ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

あをきさうび

2017-06-03 04:20:10 | 短歌





死を祭る あをきさうびを いただきて 羅馬の栄華 あはゆきと消ゆ






*これは、瑠璃の籠の中にあるこの言葉を、歌にしてみたものです。

死を生きている青い薔薇の中でローマ帝国が消滅する。

スピカ・10です。興味ある人は検索してみましょう。なおわたしたちは、この詩の題名を、「スピカテン」と読んでいます。数字の部分は英語です。ツィー・7は「ツィーセヴン」、ゾスマ・39は「ゾスマサーティナイン」です。かっこいいでしょう。これらの詩は瑠璃の籠の中でも、わたしたちが傑作と考えているものです。「シリウスツー」もいいですね。

あなたがたにも印象に残っている詩はあると思います。

「さうび」とは前にも言ったが「薔薇(そうび)」でバラの花のことです。「しゃうび」とも言います。「ばら」という言葉を使ってもよいが、文字数の関係で「さうび」にしました。

「羅馬」はもちろんローマのこと。カタカナにしてもよいが、漢字のほうがいいと思ったのでこちらを採用しました。外国の地名や国名を漢字にしたものはたくさんありますね。「英吉利(イギリス)」「露西亜(ロシア)」「亜米利加(アメリカ)」「西班牙(スペイン)」「希臘(ギリシャ)」「仏蘭西(フランス)」「倫敦(ロンドン)」「巴里(パリ)」「紐育(ニューヨーク)」「華盛頓(ワシントン)」、他にも「沙吉比亜」という言葉がありますが、これはシェークスピアのことだ。

勉強しておいて損はありません。活用してみましょう。

青い薔薇というのは昔、不可能の象徴でしたが、最近バイオテクノロジーで、すみれの遺伝子を加えた、青薔薇が開発されたそうですね。品種名も「アプローズ(喝采)」といい、花言葉が「夢かなう」となったそうだ。しかし見てみれば、どちらかというと薄紫と言った感じの色で、とても青いとは言えない。青い花というものは、もっと冴え冴えと澄んでいるでしょう。

どうしても、薔薇という花は、青い色を拒否しているようだ。

実質、本当に薔薇は青い色を嫌がっています。薔薇という花は、生きること、伸びること、進むということを、燃えるように指示する花だからです。そういう花は、青くては使命を果たすことができない。なぜなら青い色というものは、伸びていく、広がっていくというよりも、吸い込まれていく、静まっていくという色だからです。

愛には、時に静まっていくことも必要だが、伸びていく、広がっていくということを表現することに生きる意志を表示している薔薇には、はっきり言って、苦しい。ですから薔薇は、自らにすみれの色を無理矢理ねじ込まれても、決してすっかり青くなったりはしない。最後まで抵抗する。もし薔薇が青く咲いたとしたら、もう薔薇としては死んだことを意味します。まったく薔薇とは違うものになったということです。

死を生きるということは、根本的に矛盾しているということだ。つまり死を生きている青い薔薇とは、矛盾の中で自分を完全に間違ったものとして生きている存在という意味です。

薔薇は決して青くないはずなのに青い。死んでいる者は生きているはずがないのに生きている。つまりは、そんな馬鹿なものがたくさん出てきて、世界中を埋め尽くしてしまい、ローマの栄華のような文明が、消え去っていくだろう。そういう意味です。滅亡ではない、消滅です。それはいつかわかる。

薔薇とすみれというものは、根本的に性格が違いますよ。昨日も言ったが、すみれというものは、どちらかというと、薔薇よりもずっと、死に近い。ベテルギウスが化けたすみれは朱いが、すみれは本来、厳しい青い色を、その遺伝子の中に深く秘めている。

静まっていく。

そんな自分とは矛盾する遺伝子を植えられた薔薇は、一体何を感じているでしょう。

一度薔薇に聞いてみたいものです。







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