小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

うえだ城下町映画祭で、<万引き家族>を観る:

2019年11月19日 | 映画・テレビ批評

=うえだ城下町映画祭で、<万引き家族>を観る:

 たまたま、見損ねた映画を、上映するというので、コンビニでチケットを購入することにした。是枝裕和監督によるカンヌ映画祭の最高賞、バルム・ドール賞を受賞した作品である。<そして、父となる>でも、テーマとなった<家族の在り方>、とりわけ、血縁とは別の家族の関係性とは何かを、今日に於ける社会問題化している諸問題でもある、貧困格差、虐待、家庭内DVD、老人問題、貧困、子どもの保護、肉親の死体遺棄、年金不正受給、JK風俗アルバイト問題、等を、<万引き>という切り口から、犯罪に手を染めることでしか、生きられない<虚構の擬似家族?>を通して、曲者俳優と子役の素晴らしい演技で、描き出している。父役のリリー・フランキー、母役の安藤サクラ、姉役の松岡苿優、祖母役の樹木希林、駄菓子屋の親父役の柄本明、映画の前半では、この(擬似)家族の過去の関係性は、大凡では、理解しつつも、どのような<心の傷と闇>を持っていたのかという事が、推測は出来ても、確信には至らない。幾つかの台詞の中で、象徴的な言葉が、聞かれる。家庭内での幼女への虐待を疑われたことから、やむなく引き取ることを余儀なくされたことと失踪事件として報道されたことが、逆に仇となり、パート先からのレイ・オフの対象となり、やむなく、脅しにも似た状況中で、<しゃべったら、殺してやる!>と、吐き捨てる場面などは、成る程、後から、この意味合いが、理解出来ることになる。そして、この夫婦の過去の関係性というものも、後半になり、樹木希林の祖母役が突然、死亡してから、そして、駄菓子屋の親父から、<妹に、万引をやらせては、駄目だぞ!>と駄菓子をもらったことで、幼い妹を守ろうとする少年にも、実は、暗い出生の過去があったことも、パチンコ屋のシーンも、車上荒らしのシーンも、後から初めて理解される。この少年が演じる健気な勉学への意欲と未来への希望、本当の父母でもない(実際は犯罪者)である人間への<ある種の信頼感>とでも言えるような感情は、血のつながりがなくても、歳の差も関係ない<人間同士の信頼感>が、芽生えているようである。そして、それは、生めば母になってしまうという、世間の常識では、決して図りしれない非常識こそが、実は、真実なのかもしれないという事が、逆に、意味を持つことになるのかもしれない。それは、仮面夫婦でも、擬似家族であれ、現代社会に潜む、どこにでも陥りそうな<身近な罠>なのかもしれない。

この映画の役どころの人物像の名前も、実際、偽名で、どこからが本名で、どこまでが、偽名で、源氏名なのか?そして、<その理由と由来>とは?そこを考えるときに、この映画の<微妙に隠された社会的な背景>があるようにも思われる。それを語り始めるとある種のネタばらしにもなってしまうので、ここでは、詳細に触れることを敢えて、避けますが、この<本名と偽名の間>には、<監督の密かに仕込んだ日本社会の問題点>が垣間見られるようです。

 果たして、エンディングでのそれぞれの置かれた立場での登場人物は、一体、どうなってしまったのであろうか?象徴的に、長髪から短髪へと髪を切った少年は、心の決断を表しているように思えるし、捨てられるという家族からの裏切りにも、既に自覚と理解を有しており、しっかりと、未来に向かって、勉学にも励み、逆境にも打ち勝ちつつ、成長してゆくのではないかと確信する。しかし、未だ物心のつかない妹は、恐らく、元の家族の下に戻されて、どのような境遇に置かれるか、心配であるが、年齢差によるその時の環境への順応は、姉や兄の場合とは異なり、対応が出来ないであろうことは、十分、映画からも、想像に難くなく、制度的な救済がなければならないとも思われるし、実際、現実にも、そういうことは、あり得るであろう。そんな<エンディングでの示唆>だったのかもしれない。

ある時点から、少年は、ある種の<やましさ>に覚醒しつつ、祖母の死をきっかけに、脚を洗う機会を探していたのかもしれない、それが、妹の万引を庇おうとして、自らが逃走を試みるも、捕まり、これを契機にして、一挙に、<全てのこの家族の謎解き>が、始まるわけである。そのことは、ひょっとして、少年が、感動的に父や妹に話す、<スィミーの逸話>にも、通じるのであろうか?映画が進行推移するに従って、やがて、この少年の拾われてきた経緯が、徐々に解き明かされてくるのであるが、それが、皮肉にも、母との拘置所内での面会室のガラス越しで、本当の両親を探したいのであればとの母心から、車種やパチンコ屋の場所などの情報が初めて知らされることになるのも、何とも、切ないモノである。実際、パチンコ屋の駐車場の車内から、幼児が熱射病で死亡したとかというニュースを聞くと、本当に、車上荒らしの車の中で、幼児が拾われたであろうことすらも、逆に、犯罪的な幼児略取として、現行法では扱われることにも、結果的に、小さな命が救われたこと事実にも、疑問が出てくるのかもしれない。それは、同じように、高良健吾肯んじる男性刑事や池脇千鶴演じる女性警察官の発言に、如実に現れているようにも思われる。残念ながら、現実の世の中というものは、こういうものなのであろうことも、事実で有り、否定し得ない現実なのかもしれない。

そもそも、血縁以外に、家族としての紐帯というか、絆を作るものは、一体何が必要なのかと、考えさせられてしまう。現代では、同性愛者でも、カップルとして、養子縁組みや、子育てもし、又、不妊治療を諦めた夫婦が、里親制度での養子縁組を採用したりと、<家族の在り方>も、大きく変貌しつつあるのが現実である。一体、日本を含めて、世界は、どこへ向かってゆくのであろうか?夫婦という形も、結婚という形すらも、事実婚や、夫婦別姓ではないが、パートナーシップ制度や、既存の民法の範囲を超えながら、進み始めているのが現実なのかもしれない。

 今年で、うえだ城下町映画祭も、23回目になるそうであるが、腰の悪い年寄りには、<翔んで埼玉>も、応援上映を観たかったが、やむなく、会場を後にしたのは、残念であった。

上田映劇や犀の角などで、好評を博した映画などを幅広く、今後、再上映してもらいたいモノである。関係者の皆様、ご苦労様でした。来年も楽しみです!

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