ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

まつろはぬてふ

2017-06-29 04:22:34 | 短歌





まつろはぬ てふを飼ひける 月を切り 狐をめとりて 鬼界に散りぬ






*今日はまたきつい歌ですね。「狐」は古語で「きつ」と読みます。もちろん動物の狐のことです。「月(つき)」と反対になっていることがミソです。「まつろふ(順ふ)」は従うということ。「けり」は過去の助動詞ですが、ここでは過去に行われた動作や状態が現在まで続いていることを思う意を表します。

「てふ(蝶)」は、人間の魂を隠喩しています。

自分に従わない蝶を飼っているように、自由な真実の愛の魂を持つ月の女を切り捨て、化け狐のような女を選んで娶り、馬鹿男は鬼の世界に散ったのだ。

昔、九州地方には鬼界島という島があったそうです。今ではそこがどこか特定できないらしいが、罪人の配流の場所として使われていたらしい。ここではそれを意識しつつ、鬼のような妖怪じみたものがいる世界という感じで使っています。

まあ、わかるでしょう。自分の思い通りにならない女をことごとくつぶしてしまったら、残ったのは馬鹿なことばかりやる狐のような女ばかりだった。正しい女というものは、悪いことなどせずに、神の前に明るく心を差し出し、ただまじめに生きているものなのだが、馬鹿な男は女がそれだと悪いことができないので、そういうまじめな女をことごとくいじめて殺してきたのです。

本当はそういう女性の方がずっとかわいらしくて美しく、男のためにいろいろなことを愛だけでやってくれる、よいものなのだが、馬鹿な男はそれを信じようとせず、馬鹿なものにして、毒の入っている嫌なものにしようとして、みんなで嘘を塗りたくり、全員でセックスだけのために利用できる肉にしようとした。

その結果、無残にひどい結果が落ちてきた。

何度も言われていることだが、歌というのは響く。いろいろな詠い方ができる。歌に詠われると、真実がまるでナイフのように突き刺さって来ます。それぞれに違う材料を持って作られるナイフが痛いと言ったらない。

偽物の美人の方がいいと言ったのは、そっちのほうが楽だからだ。だが、心の中を見てみると、それはあまりにも痛い。阿呆なことばかりを考えている。瞳から漏れ見えている心が見えたとき、それは美人というより恐ろしい獣にさえ見える。

狐の方がかわいらしいくらいだ。

その美人の正体がわかるのはもう少し先です。男が女にやってきたことのすべてがわかるには、もう少し勉強が進まねばならない。

男という男が、マリアナ海溝よりも深い奈落に落ちねばならない。そういう真実を理解するときがいずれ来る。

覚悟はしておいたほうがいいでしょう。






この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 銀の簪 | トップ | プシュケ »
最新の画像もっと見る

短歌」カテゴリの最新記事