土筆(つくし)を食す:
もういつ頃のことだったろうか?前回食べたことを、想い出せない、多分、土筆の天ぷらだったろうか?旬のものを戴くことは、自然の恵みに感謝しなければならない。まさに、戴かせて貰うのであろうか?外国人ベジタリアン観光客のお陰様々で、こうしてご相伴にあずかり、戴くことが久しぶりに叶った。今年は、残念なことに、ふきのとうを戴く機会がなかった。気が付けば、少々、例年よりは、顔を出した数が少ないような気がしないでもない。折角、去年は、花が咲いた後に、種をばらまいたのに、、、、、、、。それにしても、食というものは、実に、食べるのは、簡単である。あっという間に、胃袋に吸い込まれてしまうが、実際、自分で、下処理から、すべて、調理の作業を行うとなると、実に、複雑な工程と人力と時間を膨大に、消費するものであることが実感されよう。だからこそ、みんな、お金を払ってでも、外食やレストランで、うまいものを食べるわけだろうか?少しづつ、土筆の炒め物を戴いて、おおいに、旬のものを味わった後で、帰り際に、テーブルの上に、眼をやるとなんと、摘み取られた原材料と下ごしらえの準備段階の半加工原材料が、眼に飛び込んできた。いやはや、その数の多いこと、そして、袴と称する節の外側の皮が、多数、古新聞に、うず高く摘まれている。ありゃりゃ!とんでもない、途方もない手作業による下ごしらえであることが、判ろう。何と言うことであろうか?フライパンで炒めてしまえば、その量足るや、何分の一かに、ショボンと、縮こまってしまう。しかも、箸で、摘まみ、口に運んで、味を味わった後、飲み込んでしまうまでの時間足るや、如何ばかりであろう。全く恥じ入るばかりである。主人に、この次からは、袴を除去する分だけしか、土筆の料理は、食べてはならないというルールを制定しましょうと、苦笑いであった。因みに、土筆は、英語で、Horse Tail 馬の尻尾とか呼ばれるのに対して、日本では、漢字に当てはめると、土の筆と書くのであるから、国は違えど、表現の方法とは、どこか、似ていて、実に面白いことが、判った。たらの芽の天ぷら、ウドの天ぷら、芹の天ぷらと、旬の味を、贅沢に、味わえたのは、レストランとは、又、一味違った贅沢な時間だったのかも知れない。だから、里山の生活には、堪らない魅力があるのかも知れない。毎度、外人観光客を出汁にしながら、こちらも、あたらしい体験と発見をさせて貰えるのは、実に、有難い話である。