新潟県立近代美術館(長岡市)、「法隆寺―祈りとかたち」展を観る:
今年は何でも東日本大震災から3年、中越地震から10年に当たり、震災を乗り越えられた方々に、日本美術や日本人の精神文化の再発見を供することは、復興という意味に於いて意義深い展覧会であると、、、、。従って、仙台博物館、東京芸大博物館、そして、長岡の地の3会場で、開催される運びで、たまたま、十日町の田島征三さんの関係者の方から、偶然にも、内覧会の招待券が手に入ったので、、、、、ということで、早速、足早に、出掛けることにしたものである。第一部が、美と信仰、法隆寺の仏教美術、第二部が、法隆寺と東京美術学校、第三部が、法隆寺と近代日本美術という各テーマに沿って、国宝の地蔵菩薩立像や重文の法華曼荼羅、その他が、特別に展示されるというものである。なかなか、法隆寺に、出掛けていっても、詳しく、眺められるモノではないので、実に有難いチャンスである。慶應4年、1868年に、発布された太政官布告によって、始められた神仏分離の謂わば、一種の宗教革命のなか、厳しい廃仏毀釈運動により、多くの寺院が、廃寺に陥ったり、寺宝である貴重な仏像・仏画・美術品等が、海外へ、二束三文で、数多くが、海を渡っていったが、考えてみれば、我々は、廃仏毀釈運動という言葉は、教科書では知っていても、それが、どれ程の凄まじさだったのか、宗教革命と言うよりも、日本人の精神・一種の文化革命のような様だったのであろうことを想像することは、極めて難しい物である。謂わば、中国での反右派闘争や文化大革命の最中に、打ち壊された文化遺産と同等の凄まじさだったのかも知れない。従って、そんな中で、焼却処分される運命にあった仏典や美術品を海外に、二束三文で売り払うことは、必ずしも、その後の海外での保存という観点からすれば、皮肉にも、良かったのかも知れない。それは、古代エジプトの世界遺産が、今日、植民地主義の下、奇しくも保存されていることにも等しいことなのかも知れない。そんな中で、東京美術学校の岡倉天心は、法隆寺宝物の調査と保護活動を、明治17年以降、実施し、「奈良古社寺調査手録」と言うかたちで、残したことは、明治期での日本美術史の中でも、フェノロサや、ビゲロー等と共に、大きく、評価されて然る出来事であろう。そして、今日、我々は、又、昭和24年の法隆寺金堂の壁画の火災による消失というアクシデントも、鈴木空如による献身的な模写により、その後、再建されたこと、更には、2013年が天心没後100年に当たることも何かの不思議な因縁かも知れない。知のデジタル保存の必要性も成る程、模写を通じても感じられよう。それにしても、高村光雲や平櫛田中、前田青邨、杉山寧、安田軔彦、等による彫刻・絵画等の作品は、なかなか、直には、観る機会が無いのも、事実である。又、百万塔、様々な紋様の絹製の幡等は、当時の工芸技術の高さを今日にまでも連綿と受け継がれていようか、手洗・花器・遠くペルシャを連想させるような胡面水・香炉・金銅鉢、飾り金具・火舎・香合の鳳凰の紋様・金堂天蓋付属の天人・鳳凰、等…。飽きることがない。工業デザイナーやイラストレーターなどの現代的な観点からも、これらはきっと飽きることはないであろう。それにしても、イヤホン付きの解説は、竹下景子のナレーションについ釣られて使用してしまったが、こえは、一寸、善し悪しである。美術や芸術鑑賞は、一定の基礎情報の理解は必要なのかも知れないが、余りに、その説明を真面目に聴くと、自分なりの鑑賞眼、直感力が、喪失されてしまうかも知れない。そういう危惧も併せ持っているのかも知れない。解説を聴くことと観賞する力を養うことは、必ずしも、合致するとは限らないのかも知れない。一度、聞き流しながら、観てから、今度は、解説無しに、ゆっくりと、自分の直感力と鑑賞力で以て、再度、味わうことが出来れば、これは、ベストであるが、体力と集中力も必要であることは否めないのは事実であろう。
今年は何でも東日本大震災から3年、中越地震から10年に当たり、震災を乗り越えられた方々に、日本美術や日本人の精神文化の再発見を供することは、復興という意味に於いて意義深い展覧会であると、、、、。従って、仙台博物館、東京芸大博物館、そして、長岡の地の3会場で、開催される運びで、たまたま、十日町の田島征三さんの関係者の方から、偶然にも、内覧会の招待券が手に入ったので、、、、、ということで、早速、足早に、出掛けることにしたものである。第一部が、美と信仰、法隆寺の仏教美術、第二部が、法隆寺と東京美術学校、第三部が、法隆寺と近代日本美術という各テーマに沿って、国宝の地蔵菩薩立像や重文の法華曼荼羅、その他が、特別に展示されるというものである。なかなか、法隆寺に、出掛けていっても、詳しく、眺められるモノではないので、実に有難いチャンスである。慶應4年、1868年に、発布された太政官布告によって、始められた神仏分離の謂わば、一種の宗教革命のなか、厳しい廃仏毀釈運動により、多くの寺院が、廃寺に陥ったり、寺宝である貴重な仏像・仏画・美術品等が、海外へ、二束三文で、数多くが、海を渡っていったが、考えてみれば、我々は、廃仏毀釈運動という言葉は、教科書では知っていても、それが、どれ程の凄まじさだったのか、宗教革命と言うよりも、日本人の精神・一種の文化革命のような様だったのであろうことを想像することは、極めて難しい物である。謂わば、中国での反右派闘争や文化大革命の最中に、打ち壊された文化遺産と同等の凄まじさだったのかも知れない。従って、そんな中で、焼却処分される運命にあった仏典や美術品を海外に、二束三文で売り払うことは、必ずしも、その後の海外での保存という観点からすれば、皮肉にも、良かったのかも知れない。それは、古代エジプトの世界遺産が、今日、植民地主義の下、奇しくも保存されていることにも等しいことなのかも知れない。そんな中で、東京美術学校の岡倉天心は、法隆寺宝物の調査と保護活動を、明治17年以降、実施し、「奈良古社寺調査手録」と言うかたちで、残したことは、明治期での日本美術史の中でも、フェノロサや、ビゲロー等と共に、大きく、評価されて然る出来事であろう。そして、今日、我々は、又、昭和24年の法隆寺金堂の壁画の火災による消失というアクシデントも、鈴木空如による献身的な模写により、その後、再建されたこと、更には、2013年が天心没後100年に当たることも何かの不思議な因縁かも知れない。知のデジタル保存の必要性も成る程、模写を通じても感じられよう。それにしても、高村光雲や平櫛田中、前田青邨、杉山寧、安田軔彦、等による彫刻・絵画等の作品は、なかなか、直には、観る機会が無いのも、事実である。又、百万塔、様々な紋様の絹製の幡等は、当時の工芸技術の高さを今日にまでも連綿と受け継がれていようか、手洗・花器・遠くペルシャを連想させるような胡面水・香炉・金銅鉢、飾り金具・火舎・香合の鳳凰の紋様・金堂天蓋付属の天人・鳳凰、等…。飽きることがない。工業デザイナーやイラストレーターなどの現代的な観点からも、これらはきっと飽きることはないであろう。それにしても、イヤホン付きの解説は、竹下景子のナレーションについ釣られて使用してしまったが、こえは、一寸、善し悪しである。美術や芸術鑑賞は、一定の基礎情報の理解は必要なのかも知れないが、余りに、その説明を真面目に聴くと、自分なりの鑑賞眼、直感力が、喪失されてしまうかも知れない。そういう危惧も併せ持っているのかも知れない。解説を聴くことと観賞する力を養うことは、必ずしも、合致するとは限らないのかも知れない。一度、聞き流しながら、観てから、今度は、解説無しに、ゆっくりと、自分の直感力と鑑賞力で以て、再度、味わうことが出来れば、これは、ベストであるが、体力と集中力も必要であることは否めないのは事実であろう。