マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

籠の中の乙女/ 永遠の命題  

2012-12-13 | 映画分析
 
 多様な解釈が出来る秀作。
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ギリシャ郊外の豪邸で暮らす5人家族(父母、ハイティーンの長女・次女・長男)の物語だ。父は愛する家族を外敵から守るという名目で、高い塀を巡らせ、外界との関係を完全に断ち切っている。境界を自由に往来できるのは父だけ。子どもたちは名前もなく、父の妄想に沿った閉鎖的な教育を受けている。楽しみは、熱湯に指を入れる我慢大会や麻酔遊び、奇妙なゲームに勝つともらえるシールを貯めることなど。

支配欲の権化のような父、従順な母、無菌状態の子どもたち。家父長制を絵に描いたようなおぞましい家庭だ。家父長制とは、男が女を劣った性と決めつけて権力をふるう、女性蔑視に根ざした社会システムである。女性自身が差別されるのを内面化し反復することで、女性のマイナスイメージを事実として受け入れることに繋がりやすい。

 この家庭では長男も監禁されてはいるが、性欲処理のために娼婦をあてがわれている。ところが、彼女は外部の情報を姉妹に提供、父にとって都合の悪い存在になると、殺されかけて解雇される。さらに、長男は父から姉妹のうち1人を性交の相手に選ぶよう命じられる・・・。家父長制は、こうした「女の交換」を通じて温存されていくのである。

 その一方で、私たちは彼らを異様な家族と捉えがちだが、実は同じ穴のむじななのだ。「家族」というものは、誕生の瞬間から子どもを拘束し、支配し、干渉する。愛という名の「暴力」によって、赤子の持つ無限の経験可能性を奪っているのである。
 つまり、自己の内面を疎外した状態で他者の意向に基づいて行動するよう、子どもを育て上げていく作業をしているのだ。
親はいつも言われた通りのことをする「よい子」を賞賛する。「主体性の希薄さ」は「実存的な死」であり、「非人間的」であるにも関わらず・・・。
気分を逆なでするような残酷シーンが多いのに、妙に気になり、また観たくなりそうなのは、こうした共通項が私たちの底流にあるからだろう。

原題は「犬歯」。犬にまつわるシーンが多い。犬は主人に忠実で、猫のように奔放ではないので、この家の父親の理想像だ。彼は飼い犬には名前を付けているのに、呼んでも知らん顔をされている。彼は、子どもたちに犬のように這いつくばって、「ワンワン」と吠えさせるが、彼らは何の疑問も持たない。母は「今度妊娠したら、双子と犬一匹を産む」とのたまう・・・。ここでは、犬は人間より、格上のようだ。

 大人の犬歯は生え替わらないのに、「犬歯が抜けた時には外出が許される」という父の言葉を信じ、鉄アレイで無理矢理犬歯を抜いて、大人への旅立ちを果たそうとする長女。
「犬歯」は「永遠に叶わない自由」のメタファーなのである。

さて、衝撃のラストシーンの解釈だが、人間に与えられた普遍的な課題である「家父長制」&「愛の暴力」というテーマを、言葉として最適化した原題を映像化したのではないだろうか?
★★★★★(★5つで満点)

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