(ネタばれ注意!)
主人公の2人、山根と奈々瀬は、「乱暴」と「待機」の関係にある。山根は過去の事件を理由に奈々瀬を軟禁し、彼女に復讐することを目論んでおり、奈々瀬はその状態を嬉々として受け入れ、復讐される日を待っているからだ。
goo 映画
過去の事件とは・・・。
幼い時、2人は踏切で立ち往生した車に乗っていて、山根が「前へ」と言い、奈々瀬が「後ろへ」と叫んだ。車は後退したため、前部座席に乗っていた山根の両親は亡くなり、後部座席の2人は助かったのである。
そのことで山根は奈々瀬を憎んでいるが、よく考えてみれば、前に進んでいたら、全員が死んでいたのだ。だから、「前へ」=「乱暴」、「後ろへ」=「待機」ということになる。
むしろ幸運だったといえるのに、2人は憎み、憎まれることを5年間も続けている。
なぜか?
本作の主題歌を担当したのは、「相対性理論と大谷能生」だ。偶然かもしれないが、アインシュタインの「相対性理論」は、この2人の関係を指している。
「相対性理論」とは・・・。
自分以外に何もない「無」の世界に、絶対的な速度を定めることは出来ない。自分の速度は、他の点からの「相対的」な速度としてしか、表すことが出来ないことをいう。つまり「他と関連させてみて、初めてそのものの存在が考えられる(『三省堂新明解国語辞典』より)」のである。
この2人は、人間として存在するために、互いに相手を必要としていた。「 復讐する(憎む)、復讐される(憎まれる) 」という関係は、「惚れた、はれた」の関係よりもはるかに強い。
彼らは、本当は愛し合っていることに気付きながらも、結びつきを長続きさせるために、「復讐ゴッコ」を演じているのだ。
奈々瀬が、禁断の木の実であるリンゴを山根に食べさせようとしても、彼は頑なに食べようとしない。これも2人の奇妙な楽園生活をいつまでも続けたいからである。
山根は、奈々瀬が仕掛けた天井裏からの覗き見(見る、見られるの関係性)をしていて、迂闊にも落ちて宙づりになる。これは結論の出ない先延ばしの人生を表現しているのである。
この後、2人は和解してやり直しをするが、山根はどうしてもリンゴを食べようとしない。やはり結論を先送りして、同じことを繰り返すだけである。
2人の生活に踏み入ってくる夫婦がいる。彼らもまた、「乱暴 」と「待機」の関係を反復している。
妻のあずさは、夫と不倫をした奈々瀬を罵倒し、山根と奈々瀬が暮らしている部屋に、自転車を投げ込んで窓ガラスを割る。さらに夫を包丁で刺す、といった乱暴ぶりだ。
一方、夫の番上は、出産を控えた妻に扶養されつつ、就職を永遠に「待機」する「ヒモ的存在」である。
こんな頼りない夫ではあるが、あずさは番上を必要としていた。彼を扶養し、主導権を握ることに生きがいを感じていたのだろう。
彼らは刺傷事件の後、離婚したが、山根と奈々瀬が元に戻った今、どうなるのか・・・。
自分の存在には、他者が深く関わっていることを、2組の男女のユーモラスな関係を通して描いた、ユニークな味のある作品である。
★★★★(★5つで満点)
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主人公の2人、山根と奈々瀬は、「乱暴」と「待機」の関係にある。山根は過去の事件を理由に奈々瀬を軟禁し、彼女に復讐することを目論んでおり、奈々瀬はその状態を嬉々として受け入れ、復讐される日を待っているからだ。
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過去の事件とは・・・。
幼い時、2人は踏切で立ち往生した車に乗っていて、山根が「前へ」と言い、奈々瀬が「後ろへ」と叫んだ。車は後退したため、前部座席に乗っていた山根の両親は亡くなり、後部座席の2人は助かったのである。
そのことで山根は奈々瀬を憎んでいるが、よく考えてみれば、前に進んでいたら、全員が死んでいたのだ。だから、「前へ」=「乱暴」、「後ろへ」=「待機」ということになる。
むしろ幸運だったといえるのに、2人は憎み、憎まれることを5年間も続けている。
なぜか?
本作の主題歌を担当したのは、「相対性理論と大谷能生」だ。偶然かもしれないが、アインシュタインの「相対性理論」は、この2人の関係を指している。
「相対性理論」とは・・・。
自分以外に何もない「無」の世界に、絶対的な速度を定めることは出来ない。自分の速度は、他の点からの「相対的」な速度としてしか、表すことが出来ないことをいう。つまり「他と関連させてみて、初めてそのものの存在が考えられる(『三省堂新明解国語辞典』より)」のである。
この2人は、人間として存在するために、互いに相手を必要としていた。「 復讐する(憎む)、復讐される(憎まれる) 」という関係は、「惚れた、はれた」の関係よりもはるかに強い。
彼らは、本当は愛し合っていることに気付きながらも、結びつきを長続きさせるために、「復讐ゴッコ」を演じているのだ。
奈々瀬が、禁断の木の実であるリンゴを山根に食べさせようとしても、彼は頑なに食べようとしない。これも2人の奇妙な楽園生活をいつまでも続けたいからである。
山根は、奈々瀬が仕掛けた天井裏からの覗き見(見る、見られるの関係性)をしていて、迂闊にも落ちて宙づりになる。これは結論の出ない先延ばしの人生を表現しているのである。
この後、2人は和解してやり直しをするが、山根はどうしてもリンゴを食べようとしない。やはり結論を先送りして、同じことを繰り返すだけである。
2人の生活に踏み入ってくる夫婦がいる。彼らもまた、「乱暴 」と「待機」の関係を反復している。
妻のあずさは、夫と不倫をした奈々瀬を罵倒し、山根と奈々瀬が暮らしている部屋に、自転車を投げ込んで窓ガラスを割る。さらに夫を包丁で刺す、といった乱暴ぶりだ。
一方、夫の番上は、出産を控えた妻に扶養されつつ、就職を永遠に「待機」する「ヒモ的存在」である。
こんな頼りない夫ではあるが、あずさは番上を必要としていた。彼を扶養し、主導権を握ることに生きがいを感じていたのだろう。
彼らは刺傷事件の後、離婚したが、山根と奈々瀬が元に戻った今、どうなるのか・・・。
自分の存在には、他者が深く関わっていることを、2組の男女のユーモラスな関係を通して描いた、ユニークな味のある作品である。
★★★★(★5つで満点)
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