できぬでは すまぬ男の 獅子の道 澄
*俳句ですが、わたしの作ではないので、澄の名前をつかいました。雰囲気でわかるでしょうが、もちろんこれは獅子の星の作品です。昨日とは違う人です。
簡単明瞭ですね。ずぶの素人でも詠めそうな句だが、なかなかこうは詠めません。岩のように大きいが、単純でまっすぐな事実を、そのまんま下ろしてこられたという感じだ。策も技術もない。徒手空拳で真っ向からかかって来いと言う感じです。
かかっていけますか?
言っておきますが、獅子の星が相手では、飛び道具なんて使えませんよ。ずるをやろうとしたら、そのまま沈みます。阿呆は自分が何もできないと思っていますから、すぐにずるいことを考えるのですよ。どうにかして背後に回れないかとか。今はなんとか言い訳して帰って、家で策を練って、嫌な時に苦手な奴を使って片づけてやろうとか。
そういう浅知恵は何も通用しません。
おまえはえらそうにしているのだから、よほどできる男なのだろう。真っ向からかかって来い。などと、30メートルの巨人に言われたらどうしますか。阿呆ですね。
言っておきますが、かれは、本気ですよ。あなたがたの言葉で言えば、ガチで、マジです。もうだめですね。
大変なものを怒らせてしまいました。あなたがたはこれから、人間レベルではない知恵と技術と力をつかわれて、真っ向から攻められます。高い知恵と技術というものは怖い。一見見何も起こらないように見える。だが、気が付けばすべてが消えている。人生そのものから、神を抜かれてしまい、生きながら、馬鹿になる。神を抜かれると、その人間は、よその星に住んでいる、得体のしれない何かになってしまうのです。わかりますか。
それだけで、生きていることが、激しくきついものになるのです。息を吸っているだけで、人間に嫌な顔をされる。水を飲んでいるだけで、鳥が逃げていく。それはもうみごとに、人間ではなくなるのです。
阿呆になるということは、そういうことなのだ。もはや、馬鹿に逃げ道はない。
自分たちが挑戦したものの正体に気付いた時には、何もかもが遅い。傲慢のツケとは、痛いものですね。
だがわたしは、馬鹿を助けるつもりは、ありません。偉そうなことを言って、みんなを馬鹿にしたのですから、何もできないでは済まされない。自分でやりなさい。自分で戦いなさい。
男なら、そうしなさい。
おお、きつい。ちょっと痛いものが続いたので、次はかのじょの作品から、やさしいものを取り上げてみましょう。あればの話ですが。