チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

200829消印: ハンガリー型の郵便業務代理人の消印

2008年11月15日 22時26分27秒 | 葉書
200829消印: ハンガリー型の郵便業務代理人の消印
サイズ: 38.5×23.5 mm
VOJNIĆ P.U. –KLDV. VOJNIĆ郵便業務代理人、KLDV.の意味は不明
29 AUG 920 1920年8月29日
POSTAI ÜGYN. 郵便業務代理人のハンガリー語表記
POSTAN. AGENCIJA 郵便業務代理人のクロアチア語表記
ハンガリー語とクロアチア語の二ヶ国語表記
ハンガリー式の「年月日」をユーゴ式の「日月年」に変更したユーゴ化した消印

200829チェインブレーカー 40 vinar凸版、アメリカ宛て、郵便業務代理人の消印

2008年11月15日 22時25分37秒 | 葉書
200829チェインブレーカー 40 vinar凸版、アメリカ宛て、郵便業務代理人の消印

切手: チェインブレーカー40 vinar(Mi.106) 凸版、平滑白紙
表2枚: 左タイプ2、右タイプ3
裏1枚: タイプ3
合計120 vinar

宛先: New York (アメリカ)
外国葉書料金: 20 para (80 vinar)、40 vinar過貼り

200810 チェインブレーカー50 vinar, オーストリア不足切手20 heller

2008年11月12日 20時52分35秒 | 葉書
200810 チェインブレーカー50 vinar, オーストリア不足切手20 heller

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー
50 vinar(Mi.107)凸版、平滑白紙
合計50 vinar

宛先: Wien (オーストリア)
オーストリア宛ては国内葉書料金と同一: 15 para (60 vinar)
料金不足: 10 vinar
不足料金表示: 黒鉛筆T20、青色クレヨン20

消印: KAŠTEL SUČURAC 16. VIII. 20 a (ダルマチア、Splitの近くの町)
KAŠTEL SUČURAC郵便局1920年8月16日、消印識別記号a、オーストリア型消印

オーストリア不足切手: Mi. 78, 20 heller
消印: WIEN32 19. VIII. 20
WIEN32郵便局1920年8月19日

200803 15 para官製葉書オーストリア宛て

2008年11月09日 10時42分27秒 | 葉書
200803 15 para官製葉書オーストリア宛て

15 para官製葉書
(1)印面: dark brown暗い茶色、鮮明な印刷
(2)印面の位置:中央の縦の分割線と印面の間隔が上49,下49mm
(3)紙:light brown paper明るい茶色の紙
(4)中央の縦の分割線:左上の差出人の線の上に1箇所の切れ目有り。

宛先: Wien (オーストリア)
オーストリア宛ては国内葉書料金と同一: 15 para (60 vinar)

消印: SAMOBOR 3 AUG 20 (クロアチア)
SAMOBOR郵便局1920年8月3日、「日月年」の年月日表示に変更したユーゴ化した消印

200731チェインブレーカー官製葉書15 vinarに15 vinar石版3枚加貼り

2008年11月08日 10時13分46秒 | 葉書
200731チェインブレーカー官製葉書15 vinarに15 vinar石版3枚加貼り

チェインブレーカー官製葉書15 vinar
切手: チェインブレーカー
15 vinar(Mi.102) 石版3枚、多孔質紙または多孔質縞紙
合計60 vinar (15 para)
15 vinar切手は、左からタイプ23, 24, 25

宛先: Banjaluka (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)

消印: BOS. GRADISKA 31. VII. 20 b(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
BOS. GRADISKA郵便局1920年7月31日、消印識別記号b
上のドイツ語K. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印

到着印: BANJALUKAの箱型消印が到着印として押されており、日付けは1920年8月2日です。

15 vinarチェインブレーカー官製葉書
(1)印面: greyish blue灰色がかった青色
(2)印面の位置: 1番目の住所の線と印面の間隔が14mm
(3)紙: yellowish thick paper黄色がかった厚い紙
(4)4番目の住所の線: 太い
(5)中央の縦の分割線: 太く完全

200723 チェインブレーカー15 vinar石版4枚貼り

2008年11月05日 20時10分25秒 | 葉書
200723 チェインブレーカー15 vinar石版4枚貼り

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー
15 vinar(Mi.102)石版4枚貼り、多孔質紙または多孔質縞紙
合計60 vinar (15 para)

宛先: Beograd (セルビア)
国内葉書料金: 15 para

消印: ZAGREB 920- JUN. 23 N? L2L
ZAGREB 2郵便局1920年7月23日、消印識別記号L、ハンガリー型消印

200720 チェインブレーカー50 vinar, 10 vinar各1枚貼り

2008年11月02日 14時11分05秒 | 葉書
200720 チェインブレーカー50 vinar, 10 vinar各1枚貼り

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー
10 vinar(Mi.101)凸版、平滑白紙、ノコギリルレット、タイプ1
50 vinar(Mi.107)凸版、平滑白紙、ノコギリルレット
合計60 vinar (15 para)

宛先: Ujvidek (Novisad) (ヴォイヴォディナ)
国内葉書料金: 15 para

消印: O-BECSE 920- JUL. 20 N12 D
O-BECSE郵便局1920年7月20日、消印識別記号D、ハンガリー型消印
ハンガリー語Obecse、セルビア語Stari Bečej、ヴォイヴォディナ地方の町

200630到着印

2008年11月01日 20時51分02秒 | 葉書
200630到着印

16-7-20*
BEYROUTH
到着印BEYROUTH局1920年7月16日

ベイルートの当時の政治状況
出典: 著者: THEO VAN DAM
A Century of War Dates 1859-1959、 1世紀の戦争日付け1859-1959
p.148, p.74

ベイルートは当時のシリアに属していました。
1918年10月1日 イギリス軍がダマスカスを占領
1918年10月7日 イギリス・フランス軍がベイルートを占領
1919年11月1日 フランス占領軍がイギリスからシリアを引き継いだ
1920年3月8日 シリア国会が独立宣言
1920年3月11日 Feisal(ファイサル)はSyrian Arab State(シリア・アラブ国)の国王を宣言したが、イギリスとフランスは承認しなかった
1920年7月25日 フランス軍がダマスカスを占領。ファイサル国王は逃亡。
1921年8月20日 イギリスはファイサル国王をメソポタミア(イラク)の支配者として承認。

この葉書の輸送ルートの解説
この葉書は、フランス軍がダマスカスを占領して、ファイサル国王が逃亡する9日前の1920年7月16日にベイルートに到着しています。
葉書の差出地のクロアチアのザグレブから、わざわざ宛先とは真反対のイギリスのロンドンに送られ、そこからシリアのベイルートに送られた非常に興味深い輸送ルートになっています。
1919年11月1日には、フランス占領軍がイギリスからシリアを引き継いでいました。
このため、この葉書がイギリスではなく、フランスに送られて、そこからシリアに送られた方が管轄権の上では自然だと思うのですが、そのようになっていない理由は分かりません。
いずれにせよ、第一次世界大戦後の混沌とした中東シリア宛ての、非常に珍しい宛先の使用例だと言えます。

200630クロアチアのザグレブからベイルート宛て書留便

2008年11月01日 20時49分36秒 | 葉書
200630クロアチアのザグレブからベイルート宛て書留便

クロアチア加刷官製葉書: Mi. P42c, 60 filir (青灰色紙)
切手: チェインブレーカー
20 vinar凸版、平滑白紙、タイプ不明
1 Krona、平滑白紙(pos. 10、左下角の切断線)、ノコギリルレット目打ち
25 para
合計 280 vinar (70 para)

宛先: Beyrouth (Syre)(ベイルート、シリア)
Gassmannホテルの宿泊客宛て

料金
外国宛て葉書料金: 20 para
外国宛て書留料金: 50 para
合計 70 para (280 vinar)

書留の記載
左上角にR/8の手書き

消印:
ZAGREB 920 JUN 30 –N10 i1i
ZAGREB 1郵便局1920年6月30日昼間10時、消印識別記号i、ハンガリー型消印