沈香を 焚かぬ香炉は 古めきて 貝の小琴の つるも枯れゆく
*この人の作品にはよく香が出てきますね。好きなのでしょう。確かに深い香りのする人だ。人格の醸す香りとは、その人の心からけば立つあえかな光でしょう。透き通ったやさしさが、夜明けの弱光のようにその人から立ち起こっている。そばにいてくれるだけで嬉しい。
「小琴」は「おごと」と読んでください。「つる」には「弦」も「蔓」もあります。こういう言葉遊びは楽しいですね。琴に張られた糸が、不思議な力を持った植物のようにも思える。そのかき鳴らす音はどんなものかと、想像をかきたてられる。
「沈香も焚かず屁もひらず」ということわざがあります。要するに、立派なことも言わないが、馬鹿気たことも言わないということです。普通でそれなりにまとまりがいいと言えば何とかなるが、役にも立たないという感じになると、ちょっと痛い。いてもいなくてもいいというような感じと、いないほうがいいと思われるほど悪いというような感じでは、はたしてどちらがいいものか。
まあそれはそれとして。ここでは沈香を焚かぬ香炉というのは、眠りに落ちて何もできなくなった人のことを言います。わかると思いますが。
あの人がものを言っていたときは、それは美しいことを言ってくれていたものです。それは、きれいな琴の調べのように、リズムも音階も整った、優れたことを言ってくれていた。その言葉に、香の高い心を見るたびに、それを聞く人の心も震えていた。
だがその沈香も、もう焚かれない。香炉は古びて、何もできないことに居心地の悪さを感じはじめ、魂を後退させようとしている。ものからも、魂がなくなることがある。そうなればもう、それは品物ではなくなる。ただの、残骸になる。
寂しくないと言えば、大きな嘘になるでしょう。
かのじょが仕事をしていた部屋は、わたしたちにも引きつかれているが、そこにはあの人が残した品がたくさんあります。もう使わないものが多い。肉体はまだ生きているし、人生はまだ続いているのに、それらの品々はもう、亡き人の形見の色を見せている。持ち主のいない悲しさを帯びている。
時が行き、あの人の気配が薄れていくにつれ、返って記憶は鮮明によみがえってくる。あの人の言葉が、強烈に匂い立ってくる。
あれは、沈香というよりは、白いイチリンソウの香りのようだった。