日の日本で、これらを快刀乱麻に英語や中国語で、海外発信できる何人の知識人がいるのであろうか?何とも、物足りなく感じざるを得ない。一人一人が、天心のようになることは難しいことではあろうが、少なくとも、草の根レベルで、外国人にも自国の文化・歴史などを説明出来るだけの日本語・外国語の素養を持ち合わせたいし、そういう教育を日常生活の中で、意識的に創り出してみたいものである。

ニイニイゼミの声を聴く:

2014年07月03日 | 自然・植物・昆虫
ニイニイゼミの声を聴く:
いつ頃のことだったのか、想い出せない。5月頃だろうか?毎年、5月の連休が終わる頃には、春ゼミが、例によって、陽が当たり始めるとグェッ、グェッ、ギーギーとうるさく、鳴き始めるが、春ゼミの天下も、そろそろ、初夏を迎える頃になると、その座をニイニイ蝉に譲り渡すことになるのであろう。梅雨空が続く中で、久しぶりの快晴の天気である。新装なったベランダの木陰の下での読書も、爽やかな風に打たれていると、何やら、夢見心地に誘われて、午睡をしているのか、読書をしているのか、どちらなのか、よく分からなくなってしまう。結局、眠くなれば、午睡に誘われ、ふと、うたた寝から覚醒すれば、再び、読書に戻るという実に、いい加減な過ごし方である。松食い虫にやられて、結局、切り倒さなければならなくなった松の巨木の後は、ぽっかりと、大きな空間が空いて、その隙間に、初夏の太陽が容赦なく降り注ぐことになった。山桜の樹でも植えることにするか?何もしなければ、ドングリの木が、生い茂りたい放題になることは必至であろう。モミジの若葉が、実に綺麗である。下から眺めていると、枝先の若葉が、陽に当たるとオレンジ色に変わり、枝全体も緑の葉が、様々なグラデーションに変化することに気付かされる。松の新緑の枝も、下から眺めていると、青空に一層映えて美しいものである。谷風を受けて、心地よい風と共に、その枝に、吊されたハワイか何処かで旅行土産に買ってきた貝殻細工の風鈴が、チャリン、チャリンと擦れ合う音が聞こえてくる。遠くの方から、枯れ松を伐採しているのであろうか、ウーウーと苦しそうな低い唸りをあげて、チェーンソーの音が響いてくる。再び、春ゼミとニイニイ蝉が、鳴きだし始めた。もう随分と緑が濃くなってきた。初夏から、本格的な夏へ、もうすぐ、梅雨も明けることになるのであろうか?うたた寝の中で、聴く蝉の声は、なかなか、情緒があって宜しいですね。


買い物余談:

2014年07月02日 | 社会戯評
買い物余談:
海外へ持ち帰る土産リストは、どうやら、膨大なようで、とりわけ、女性陣からの化粧品などのリストは、そのブランド、色合い、等、事細かに指定されていて、念の為に、写真までもが、添付されて、買い物指令書は、なかなか、色あざやかであった。ヘyカラーは、男性・女性、それぞれ、リクエストが多く、同じ、黒やクリーム色と言っても、毛染めの色番号まで、指定されているらしい。とりわけ、昨年の夏に、購入して持ち帰ったものが、きっと、好評だったのかも知れない。これのリピートと買い増しであろうか?顔の関係で言えば、洗顔化粧水、メイク落とし、眉毛のペンシル、どう表現して良いか分からぬ、パフの類、それにしても、よくもまぁ、事細かに、ブランドと品番を司令してくるものである。何でも対応した店員によれば、東南アジアのお客さんは、肌質が、日本人に似ているのか、日本製の化粧品が大変、お気に入りのことである。私の聞いたことのないブランドのパフの粉は、その店員さんの説明では、年に一回しか、限定予約販売で、本当に、在庫が少ないそうで、何と幸運にも、(本当にそうだろうか?)最後のひとつが、手に入れられました。すかさず、カタログを見せられると、毎年、一回きりの年ごとに違う色違いのパフ・ケースが並べられていて、来年の予約は、9月末までであるので、予約した方が宜しいと勧められました。そして、この日は、たまたま、特別ポイント5倍デーとかで、特定の化粧品は、3割引になり、お得だというので、女房殿に勧められて、カードを提示し、すごい買い物になりました。これでは、政府は、外人観光客に、免税の特権を前倒しで、与えることが、得策になるのではないでしょうか?食品と化粧品、家電製品、その他にも、もっと特典をつければ、日本に落とすお金も増え、商店街も潤うのではないだろうかなどと、考えてしまいます。ついでにと言っては失礼ですが、いつも、海外土産はいらないと言っている誰かにも、貴重な在庫の少ない商品を買って持ち帰ったところ、何と、予想に反して、文句のひとつも言われずに、有り難うと受け取ってくれました。女性の心理というものは、実に、理解不能であります。お会計を済ませると、店員殿は、各種パンフレット、その他、ありとあらゆる無償サンプルを、袋に詰め込まれ、お嬢様のみならず、そのお母様、並びに、お母様のお友達にも、是非、今秋、或いは、来年にも、又、いらして戴いて、たっぷり、お買い物を愉しんで下さい、ご来店をお待ち申しておりますと、鄭重に、且つ、恭しく、出口まで、見送られ、深々とお辞儀までされ、私達は、大変恐縮しながら、チャリンコに乗り、店を後にしました。

遠藤周作著、「反逆」上・下巻を読む:

2014年07月01日 | 書評・絵本
遠藤周作著、「反逆」上・下巻を読む:
大河ドラマに出演している田中哲司という俳優が、荒木村重役をなかなか、うまく演じていたので、改めて、荒木村重を考察する過程でこの作品を知ったので、読むことにした。戦国大名というものは、全く、主君を選ぶことも命懸けであること、又、その一族郎党ともども、ひとつ間違えば、謂われのない、或いは理不尽な理由で、磔にもなってしまう。まるで、今日のサラリーマンの人事抗争さながら、もっとも、自己破産しようが、今日では、少なくとも、磔にはならずに済むから、まだましなことであろうか?
小説というものは、ある種、作られたものであるとはいえ、当時の勝者の歴史、敗者の歴史をどれ程、反映しているかは、著者の歴史観にも関わって、おおいに、異なるところである。又、歴史上の古文書やら、後世に作成された伝聞書も、想像力と読み方次第では、不名誉な部分は、余り触れられず、おおいに面目を施した部分のみが、今日、歴史学上は、語られることが、おおいものである。それらの歴史学上の課題を見据えても、尚、今日的にも、なかなか、このタイトルの有する「反逆」なる言葉は、歴史上の人間関係の相関図を改めて、眺めても、面白いものがある。
物語は、天正6年の荒木村重の叛乱に始まり、本能寺の変、山の戦いを経て、天正11年までを大筋として、北の庄で、柴田勝家が秀吉により滅ぼされるところまでを、様々な人間関係の中で、その各人の心理状態を解きながら進められる。とりわけ、主君、織田信長を中心として、明智光秀・羽柴秀吉・丹羽長秀・柴田勝家・佐久間信盛・松永久秀・滝川一益・細川藤高・徳川家康・荒木村重・中川清秀・高山右近・足利義昭・朝廷、そして、武田信玄・上杉謙信・一向宗徒・顕如・毛利輝元・長曾我部元親・安国寺恵瓊・千利休ら茶人人脈・紀州雑賀衆、等、これらのきら星の如く居並ぶ人物達の中を、その友人関係・縁故関係・政治関係を、細かく、心理描写することで、何故、「反逆」を起こさざるを得なかったのかを小説風に書くものである。
荒木村重は、何故に、叛乱を起こしたのであろうか?何故に、一族を見殺しにして、自らを、(まるで、道端に転がる犬の糞のような存在であると揶揄し)「道糞」と称して、茶の湯の世界に、埋没し、再三の秀吉からの取りなしを拒否し、息子、村次に、譲り、後に、秀吉のお伽衆として、利休の弟子7人衆の1人としてはやされるようになって「道薫」と、称して、茶の湯の世界、一方で言えば、非政治的な世界という対局であるものの、逆説的には、実は、光と影のような同じ世界で生き抜いていたのであったかも知れない。密室で、二人きりで、茶を立て、密談を凝らすと言うこともまた、当時は、生臭い政治闘争の裏舞台では、当たり前のことだったのであろう。それにしても、崇高な、自分には成し遂げられないようなカリスマ性を有する主人へのコンプレックス、嫉妬、強い執着心、おののきとおびえ・恐れ・不安、そして、未来に対する確信の代わりに芽生える捨て去られるであろうひとつの単なる道具への恐怖、やれどもやれども、報われぬ感情と成功報酬への不安、何よりにも勝るところの政治戦略的な合理性、血も涙も許さない合理的な冷徹さ、闘いの果てにみた人間の心の弱み、悲哀、寂寞感、無常観、それは、この時代を生き抜いた家臣団には、古参であれ、外様であれ、多かれ少なかれ、似たような心理的な葛藤と苦渋が、見られたはずである。それは、息子、元康を切腹に処さねばならなかった家康にも、北陸の陣中で、勝家と口論の挙げ句、戦陣から許可無く帰還した秀吉も、叔母を殺された光秀も、松永久秀も、誰もが、一様に、程度の差こそあれ、同じような複雑な感情を有して、仕えながら、結局、或る者は、謀反という形で、反逆へと収斂していったわけである。
遠藤周作は、同じキリスト者として、荒木村重との関係の中で、敢えて、片山右近を、その友人関係の中で、詳しく、その心理描写で取り上げている。このキリシタン大名として名高い人物は、心理的な葛藤の中で、如何にして、自分の行為を正当化してゆけたのであろうか?それとも、それが、秀吉によるキリシタン禁教以降、やはり、武士の身分を最終的に棄てて、最後には、国も棄てることで、自己完結したのであろうか?キリスト教による異教徒との闘いへの疑問、この場合には、本願寺一向宗門との闘いであるが、これ即ち、信長側に味方することになったわけであるが、、、、、、、、。その意味からしても、村重同様に、秀吉からも、誘いの手がその後まで、及び、結局、武士を棄てることを決断させたのは、ある種、村重の生き方にも共通するところがあろう。当時、一体、どれ程の武士が、身分を棄て、茶人や商人になったのであろうか?恐らく、主君を理不尽に失い、一所懸命に、守ってきた先祖伝来の土地を失い、やむなく、土地を離れたり、身分を変えた人々は、歴史書の中には、決して、表には、出てくることはなかろう。村重と関係で、妻のだし、さと、(村次に明智より嫁ぎ)、その明智の娘、たま(後の細川ガルシャ)など、当時は、親戚・一族、様々な形で、養子・縁組み・血縁関係による同盟関係が、当たり前だったことを考えると、何とも、歴史の選択、情勢判断、決断の行く末とは、恐ろしいものである。
それにしても、多かれ少なかれ、当時は、誰もが、ある種、少なからず、主君には、知られずに、ひたすら、忠義を尽くす一方で、心底、己が取って代わるという野望を抱いていたのかも知れない。この物語の中で、主亡き後の時代に際して、実に、秀吉と言う男は、変わり身の早い行動をひたすら、主君家を立てながらも、役に立てられるものは、すべて、理にかなうのであれば、友人関係、ありとあらゆる関係を駆使して、調略してゆく、人垂らしの才能は、やはり、槍一本で名をなした武硬派の行く末と比較しても、余すところなく、示唆している。(後の柴田勝家・佐久間信盛・加藤清正・福島正則等)、とりわけ、後に、加賀100万石となる前田利家などは、勝家との関係性の中で、必ずしも、賤ヶ岳の戦いで、非難されども、その後の歴史の中では、うまく、秀吉・家康の世の流れの中を無事、乗り切り、北陸に、今日、金沢・加賀100万石という国を建てられたのも、単なる「処世術」とは言い切れぬ何ものかがあるのかも知れない。賤ヶ岳の戦いの中で、討ち死にした中川清秀にしても、生き延びていたら、ひょっとしたら、村重・清秀・秀吉・光秀、等と一緒に、時代の頂点に立てた可能性もあったかも知れないと想像すると、なかなか、歴史というものは、面白い。家康は、そんな秀吉の才能と天運を誰よりも、横目で、学習していたのかも知れない。


この時代は、江戸時代のような道義的な忠節はなかったのかも知れない。換言すれば、主君が、凡庸と思えば、別の主君に平気で仕え、主君も、主君で、役に立たないと思えば、部下を見限る「飴と鞭」の統治手法だったのかも知れないのである。そして、その中の最たる者が、信長だったのかも知れない。村重や光秀にしても、主君との関係は、征服者と外様家臣の関係ではなく、憎しみと恐れ、コンプレックスと嫉妬複雑な感情を抱かせる、そんな複雑な重層的な関係だったのかもしれない。そうした中でも、せめぎ合いの狭間に当たった地域の地侍、在郷の豪族達は、先祖伝来の土地と墓を守り抜く「一所懸命」と言う地侍の信念を有して、謂わば、「寄らば大樹」という地侍独特の考え方が主要で、武士道や士の忠節の考えは、ずっと、後の世の話である。
秀吉の生き方というものは、誰よりも、率先して、主君、信長の良い道具になることこそ、何よりの奉公であると考えたのに対して、日本人特有の新参者を見下す古参家臣団による蔑視・嫉妬・悪口・辛酸に、ひたすら、当時は、耐えるという秀吉の性格は、インテリには、真似できないものがありそうである(今太閤と称された田中角栄を懐かしく想い出されるが、、、、、、)。生き抜く知恵が足りない、耐えることを知らない、又、人生を駆ける術を知らないと村重の謀反を聞いたときに、秀吉に作者が言わしめたものは、こういうことだったのであろう。人生での出来(しゅうたい)に失敗する人間、時の熟する迄を待たずに軽挙妄動してしまうそういう人間の性も、村重の中に描かれてしまう。
光秀も又、朝廷・義昭陰謀説、怨恨説、老齢説、長宗我部元親陰謀説、等、現代でも、未だ、新しい資料が発見されても、実際の動機は、謎の又、謎であるが、少なくとも、秀吉とは異なり、教養が邪魔をしてしまったのか?歯の浮くような世辞が駄目で、お追従もできない。洒脱の振りも出来ない、猥談をすることで自分を売ったり、相手の自尊心を傷つけぬように細心の注意を払い、勘気を被ることを避けるようにした秀吉とは、何処かで、心理的な対応が、限界であったのかも知れない。カリスマの魔神力にとりつかれ、褒められれば、褒められるほどに、喜びが増すタイプ(そう振る舞っていたのかも知れないが、、、、)とは、別人格だったのかも知れない。神才信長・豪才勝家・奇才秀吉・秀才藤孝と、遠藤は、細川藤孝に言わしめる。
人生というものは、とりわけ、生存権が権利として確立されている現代と、全く確立されていない当時の背景では、万事、一生、筋を通すということは出来ないのかも知れない。その意味で、物語の中で、村重を通じて、中川清秀や片山右近、松永久秀、そして、前田利家なども、その心の矛盾と葛藤の具体例として、茶道を通して、巧みに描こうとしている。右近の決断、とりわけ、天正6年の信長への恭順と屈服、そして、天正15年の最終決断の違い、棄教と遁世、そして、南坊という雅号を有する右近と利休のわび茶の共通意識という挿話、そして、秀吉とのよしみと親爺様と呼ぶ勝家との対立から、利家の困惑と躊躇、壮年という自分の年齢への焦り、家門と所領と家臣達の処遇との相克と決断、前田家の歴史書には、そんな葛藤、大勢に逆らうことは自殺行為、流石に、裏切りとは書いていないのは、もっともである。
人間の有する心の弱さ、逃げの心、反逆は、怨念・野望にかられたモノではなく、人間の心がひとつではないこと、嫉み、屈辱、猜疑、怖れが複雑に絡み、絶望と希望の狭間で生じる葛藤、そんなものが、有るときに、窮鼠猫を噛むのかも知れない。京での馬そろえでの神の宣言、他よりも異なる存在であることを示唆するような示威行進の実施、等、この物語の中では、信長以外の人物は、すべて弱虫である。本能寺の変、高松城の水攻め、中国大返し、山の戦い、そして、賤ヶ岳の戦い、へと、、、、。
天正14年村重は、病没する。
我々は、今日も、一生懸命に家族のために働き、幸せを求めて、ある種の決断を下し、明日も又、生きて行かなければならない。黒田官兵衛というキリシタン軍師のことも、今日、播磨灘物語以外にも、どんな想いで、村重や右近や光秀を見ていたのであろうか、興味深いところである。