余と君の 間に生ふる のいばらの とげにもおぼゆ 同じうれひを
*これはかのじょの歌の本歌取りですね。元歌はこれでした。一応押さえておきましょう。
余と君の 間に咲ける 白百合の 面にぞ見る 君の痛みを
この歌は、ツイッターでの、「返歌への誘い」においてわたしが詠んだ歌でした。かのじょの詠んだ歌をひとつあげて、それに対する返歌を請うという試みです。返してくれたのは獅子や大火やわたしくらいでしたがね、隠れたところでは、ほかの誰かも何かを詠んでくれていたと思っています。
それはそれとして、表題の歌はわたしが返したものですが、そのもとの歌はこれでした。
高光る 日のしたたりの 胸に映え さいはひに似し 孤独の痛み
たかそらに光る日の光がしたたり、心の栄え、幸福にも似たこの孤独の痛みを照らし出す。
情感はわかるでしょう。あなたがたにもこういうことがありませんか。誰にもわかってもらえない孤独を抱いている。だが、それがわたし自身であるということが本当に幸せだ当実感が。
感じたことのない人はいまだに猿の段階にいる人ですよ。孤独のなかに魂をつけこまなくては、人間は人間にはなれない。いまだ、動物的なエゴの闇の中にいて、自分ばかり得させようとずるいことばかりしている。
そういう人には、この孤独の幸福がわからないのです。大勢の中にいて、その闇に溶けていないと不安でたまらないのです。
この歌に返して、わたしは表題の歌でこう言ったのでした。
わたしとあなたの間に映えているのいばらの棘は、あなたとわたしを孤独にわけてしまうが、その棘の中にこそ、あなたもわたしも同じ痛みを感じていることを感じる。
難しくはないでしょう。こういう意趣を本歌取りでやるというのがおもしろい。孤独でありながら、深いところでつながっているということがわかるような気がします。
自分自身であるがゆえの孤独というのは、限りなく幸福に近いものだ。それがわかってこそ、他者とも響きあえる。
あなたも孤独なのか。わたしもそうなのだと。