盗人の 蔵は異形の 蛹かな 澄
*これもわたしの句ではありません。獅子の作品です。また違う人です。
少しはやさしいものを選びたいとは思うのだが、どうしてもこういうのに目が行ってしまう。今はやさしい気分になれないということでしょう。
おもしろいつかみ方だ。蛹というのは、芋虫と蝶の中間にある姿です。中からいずれ蝶々が出てきて飛んで行ってしまう。では異形の蛹とはどういう意味でしょう。
盗人というものはみな、結構金持ちです。いろいろなところからいろいろなものを盗んできている。それだから、彼らの蔵にはそれはたくさんのものがあるのですよ。
この世界では、馬鹿が盗もうと思えば盗めないものは、あまりありません。他人から美しい顔を盗むこともできるし、かっこいいたくましい体や、人の業績も盗むことができます。現実世界の裏にある霊的世界から操作すれば、色んな技術を用いて、本来他人が生きるはずの人生さえ、盗むことができるのです。
馬鹿な人間は、自分では何もせずに、盗みだけにいそしんでいる。それで何でも持っているのです。人が苦労して稼いでやっと建てた家を、平気で軽い気持ちで盗んでいきます。人が刻苦勉励してやっと出せた疑問の答えを、平気で盗んできて、ちゃっかり自分の業績にしてしまいます。
そうやって馬鹿は、自分だけをうまくいいものにしてきたのです。
なんでそんなことができるかというと、何もわかっていないからです。人の苦労がわかるほどにまで、苦労などしたことがない。獣が野にあるキノコを何気なく食べるような気持ちで、他人の家にいいものを見つければ、何も考えずに持っていくのです。
長いことそんなことばかりしてきましたから、盗人の蔵というものは、ものすごく膨らんでいる。いろいろなものがたくさん詰まっている。だが、それがそろそろ、痛いことになってきている。
あまりに盗み方がひどいので、とうとうみんなが怒って、盗んだものを返せと言って盗人のところに押しかけてきているのですよ。それで、蔵の中から、まるで蝶々が飛んでいくように、ものがなくなりはじめているのです。
盗んだものが、飛ぶように、元の持ち主の元へ帰って行き始めているのです。
異形の蛹とはそういう様子を、彼なりのとらえ方で表現したのでしょう。まるで、妙な蛹の中から、一斉に万匹の蝶が羽化し始めているようだと。
蝶々は時期が満ちれば羽化して飛んで行くものですから、時期が満ちれば、盗人の蔵も開かれていくという意味にもなりますね。実際そのとおり。いつまでも盗人の理屈が通用するわけがない。みながこらえてくれていた何かが切れれば、一斉にたまっていたものが噴き出てくる。
今、盗人の財産はどんどん減っています。それでもう、まやかしの技がだんだん通用しなくなってくるのです。正体を見破られれば、馬鹿はもう終わりだ。
異形の蛹から飛んでいく蝶の群れを眺めながら、馬鹿どもの終末を観察していくとしますか。