戦乱の 眞田一族 生き残り (spc研修会)
24年5月31日 (木) 曇り~晴れ~雨 暖かな行楽日和。 17度
朝一番で移植の記念イチゴ
今朝も5時ごろから鶯が目覚ましの鳴き声を発してくれる。
昨日病院の交差点にある、花屋から買ってきたイチゴの苗。もう何回も植えたのだが消えたしまったイチゴ。1年の無事を記念して、畑の隅に植えて見る。草に負けずに繁茂してほしいものだ。
SPC研修バス・合同庁舎を9時25分に出発
記録になる51名であったのが、だんだん減ってきて48名なり、補助イスを使ってのミレニアム観光バスでの研修旅行に出発する。
パソコン学習と違って、9時15分集合が8時45分頃から集まってくる。
武田信玄に仕え、戦乱の時代を徳川・豊臣にと別れて戦った眞田家。
徳川からは「表裏比興者」と評されたという。
上田城址を3班に分かれて見学
ガイドを3人頼んだので、15人ずつの3班に分かれて見学する。
おもてなし武将隊・東虎口櫓門
衣装の重さが10キログラム以上もあるという。それを着てボランテァの若者が写真撮影に協力してくれるサービスをしている。
抜け穴の眞田井戸
場内唯一の大井戸で、抜け穴があって城の北方、太郎山裾や千曲川に通じていたといわれている井戸である。
上田城本丸の西櫓
県宝仁指定されている西櫓であり、花見の頃はこのあたりは人ばかりである。
本丸の城があった歴史が残されていないそうだ。
幸村は逃げ延びて、薩摩で死んだという説があり、上田にはお墓がないのだ。
ミステリーめいており、歴史作られるものか。
60分の見学で11時30分に眞田町へ向かう。
一番の難所・信綱寺への坂道
大型バスは入れる道がないので、「しんこうじ」目指して草茂る坂道を登る。
見事な山門をくぐって
この山門をくぐって滋野信綱の墓を詣でる。
創建は室町期で眞田昌幸の長兄・眞田信綱の墓があるのだ。墓には「滋野」とある。
手打ちの眞田そばに舌づつみ
12時30分から、運転手を入れて49名の蕎麦がテーブルに並ぶのには時間がかかったが、余計に美味かったかもしれない。
長谷寺の石門 (ちょうこくじ)
バスが入らないとかで、15分は歩く予定であったが、上手く走れてすぐ下の駐車場までバスがいくので、みんなで拍手する。
珍しい半径の石門をくぐって墓にお参りする。
幸隆と昌幸のお墓
廻りには1円玉を6個、六文銭見立てて賽銭が並べてある。
苔むす猿飛佐助像?
何回も来ているが、この苔むした石像は気がつかなかった。
冗談で猿飛佐助の変身だと笑うが、良く苔がついたものだ。
道の駅「雷電」買い物とトイレタイム
みんなの希望でトイレ&買い物をと道の駅「雷電」に寄る。
予想以上の客の入りがあり驚く. 売っている品物も特色があり、買う気が起きる。
立科の農ん喜村もこんな風になれば、売り上げ倍増だろうと感じる。
予想どうりに帰りのマイカーの中で雨が降り出す。大成功の日帰り研修であるのは幹事さんの努力の賜物だろうか。
矢張り疲れたような気がする。
1年前の5月31日は、朝の9時から夜の9時30分までと12時間半の大手術の時間帯である。
今夜は部落費24000円を公民館に届ける。晩酌をと思っていたが、14ヶ月の習慣で夕食を食べてしまう。
消費税増税関連法案に政治生命を懸ける野田総理と、反対する一兵卒の小沢さんとの会談に、幹事長がお膳立てしても結果は予想どうり。同じ民主党かと思う茶番劇である。まったく国民不在、東日本の原発処理は忘れているようだ。
そして大飯原発再稼動とは、あまりにひどすぎはしないか。」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます