あをやぎの いとしといふは 水影の 月をすくひて 子に食はす君
*「あをやぎの」は「いと」にかかる枕詞です。こういう言葉から、歌が紡ぎ出されてくることもあります。
「水影(みづかげ)の月」とはもちろん、水に映った月のことです。
愛おしいと思うのは、水に映った月の光を、小さな匙ですくい、子に食べさせているあなたのことだ。
もちろん、物質の世界では、水に映った月の光を食べさせることなどできない。水は、月の光を映しているうちは美しく光っているが、匙ですくってしまうと、すぐに光はとれて、ただの水になってしまう。
だが、あの人なら、月の光をすくって、子供に食べさせることができるのです。
月の光にこめられた、神の愛を読み取り、それをあなたがたに教えることができるからです。
「月の世の物語」には、「月光水」というのがよく出てきましたね。魔法を使える聖者や青年や少年たちが、魔法の手で器をもって月に掲げると、器の中に、月光が汲める。何とも詩的で美しい設定でした。あの人らしい。
月光に込められた愛はとても崇高で清らかなものです。本当はもっと大きくて、岩のように硬い。それをあの人は、細やかなものにして、粥のように柔らかくして、あなたがたに食べさせてくれたのです。
月光は、激しくあなたがたを照らしはしない。つらいのなら、薄闇の中に、見られたくないものを隠しても構わない。あなたがたの弱さは知っているから、少しずつ直しながら、月光を飲んで心をきれいにし、いいことをしていきなさい。
あの月光水は、そういうものなのです。
あなたがたは物語を読みながら、かのじょがやわらかくおいしいものにしてくれた、月光を食べていたのです。