マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

ぼくのエリ 200歳の少女/愛の不可能性

2010-11-19 | 映画分析
  (ネタばれ注意!)
「暴力の必然性」と「越境の重要性=ジェンダーの解体」。
 本作は、人間の生にとって欠かせないこの2つの要素を、ミステリアスかつ美しい映像で、丁寧に描いている。
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人が生きていくためには、「暴力」は必然である。
 「他者を殺戮して、自己が生き延びるのか」
 「自己を捧げて、他者を生き延びさせるのか」。
 その中間はない。

 ゆえに、人間は潜在的にヴァンパイア願望を持つ。
 「相手を殺しても生きたいと思う。それが生きること。私を受け入れて」と、ヴァンパイアである少女エリは、悲しげな表情で訴える。

 人は欲望の塊となって悩み苦しむが、ヴァンパイアの目的はただ1つ、人間の生き血を吸って生き延びることだけ。
 何とシンプルな生きざまであることよ。

ヴァンパイアは人間の永遠の憧れである。我々はさまざまなしがらみに縛られ、柔軟な考え方をすることは困難だが、彼らは性別や年齢、場所などの境界を瞬時に超えることが可能だ。
 フレキシブルな対応ができるため、我々より生きにくさは少ないといえよう。
 
エリは 孤独な少年オスカーに「私が女の子でなくても愛してる?」と聞く。彼女は去勢された男の子かもしれないのだ。
 「君はいくつ?」「昔から12歳」といった奇妙な会話に加え、変幻自在なエリに魅惑されていくオスカーに、ジェンダーの解体を見た。

オスカーはエリと出会い、彼に対するいじめをエスカレートさせるクラスメイトに「報復せよ」とアドバイスされる。彼女の言う通りに身体を鍛え、仕返しをする彼の顔はそれまでにない輝きに満ちていた。
これは「 暴力」の必然性を肯定するシーンである。

エリはオスカーに、「ここに留まって生き延びるのか、それとも死を待つのか」と書いたメモを渡す。
オスカーは、大好きな父には同性愛の相手がいて、自分の居場所がないことを悟り、エリと過ごす=死を待つ人生を選ぶ。

 ラスト、オスカーはエリと列車で旅立つ。これは死出の旅なのか?
 エリに自己の肉体を捧げて死んでいった彼女の保護者と同じ運命を辿るであろうオスカー。保護者は嬉々として自己犠牲をし、死んでいったが・・・。
 真実の愛とは、そういうものなのだろう。愛の不可能性を語る作品でもある。

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★★★★★(★5つで満点)

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