マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド/女性不在の神話

2008-05-19 | 映画分析

「石油屋」の話だが、米国を中心とする資本主義社会の、金さえあれば何でも出来るという姿勢に対する批判 に加え、「血は流れるだろう」というタイトルから連想されるように、旧約聖書やギリシャ神話にも通じる人間の根源的な「血」についての物語でもある。
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本作中の台詞には、「反対派の土地から子羊の血を吸う=地上げの犠牲となる庶民」「救い主であるイエスの血を求めよ」「貴方の血を引いていないことを神に感謝する」といった、「血」にまつわるものが多出する。
 「Blood」は、「黒い血=石油」であり、「イエス=子羊の血 」であり、「血縁=家族 」 を意味する。また、重要なモチーフとなる、 母なる海につながるパイプラインは「血管」である。

主人公ダニエルの出自は明らかにされていないが、母親が家出をし、別れた妹と腹違いの弟がいる。「人間の悪い部分しか見えないため、人を信じず、憎悪を積み重ねてきた」と論じる彼。悪の側面を強調する如く振舞っているが、時折見せる表情から、根っ子には淋しさを抱えていることが分る。だから、孤独から逃れるように石油掘削に血道をあげるのだ。

  ダニエルは、孤児になった同僚の息子 H.wを引き取る。家族愛を強調して商売の切り札にするが、本当の親子のような交流もあり、 H.wのことで人から指図されるとムキになるほどだ。
 また、弟と名乗って訪ねてきた男を厚遇し、パイプラインが到達する海中(母の胎内のイメージ)で、血の通った会話をする。

しかし H.w、のケガよりも油田の火事のほうを心配して、彼を部屋に置いてけぼりにし、その仕返しともいえる H.wの放火事件の後は、彼を列車内に置き去りにして寄宿舎に入れてしまったり、弟と名乗る男が偽者だと悟るとすぐさま殺してしまうなど、非情な面もある。
 このように振幅の多いダニエルの行動は、物語に予定調和をもたらさず、先の読めない展開となり、重厚な作品に仕上げている。
 
 先ほどの置き去りは、ギリシャ神話のオイデプス王の父である先王による「息子殺し」である。預言者から、「貴方は息子に殺されるだろう」と言われた王は、生まれたばかりのわが子の両かかとをピンで刺し貫いたうえで、山奥に捨てさせる。
この物語のように、一時的にせよ、ダニエルに見捨てられた H.wは、長じて「父殺し」を実行する。
 ダニエルは彼を石油事業のよきパートナーとなるように育てた積りだったが、 H.wは、オイディプス王のように父のライバルとなる道を選んだ。
ダニエルは、唯一の絆であった H.wの裏切りにあい、人生に絶望し、自分と相似形のエセ牧師・イーライを殺してしまう。つまり、自分の中の「息子」により、「父親」殺しが実行されたのだ。

資本家ダニエルと宗教家イーライ。二人の確執が本作の核となっているが、金のためには平気で人を利用する策略家としての資質はまったく同じ。二人はコインの裏表なのだ。
イーライは、ダニエルに対して金銭的な執着のほかに、宗教家としての誇りを無視された怨念がある。ダニエルの弱みに付けこんで「富と引き換えに子供を見捨てた罪をあがなうために、イエスの血を求めよ」と自分にひれ伏すことを迫る。
しかし、立場が替わると、ダニエルはイーライに「ぼくは偽預言者だ。神は迷信に過ぎない」と言え、と命じる。
お互いに、目的を達するためには打算が働き、ひれ伏す二人。この反復は、全く似たもの同士、つまり一人の人物であることを意味している。

イーライは預言者でもあったが、ダニエルは「真の預言者はお前の兄のポールだ。先に情報をくれた彼は、俺が渡した1万ドルを元手に成功した」と、兄弟同士の憎悪を煽る。人類最古の大罪である創世記の「カインとアベル」を想起させるくだりだが、裏返せば、ダニエルはそれだけ「血=家族」へのこだわりが深いともいえる。

彼が妹の手紙や弟の日記に触れる時、また、偽者だったにせよ、弟と信じたくて海で一緒に泳いでいる時の人間味あふれる表情が印象深い。愛憎が激しいだけに、殺人へと発展してしまうダニエル。ここでも「血=家族」への希求が濃いことが分る。

 ダニエルは無神論者のふりをしていたが、最後には「神は兄のポールを選んだ」とか「私が神に選ばれし者だ」といって、盛んに神を持ち出し、イーライを亡き者にする。
 そして、「俺は終わった」とつぶやき、幕が引かれる。

  このことで、金の亡者のようなダニエルが、神を信じ、家族愛を求める普通の人間だったことが分る。
H.wには、「血縁」よりも濃い関係を求めていたのに、叶えられなかった。王の交代時期が来たことを悟った彼は、前述のように自分の手で「父殺し」を決行したのだ。

ラスト、ダニエルは自分の豪邸内にあるボーリング場で、イーライをピンで殴り殺す。ドクドクとイーライの体内から噴出する黒い血は、冒頭の石油のボーリングシーンで 地中から湧き出す黒い血と重なる。
 この反復は、人類が存在する限り、利権や骨肉などを巡る争いは繰り返され、「血は流れるだろう 」というタイトルを表している。人間の”業 ”を描いた重い作品である。★★★★★(★5つで満点)


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