みささぎも なきおほきみに つきはなき あふるるものは なみだかうそか
*ひらがなばかりで詠む歌は、薄らかな意味が何重にも秘められているような気がする。これも技術の一つですね。
「みささぎ(陵)」は、天皇や后妃などの墓のことを言います。「おほきみ(大王)」はもちろん天皇のことです。「つき」には「月」も「鴇」もあります。
御陵もない王君のために、鴇が鳴いている。人々の中にあふれるものは、それを悼む涙であろうか。それともそれを馬鹿にするための嘘であろうか。
鴇は日本の心を表す鳥でもあります。それが鳴いているということは、日本の国の魂が泣いているということでしょう。月が泣く、ということにすれば、神が泣いているという意味にもなる。
どんなに嘘に塗り込めようとしても、あの人が王の背負うべき荷を背負い、国を助けていたという真実は隠せない。隠そうとすればするほど、どこかから真実はあふれてくる。なぜなら、今国民が平和に暮らせていて、あらゆることをやれているのも、かのじょが国運を背負い、国を何とかしてくれていたからです。
あの人が神に祈っていてくれたおかげで、避けられた国難がそれはたくさんあるのですよ。嫌なことになれば、国が傾き、国民が大変なことになるということを、未然に防いでくれていたのです。今は詳しいことは言わないが、時期がくれば、それがどういうことだったのかを、誰かが教えてくれるでしょう。
かのじょが書いた物語に、「だれも知らない王さま」の話がありましたね。ウジェーヌ・ポルという田舎の古書店主が、夜な夜な地下室でヴァイオリンを弾き、国の時間を回していた。だれも知らないことだが、彼がそれをしなければ、国の時計が回らなくなり、みんなが死んでしまうのです。
かわいらしいメルヘンだが、かのじょの切ない気持ちも隠れている。毎夜ヴァイオリンを弾くように、毎日国のために心を尽くして祈っているが、たぶん誰も知りはしないだろう。こんなことを馬鹿正直にやっている自分の姿を見て、あざ笑う人はいるだろうが、決して理解はしてくれないだろう。
だが、誰かがやらねば国が危ない。自分がやらねば、誰もやれるものがいない。それならばやるしかない。
そういう風に考えるのが、あの人なのです。まじめな人だが、痛いほど純真だ。見返りを求めない愛は、わたしたちにとっては当然のことだが、これほど馬鹿になってくれる愛は、女性に限りなく近い。
こういう人がいたからこそ、あなたがたは助かったのです。こんな人がいたら自分が苦しいから、消えてしまえなどと言ったら、あなたがたはとても苦しいことになる。
あふれるほど嘘をついて、無理矢理その人を否定しても、汚すことのできない真実はいつも現れてくる。あの人の愛を認めなければ、その愛によって成り立っている自分の今が限りなく痛いものになる。嫌なことをしている自分を生かすためについている嫌な嘘が、自分の喉を絞め始める。どこまで行っても嘘ばかりだ。何もない。
恥ずかしいことをした小さな自分を認め、すべてに謝り、何もかもをやり直していくことが、馬鹿なことをした人間にとっての、最も正しい道です。